井原西鶴の死と出版され続けた遺稿集
俳諧師だけでなく、作家としても大成した井原西鶴。その人生は、作家業を続けた11年目の1693年9月に幕を下ろしました。世は元禄文化の真っ只中にあり、その死は非常に惜しまれたことでしょう。井原西鶴の遺稿集として『西鶴置土産』が世に出された後も他の遺稿集が出版され続けました。
浮世草子創設、多才なインフルエンサー井原西鶴
俳諧師として成功した上に、俳諧に新しい風を吹き込んだ井原西鶴。「オランダ流」と称して活躍した…かと思えば、今度は40歳で作家として『好色一代男』を発表。小説の新たなジャンルであり、より娯楽に特化した「浮世草子」を創設します。また、『好色一代男』から始まる好色物も人々の目に新しい元の仕手写り、新作を次々と発表。浮世草子は多くの作家たちに影響を与え、長い間書き続けられました。
井原西鶴は自身の拓いた好色物だけでなく、武家物や雑話物など他の小説ジャンル、さらには浄瑠璃の台本などにも手を伸ばします。人間は成功したものに頼みがちですが、井原西鶴は次々と新しいものに挑戦していくチャレンジ精神にあふれた人物だったのです。そんな井原西鶴ですから、彼の代表作としてあげられる作品は非常に多くあります。ひとまずはデビュー作の『好色一代男』、そして『好色五人女』は覚えておいて損はありませんよ。