
実は現在マニ教を信仰している人はいないとされている。そんなかつて世界で広く信仰されていたマニ教について、世界史に詳しいライターひこすけと一緒に解説していきます。

ライター/ひこすけ
アメリカの歴史と文化を専門とする元大学教員。宗教の歴史にも興味があり気になることがあったら調べている。今回はかつての世界宗教でありながら現在は信者がゼロとされるマニ教についてまとめてみる。
マニ教はサーサーン朝ペルシャで生まれた宗教
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マニ教が生まれたのはサーサーン朝時代のペルシャ。開祖は預言者のマニ。漢字では摩尼と記されます。ゾロアスター教、キリスト教、仏教などの教義をさまざまなに織り交ぜていることがマニ教の特徴。教団は布教する際にキリスト教や仏教を名乗ることも。寛容な内容により信者を増やし、北アフリカから中国に至るまで広く信仰されました。
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貴族の父と王族の母から生まれたマニ
貴族の父と王族の母のあいだに生まれたのがマニ。古代イランの王朝の血統を引く身分でした。当時のメソポタミアにはさまざまな思想や宗教が流入する過渡期。マニも、ユダヤ教やキリスト教などに加え、ピタゴラス派、マルキオン派、ミスラ教などの少数派の宗教結社に触れる機会もありました。
そんな環境で父親が女人禁制のエルカサイ教団に出家。家族を捨てて教団に入ります。マニはしばらくのあいだ母親に育てられていました。4歳のときに父親が迎えにきてマニを教団に迎え入れます。そこでマニはユダヤ教やキリスト教の教義を学んでいきました。とくにマニはキリスト教のなかでは「外伝」という位置づけの黙示録に興味を持ちます。
マニは24歳のときに神の啓示を受ける
マニは12歳ころから預言者としての使命を自覚するようになります。本格的に開教したのはマニが24歳のとき。自分のことをブッダやイエスなどに続く最後の預言者と自覚。エルカサイ教団のなかで独自の行動をとるようにします。そのひとつが農業。農作業を、植物に秘められた光を壊すからと拒否して、エルカサイ教団を追放されました。
マニが教団を離れたとき行動を共にしたのは2人。親友のアブサクヤーと友人のシメオンでした。父親はマニを説得するために追いかけてきましたが、最終的にマニと行動を共にすることを決意。旅の道中にマニが病気を治した少女と姉妹も参加。最終的にマニたちは、サーサーン朝の皇帝の信頼を得て教会を形成。弟子たちの布教活動も功を奏し、影響力を広げていきました。
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マニ教を形成している宗教

マニ教は複数の宗教を織り交ぜて教義が形成されました。その主な宗教とは、キリスト教、ユダヤ教、ゾロアスター教、ミスラ教、ズルワーン教、グノーシス主義、そしてメソポタミア神話など。ここでは、取り上げられることの少ないミスラ教とグノーシス主義について紹介します。
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