
簡単で分かりやすい「パレスチナ」と「イスラエル」の違い!国の違いや歴史、対立の原因を歴史大好き元塾講師が詳しく解説!
建国の歴史

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パレスチナはいまだに自分たちの国を持つことができていませんが、イスラエルはユダヤ人国家の建設を成功させました。なぜパレスチナは国家を作ることがきなかったのでしょうか。イスラエルが自分たちの国作ることができた背景が何だったのかを詳しく見ていきます。
イギリスの三枚舌外交
ユダヤ人は歴史上、多くの差別と迫害を受けてきた民族でした。そのため自分たちの国を作りたいと願う思いが強く、シオニズムと呼ばれる「ユダヤ民族国家の建設」という動きが出てきました。一方パレスチナの地はオスマン帝国に支配されており国家の建設には至っていませんでした。
第一次世界大戦中、イギリスはパレスチナ人やユダヤ人に対して次のような約束をしました。
ユダヤ人:ユダヤ民族国家の建設を支持する。
パレスチナ人:パレスチナの地にアラブ系民族国家の独立を支持する。
さらに同盟国フランスに対しては戦後、パレスチナの地を分割統治する密約を結んでいました。このユダヤ系民族、パレスチナのアラブ系民族、そして同盟国フランスに対してのイギリス外交を「三枚舌外交」と呼んでいます。戦後、ユダヤ人、パレスチナ人に対する約束は守られず、イギリスとフランスがパレスチナ及び周辺地域を統治することなりました。
パレスチナ分割決議
イギリスの三枚舌外交に振り回されたパレスチナとイスラエルですが、1930年代以降、ナチスによるユダヤ人大量虐殺(ホロコースト)もあり、1947年に国連において「パレスチナ分割決議」が採択されました。パレスチナの地にパレスチナ人国家とユダヤ人国家の建設を支持するというものです。
しかし、その内容はパレスチナの土地の43%をアラブ系民族に、そして57%をユダヤ系民族に与えるというものでした。少数派のユダヤ系民族に多くの土地が与えられることにアラブ系民族は反対し、アラブ人vsユダヤ人という対立が生じることとなりました。
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