江戸時代のライトノベル!?井原西鶴が創設した新ジャンル「浮世草子」
庶民に仮名草子が浸透した後、井原西鶴の『好色一代男』が発売されます。これが当時の小説のなかでもより娯楽性に特化した作品でした。恋愛を扱いつつ、当時の風俗や人情が書かれ、説話はありません。それどころか、主人公の浮世之介もまた遊女にしてやられたりして、完璧な男ではないように書かれているところも特徴のひとつです。
これより、仮名草子よりももっと娯楽性の強い小説を「浮世草子」と呼ぶようになります。現代風に言うと、江戸時代のライトノベルといったところでしょうか。以後、浮世草子は1783年に衰退するまで多くの作者に書かれ続けました。
『好色一代男』の大ヒットを期に井原西鶴は次々に好色物を世に発表していきます。
雑話物、武家物…次々に他ジャンルに手を出しヒットを生み続ける
井原西鶴は『好色一代男』以降も『諸艶大艦』(1684年刊行)、『好色五人女』(1686年刊行)と、町人の遊里生活と色恋沙汰を題材とする「好色物」を著しました。
その一方で『西鶴諸国ばなし』(1685年)などの雑話物、『武道伝来記』(1687年)などの武家物、親不孝を題材とした『本朝二十不孝』など、好色物に限らず幅広いジャンルの作品を発表していきます。それぞれ解説すると、「雑話物」は諸国の珍聞奇談を集めた作品、「武家物」は武家社会を題材にし、義理や仇討ち、道義を重んじる武士たちの生活を書いたものです。
井原西鶴が死去するまでの約十一年の間に幅広いジャンルの小説を二十五点残しました。ちなみに、井原西鶴は自分の作品の挿絵を自分自身で描くことも。文芸に絵にと非常に多彩な作家だったんですね。
浄瑠璃にも手を出した!? ひいきの浄瑠璃大夫のために書き下ろし!
1685年(貞享2年)、井原西鶴は浄瑠璃の台本『暦』を書きあげました。これは井原西鶴がひいきにしていた浄瑠璃大夫・宇治加賀掾(うじ かがのじょう)のために書かれた作品です。執筆されたのが1685年ですから、井原西鶴が『好色一代男』で一世を風靡したあとで、大人気だったころですね。
ライバルは近松門左衛門!勝敗は!?
さて、宇治加賀掾は江戸時代前期から中期にかけて活動した浄瑠璃大夫であり、彼が率いる宇治座は京都で人気を博していました。当時まだまだ駆け出しだった作家「近松門左衛門」はこの宇治座で修行中、そして、後に竹本座を創設する竹本義太夫も宇治座に属しています。しかし、竹本義太夫が宇治座から独立し、近松門左衛門と提携してライバルとなったのです。
こうして、大阪の道頓堀にて宇治座と竹本座の競演がはじまりました。
宇治加賀掾は旗揚げした竹本座と戦うために上演したのが井原西鶴の『暦』です。一方、対する竹本座が上演したのが近松門左衛門の『賢女の手習新暦』。結果、『暦』は人気を得ることができず、負けてしまいます。
負けてしまった宇治加賀掾はさらに井原西鶴に依頼してできたのが『凱陣八島』(1685年)。近松門左衛門は『出世景清』で対抗します。こちらは宇治座が勝ち…と、名勝負を重ねていきました。
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