みんなは「サハリン」や「樺太」という地名を聞いたことがあるかな? ニュースをよく見ている人なら、どちらもきっと聞いたことがあるでしょう。これはある島の名前なんです。

ん?「サハリン」と「樺太」って別の島?同じ島なのに2つの名前があるの?…そう感じている人もいるかもしれない。そのような人はぜひこの記事を読んで「サハリン」と「樺太」の違いを理解してほしいぜ。

ということで、今回は「サハリン」と「樺太」の違いについて、ロシア在住の院卒日本語教師の"むかいひろき"と一緒に解説していきます。

ライター/むかいひろき

ロシアの大学に再就職した、日本で大学院修士課程修了の日本語教師。その経験を武器に言葉やロシア周辺地域について分かりやすく解説していく。

「サハリン」と「樺太」は同じ島!

image by iStockphoto

「サハリン」や「樺太」と聞いて、パッと場所を思い浮かべられる人はどのくらいいるでしょうか。パッと場所が思い浮かぶ人でも、「サハリン」だっけ?「樺太」だっけ?と混乱してしまうかもしれませんね。結論から言うと、「サハリン」と「樺太」は同じ1つの島の名前です。

日本とロシアで呼び方が違う

現在「サハリン」「樺太」は、北海道の北に位置する縦長の大きな島のことをいいます。この島の存在は古くから日本で認知されており(ただ、島なのか大陸と陸続きなのかは19世紀まで不明でした)、「からとの島」や「からふと」などと呼ばれていました明治時代に「樺太(からふと)」という名称が正式となり、現在まで名前が残っています。

一方の「サハリン」という呼び名は、中国東北地方の民族の言葉である満州語が由来です。つまり、17世紀以降にこの島に進出してきたロシア人たちは、この満州語の「サハリン」という地名を利用したというわけですね。

つまり同じ1つの島に「サハリン」と「樺太」の2つの名前があるのは、ロシアと日本での呼び方の違いと言えるでしょう

「サハリン」「樺太」の歴史

この「サハリン」「樺太」と呼ばれる島は、地図を見ればわかる通り日本とロシアの間に位置しています。歴史的にも日本とロシア(ソ連)の間で領有権の問題が発生したり、戦闘行為が起きたりしたこともありました。ここでは「サハリン」「樺太」の歴史を簡単に振り返ります。

元々は少数民族の暮らす大地

Sakhalin ainu men II.jpg
ブロニスワフ・ピウスツキ - National Museum of Natural History, National Anthropological Archives, パブリック・ドメイン, リンクによる

「サハリン」「樺太」と呼ばれる島には、元々は日本人もロシア人も住んでいませんでした元々はアイヌ民族やウィルタ、ニヴフといった北方の少数民族が暮らす地だったのです。ただ少なくとも平安時代以降は、日本人との接触が少しずつですが始まっていたようですね。

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日本とロシアの進出

平安時代以降、交易などで日本人が「樺太」に渡ることはしばしばありましたが、大規模なものではありませんでした。日本人が本格的に「樺太」に進出するのは江戸時代初期以降で、松前藩がその管理を行っていました。

一方のロシアも17世紀半ばに「サハリン」に初めて到達して以降、「サハリン」に暮らす少数民族との接触を強めていきます。ロシアが何度も「サハリン」に探検隊を派遣していることは江戸幕府も承知の事実となり、江戸幕府も対抗して調査隊を何度も派遣しました。

日本とロシアの進出は、時には1807年の「文化露寇」と呼ばれる紛争にまで発展します。しかし明確な帰属や国境は定まりませんでした。また、1809年に間宮林蔵が「樺太」と大陸の間に海峡があることを発見し、「樺太」が島であることが正式に判明します。

日本とロシア(ソ連)で帰属が転々と…

幕末に入り日本は欧米諸国と条約を結び、正式な近代的な外交関係を樹立します。その中にはロシアも含まれていました。1855年に締結された日露和親条約では「サハリン」「樺太」の国境を決定することはできず、日本人とロシア人の混住の地とされました。その後1867年にむすばれた条約でも「サハリン」「樺太」は日本人とロシア人の雑居地と定められます。

1875年に千島・樺太交換条約によって「サハリン」「樺太」は全土がロシア領になりました。しかし1904年発生の日露戦争で日本が勝利すると、1905年のポーツマス条約で「サハリン」「樺太」の南半分(南樺太)が日本領となります。

1905年以降、1945年の第二次世界大戦終結まで「南樺太」は日本の一部であり、多くの日本人や当時日本の支配下だった朝鮮人が進出しました。

第二次世界大戦後は全土がソ連(ロシア)領に

第二次世界大戦末期の1945年8月9日、ソ連軍(1922年ロシアはソ連に生まれ変わっていました)が中立条約を一方的に破棄して「南樺太」に侵攻を開始。当時「南樺太」には約40万人の日本人が暮らしており、多くが北海道に脱出しました。

結局「南樺太」はソ連に占領され「サハリン」「樺太」全土がソ連領にソ連崩壊後は新生ロシア連邦がその支配を引き継ぎ現在に至ります

日本は1951年に調印したサンフランシスコ平和条約で「南樺太」の領有を放棄していますが、引き渡し先は明記されていないため、「南樺太」について厳密に言えば、ロシアが実効支配しているものの日本とロシアの国境が定まっていない地帯ということになっているのです。

