この記事では「パレスチナ」と「イスラエル」の違いをみていきます。パレスチナとイスラエルといえば長期にわたって対立しているのは聞いたことがあるでしょう。両国の過去の歴史をひも解きながら、なぜ和平できないのか、対立の原因は何なのかを歴史好きな元塾講師のyêuthuquáと一緒に解説していきます。

ライター/yêuthuquá

海外在住。現在の仕事を始める前は教育関係の仕事に従事。国内外を問わず身につけた知識や経験をもとにわかりやすくお届けする。

「パレスチナ」と「イスラエル」の違い

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中東にある「パレスチナ」と「イスラエル」、みなさんはどんなイメージを持っていますか。長い対立が続き、いまだにその対立が終わりそうにはありせん。しかし、対立の背景には何かしらの理由があるはずです。その違いを見ていくことで対立の原因が見えてきます。まずは、それぞれ何が違うのか見てきましょう。

「パレスチナ」:アラブ人(パレスチナ人)の国

「パレスチナ」とは正確には国ではありません。古くから地中海の最も東の沿岸地域全体をさして「パレスチナ」と呼んでいました。周りにはヨルダン、エジプト、シリアなどの国があり、パレスチナを含む周辺地域に住んでいるのはアラブ人でした。その中でもパレスチナ地域に住んでいるアラブ人を「パレスチナ人」と呼んでいます。

「イスラエル」:ユダヤ人の国

「イスラエル」は地中海に面した(パレスチナと呼ばれていた)地域にユダヤ人によってつくられたユダヤ人のための国です。ユダヤ人とはユダヤ教を信仰する人々でヘブライ人とも呼ばれ、ユダヤ教に改宗した人々も含みます。首都エルサレムはキリスト教、イスラム教、ユダヤ教の聖地です。

【基本情報】
面積:約2.2万平方キロメートル(四国と同じぐらい)
人口:約950万人
首都:エルサレム(国際社会の多くは認めていない)
公用語:ヘブライ語

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建国の歴史

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パレスチナはいまだに自分たちの国を持つことができていませんが、イスラエルはユダヤ人国家の建設を成功させました。なぜパレスチナは国家を作ることがきなかったのでしょうか。イスラエルが自分たちの国作ることができた背景が何だったのかを詳しく見ていきます。

イギリスの三枚舌外交

ユダヤ人は歴史上、多くの差別と迫害を受けてきた民族でした。そのため自分たちの国を作りたいと願う思いが強く、シオニズムと呼ばれる「ユダヤ民族国家の建設」という動きが出てきました。一方パレスチナの地はオスマン帝国に支配されており国家の建設には至っていませんでした。

第一次世界大戦中、イギリスはパレスチナ人やユダヤ人に対して次のような約束をしました。

ユダヤ人:ユダヤ民族国家の建設を支持する。
パレスチナ人:パレスチナの地にアラブ系民族国家の独立を支持する

さらに同盟国フランスに対しては戦後、パレスチナの地を分割統治する密約を結んでいました。このユダヤ系民族、パレスチナのアラブ系民族、そして同盟国フランスに対してのイギリス外交を「三枚舌外交」と呼んでいます。戦後、ユダヤ人、パレスチナ人に対する約束は守られず、イギリスとフランスがパレスチナ及び周辺地域を統治することなりました。

パレスチナ分割決議

イギリスの三枚舌外交に振り回されたパレスチナとイスラエルですが、1930年代以降、ナチスによるユダヤ人大量虐殺(ホロコースト)もあり、1947年に国連において「パレスチナ分割決議」が採択されました。パレスチナの地にパレスチナ人国家とユダヤ人国家の建設を支持するというものです。

しかし、その内容はパレスチナの土地の43%をアラブ系民族に、そして57%をユダヤ系民族に与えるというものでした。少数派のユダヤ系民族に多くの土地が与えられることにアラブ系民族は反対し、アラブ人vsユダヤ人という対立が生じることとなりました。

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イスラエル建国宣言

1947年に採択されたパレスチナ分割決議をパレスチナ人(アラブ系民族)は拒否しましたが、ユダヤ系民族はこの決議を受け入れ、1948年5月にパレスチナの地に「イスラエル」の独立を宣言し新しい国家を建設しました。初代首相はベングリオン、首都はテル・アビブです。

しかし、イスラエルの建国宣言に反発するアラブ系民族がイスラエルを攻撃し、第一次中東戦争が起こりました。このあと、対立は長い期間続くこととなります。

対立の歴史

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国連のパレスチナ分割決議を受け入れた「イスラエル」と拒否した「パレスチナ」の間には対立が続くこととなりました。パレスチナの地をめぐる両者の対立の歴史、和平に至らない理由などを詳しく見ていきましょう。

