5分でわかる「日中国交正常化」何が正常ではなかったのか?戦後の日中関係も行政書士試験合格ライターがわかりやすく解説
田中角栄の功績として有名なのが、日中国交正常化を実現させたことです。しかし、国交の「正常化」とはどういったものか、知らない人も多いでしょう。
日中国交正常化の内容や実現するまでの過程などを、戦後の日中関係とともに、日本史に詳しいライターのタケルと一緒に解説していきます。
ライター/タケル
資格取得マニアで、士業だけでなく介護職員初任者研修なども受講した経験あり。現在は幅広い知識を駆使してwebライターとして活動中。
中華人民共和国の建国宣言
第二次世界大戦が終結した直後から、中国国民党と中国共産党との対立が再燃します。1920年代から両党は対立と協力(国共合作)を繰り返していましたが、1946(昭和21)年から本格的な武力衝突が始まりました。当初は国民党が優勢でしたが、戦況は徐々に逆転。共産党が中国本土を制圧しました。
1949(昭和24)年10月1日、毛沢東により中華人民共和国の建国が宣言されました。毛沢東は共産主義化を推進させ、中国共産党の一党独裁体制を確固たるものにしていきます。のちに中国は市場経済を導入。2010年代より世界第2位の経済大国にまで躍進しました。
中華民国の台湾への遷都
19世紀末より日本が台湾を統治するようになり、戦時中も台湾は日本軍の南方への拠点として重要な役目を果たしていました。しかし、日本は戦争に敗れ、台湾の領有権を放棄します。すると、日本と入れ替わるようにして、中国国民党の南京国民政府が台湾に上陸しました。
さらに、中国共産党との内戦に敗れた中国国民党が台湾へと逃れたのです。蔣介石率いる中華民国の政府が、首都を台北に遷都した形となります。台湾はあくまでも地域名で、国家としての正式な名称ではありません。今も中華民国が台湾地域を実効支配しているという表現が正しいでしょう。
日華平和条約
1951(昭和26)年にサンフランシスコ講和会議が開催され、サンフランシスコ平和条約が締結されました。日本と48の国々との間で、第二次世界大戦を終結させるためのものです。その他にも、朝鮮の独立や台湾などの放棄を規定しています。しかし、48カ国に中国は含まれていませんでした。
そこで、中国とは別個で条約締結を目指しましたが、中華人民共和国ではなく中華民国(台湾)と締結することになりました。1952(昭和27)年に、日本と台湾との間で結ばれたのが日華平和条約です。日華平和条約により、日本と台湾との戦争状態が集結しましたが、中国とは条約が結ばれない状況が続きました。
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