
簡単で分かりやすい「パレスチナ」と「イスラエル」の違い!国の違いや歴史、対立の原因を歴史大好き元塾講師が詳しく解説!
イスラエル建国宣言
1947年に採択されたパレスチナ分割決議をパレスチナ人(アラブ系民族)は拒否しましたが、ユダヤ系民族はこの決議を受け入れ、1948年5月にパレスチナの地に「イスラエル」の独立を宣言し新しい国家を建設しました。初代首相はベングリオン、首都はテル・アビブです。
しかし、イスラエルの建国宣言に反発するアラブ系民族がイスラエルを攻撃し、第一次中東戦争が起こりました。このあと、対立は長い期間続くこととなります。
対立の歴史

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国連のパレスチナ分割決議を受け入れた「イスラエル」と拒否した「パレスチナ」の間には対立が続くこととなりました。パレスチナの地をめぐる両者の対立の歴史、和平に至らない理由などを詳しく見ていきましょう。
中東戦争
イスラエル建国時に起こった第一次中東戦争以降、4度にわたって中東戦争がありました。第二次中東戦争(1956年)後にはPLO(パレスチナ解放機構)が結成され、武装勢力ファタハ(穏健派)がイスラエルに対してゲリラ戦をしかける構図ができました。
第三次中東戦争(1967年)ではイスラエルがエジプト領のガザ地区、ヨルダン領のヨルダン川西岸地区の占領に成功し、さらに西エルサレムを占領しエルサレムを統一するなど、イスラエル軍の圧勝で終わったのです。そしてガザ地区、ヨルダン川西岸地区にはユダヤ人の入植地が建設され、このことがイスラエルとパレスチナの対立が終わらない要因となっています。
第四次中東戦争(1973年)では、アラブ諸国が欧米に対して石油戦略を展開したため石油価格が高騰し、オイルショックなど世界経済に大きな影響を与えました。
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オスロ合意
両者が対立し和平合意が進まない中、1993年にノルウェー外相が仲介となりオスロでPLOとイスラエル当事者の間で和平交渉が始まりました。そして同年9月にイスラエルのラビン首相とPLOのアラファト議長の間で「パレスチナ暫定自治に対する原則宣言」(オスロ合意)に調印されました。
これによりイスラエルが占領したガザ地区、ヨルダン西岸地区におけるパレスチナの暫定自治を認め、イスラエル軍が順次撤退することとなっていましたが、2000年にイスラエルの政治家シャロン氏(のちの首相)がイスラム教の聖地に足を踏み入れたことをきっかけにパレスチナ人が暴徒化、それを止めようとしてイスラエル軍と衝突し、和平合意は崩れ両者は再び対立することとなってしまいました。
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