現在の「サハリン」「樺太」

帝冠様式が特徴の旧樺太庁博物館(現サハリン州立ユジノサハリンスク郷土史博物館)正面入り口玄関
Vihljun - 投稿者自身による著作物, パブリック・ドメイン, リンクによる

こうして現在は「サハリン」「樺太」と呼ばれる1つの島はロシア連邦の支配下にあります。ただ地理的には北海道に非常に近く、かつて南半分が日本領だったこともあり、日本とのつながりが深い地でもあるのです。

ロシア連邦のサハリン州

現在の「サハリン」「樺太」は全土がロシア連邦の「サハリン州」の一部となっています。「サハリン州」は「サハリン」「樺太」の他、一部を日本が領有権を主張している「クリル列島」がその範囲です。

現在の「サハリン」「樺太」のうち、かつて「南樺太」だった南半分には日本統治時代の遺構が多く残されており、建物は現在もそのまま使用されていることも多いですね。また、歴史的な背景から日本人の墓地が複数あったり、現在も暮らし続ける日本人や日本にルーツがある人が多くいたりするため、ユジノサハリンスク市に日本総領事館が置かれています。

\次のページで「「サハリン」と「樺太」は同じ島!」を解説!/

「サハリン」と「樺太」は同じ島!

今回は「サハリン」と「樺太」の違いについて解説しました。「サハリン」と「樺太」は北海道の北に位置するある1つの島の名称です。1つの島に対して「サハリン」と「樺太」という2つの名前があるのは、ロシアと日本での呼び方の違いが理由でした。「サハリン」「樺太」の歴史を振り返ると、残念ながら悲しい話が数多く出てきます。これからの世界が少しでも平和になるよう、このような悲しい話は決して風化させることなく、語り継いでいくことが大切でしょう。

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雑学

簡単に分かる「サハリン」と「樺太」の違い!実は同じ場所?ロシアに暮らす院卒日本語教師が分かりやすく解説

日本とロシアの進出

平安時代以降、交易などで日本人が「樺太」に渡ることはしばしばありましたが、大規模なものではありませんでした。日本人が本格的に「樺太」に進出するのは江戸時代初期以降で、松前藩がその管理を行っていました。

一方のロシアも17世紀半ばに「サハリン」に初めて到達して以降、「サハリン」に暮らす少数民族との接触を強めていきます。ロシアが何度も「サハリン」に探検隊を派遣していることは江戸幕府も承知の事実となり、江戸幕府も対抗して調査隊を何度も派遣しました。

日本とロシアの進出は、時には1807年の「文化露寇」と呼ばれる紛争にまで発展します。しかし明確な帰属や国境は定まりませんでした。また、1809年に間宮林蔵が「樺太」と大陸の間に海峡があることを発見し、「樺太」が島であることが正式に判明します。

日本とロシア(ソ連)で帰属が転々と…

幕末に入り日本は欧米諸国と条約を結び、正式な近代的な外交関係を樹立します。その中にはロシアも含まれていました。1855年に締結された日露和親条約では「サハリン」「樺太」の国境を決定することはできず、日本人とロシア人の混住の地とされました。その後1867年にむすばれた条約でも「サハリン」「樺太」は日本人とロシア人の雑居地と定められます。

1875年に千島・樺太交換条約によって「サハリン」「樺太」は全土がロシア領になりました。しかし1904年発生の日露戦争で日本が勝利すると、1905年のポーツマス条約で「サハリン」「樺太」の南半分(南樺太)が日本領となります。

1905年以降、1945年の第二次世界大戦終結まで「南樺太」は日本の一部であり、多くの日本人や当時日本の支配下だった朝鮮人が進出しました。

第二次世界大戦後は全土がソ連(ロシア)領に

第二次世界大戦末期の1945年8月9日、ソ連軍(1922年ロシアはソ連に生まれ変わっていました)が中立条約を一方的に破棄して「南樺太」に侵攻を開始。当時「南樺太」には約40万人の日本人が暮らしており、多くが北海道に脱出しました。

結局「南樺太」はソ連に占領され「サハリン」「樺太」全土がソ連領にソ連崩壊後は新生ロシア連邦がその支配を引き継ぎ現在に至ります

日本は1951年に調印したサンフランシスコ平和条約で「南樺太」の領有を放棄していますが、引き渡し先は明記されていないため、「南樺太」について厳密に言えば、ロシアが実効支配しているものの日本とロシアの国境が定まっていない地帯ということになっているのです。

現在の「サハリン」「樺太」

帝冠様式が特徴の旧樺太庁博物館(現サハリン州立ユジノサハリンスク郷土史博物館)正面入り口玄関
Vihljun投稿者自身による著作物, パブリック・ドメイン, リンクによる

こうして現在は「サハリン」「樺太」と呼ばれる1つの島はロシア連邦の支配下にあります。ただ地理的には北海道に非常に近く、かつて南半分が日本領だったこともあり、日本とのつながりが深い地でもあるのです。

ロシア連邦のサハリン州

現在の「サハリン」「樺太」は全土がロシア連邦の「サハリン州」の一部となっています。「サハリン州」は「サハリン」「樺太」の他、一部を日本が領有権を主張している「クリル列島」がその範囲です。

現在の「サハリン」「樺太」のうち、かつて「南樺太」だった南半分には日本統治時代の遺構が多く残されており、建物は現在もそのまま使用されていることも多いですね。また、歴史的な背景から日本人の墓地が複数あったり、現在も暮らし続ける日本人や日本にルーツがある人が多くいたりするため、ユジノサハリンスク市に日本総領事館が置かれています。

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