中東戦争

イスラエル建国時に起こった第一次中東戦争以降、4度にわたって中東戦争がありました。第二次中東戦争(1956年)後にはPLO(パレスチナ解放機構)が結成され、武装勢力ファタハ(穏健派)がイスラエルに対してゲリラ戦をしかける構図ができました。

第三次中東戦争(1967年)ではイスラエルがエジプト領のガザ地区、ヨルダン領のヨルダン川西岸地区の占領に成功し、さらに西エルサレムを占領しエルサレムを統一するなど、イスラエル軍の圧勝で終わったのです。そしてガザ地区、ヨルダン川西岸地区にはユダヤ人の入植地が建設され、このことがイスラエルとパレスチナの対立が終わらない要因となっています。

第四次中東戦争(1973年)では、アラブ諸国が欧米に対して石油戦略を展開したため石油価格が高騰し、オイルショックなど世界経済に大きな影響を与えました。

オスロ合意

両者が対立し和平合意が進まない中、1993年にノルウェー外相が仲介となりオスロでPLOとイスラエル当事者の間で和平交渉が始まりました。そして同年9月にイスラエルのラビン首相とPLOのアラファト議長の間で「パレスチナ暫定自治に対する原則宣言」(オスロ合意)に調印されました。

これによりイスラエルが占領したガザ地区、ヨルダン西岸地区におけるパレスチナの暫定自治を認め、イスラエル軍が順次撤退することとなっていましたが、2000年にイスラエルの政治家シャロン氏(のちの首相)がイスラム教の聖地に足を踏み入れたことをきっかけにパレスチナ人が暴徒化、それを止めようとしてイスラエル軍と衝突し、和平合意は崩れ両者は再び対立することとなってしまいました。

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和平の破綻と終わらない対立

こうしてパレスチナとイスラエルの和平が続くことはなく、パレスチナ側はイスラエルに対するテロを繰り返し行いました。パレスチナのテロを阻止する目的でヨルダン川西岸地との境界を取り囲むように最大で高さ8メートル、全長700キロメートル以上の壁が築かれました。

パレスチナ側はPLOのアラファト議長が亡くなったあと、過激派の「ハマス」の台頭を受け分裂してしまったことで和平交渉ができる環境ではなくなり現在に至っています

「パレスチナ」vs「イスラエル」はアラブ人とユダヤ人の対立

「パレスチナ」はアラブ系民族が支配する地域、そして「イスラエル」はユダヤ人が建設した国でした。国家を持っていない「パレスチナ」はパレスチナの地に自分たちの国を持ちたいと願い、パレスチナの地に国家を建設した「イスラエル」は自分たちの国家を守りたいと願っています。「パレスチナ」vs「イスラエル」はパレスチナの地を争う対立だったのです。

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雑学

簡単で分かりやすい「パレスチナ」と「イスラエル」の違い!国の違いや歴史、対立の原因を歴史大好き元塾講師が詳しく解説!

この記事では「パレスチナ」と「イスラエル」の違いをみていきます。パレスチナとイスラエルといえば長期にわたって対立しているのは聞いたことがあるでしょう。両国の過去の歴史をひも解きながら、なぜ和平できないのか、対立の原因は何なのかを歴史好きな元塾講師のyêuthuquáと一緒に解説していきます。

ライター/yêuthuquá

海外在住。現在の仕事を始める前は教育関係の仕事に従事。国内外を問わず身につけた知識や経験をもとにわかりやすくお届けする。

「パレスチナ」と「イスラエル」の違い

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中東にある「パレスチナ」と「イスラエル」、みなさんはどんなイメージを持っていますか。長い対立が続き、いまだにその対立が終わりそうにはありせん。しかし、対立の背景には何かしらの理由があるはずです。その違いを見ていくことで対立の原因が見えてきます。まずは、それぞれ何が違うのか見てきましょう。

「パレスチナ」:アラブ人(パレスチナ人)の国

「パレスチナ」とは正確には国ではありません。古くから地中海の最も東の沿岸地域全体をさして「パレスチナ」と呼んでいました。周りにはヨルダン、エジプト、シリアなどの国があり、パレスチナを含む周辺地域に住んでいるのはアラブ人でした。その中でもパレスチナ地域に住んでいるアラブ人を「パレスチナ人」と呼んでいます。

「イスラエル」:ユダヤ人の国

「イスラエル」は地中海に面した(パレスチナと呼ばれていた)地域にユダヤ人によってつくられたユダヤ人のための国です。ユダヤ人とはユダヤ教を信仰する人々でヘブライ人とも呼ばれ、ユダヤ教に改宗した人々も含みます。首都エルサレムはキリスト教、イスラム教、ユダヤ教の聖地です。

【基本情報】
面積:約2.2万平方キロメートル(四国と同じぐらい)
人口:約950万人
首都:エルサレム(国際社会の多くは認めていない)
公用語:ヘブライ語

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