国鉄三大ミステリー事件の1つ「三鷹事件」とは?事件の経過を国鉄の歴史とともに行政書士試験合格ライターが簡単にわかりやすく解説
二転三転する供述
三鷹事件の裁判では、竹内被告が自らの単独犯行であることを何度も主張しました。その主張が認められ、竹内被告以外の9名には無罪判決が言い渡されることになります。当局が共同謀議であると推定したことは「空中楼閣」であるとして、裁判で退けられたのです。
しかし、竹内被告の供述は二転三転していたことが後に明らかとなりました。当初は全面否認だったのが、捜査が進むにつれて単独犯行へと主張を変えて、さらには複数による犯行だったとまで証言したのです。弁護士による助言があったから、もしくは取り調べで自白を強要されたからなどの説もありますが、今となっては知る由もありません。
1人だけ死刑判決
三鷹事件の竹内被告には、第一審で無期懲役が言い渡されました。事件は6名が死亡する大惨事でしたが、人員整理があったことなどで情状酌量が認められたためです。しかし、第二審は判決が覆されます。無期懲役を破棄し、竹内被告には死刑が言い渡されたのです。
第二審では書面審理だけで判決が覆されたことが問題視されました。しかし、最高裁も口頭弁論が開かれぬまま結審して、判決は死刑のままでした。さらに、評決の結果は8対7と1票差だったため、波紋を呼ぶこととなります。そのため、三鷹事件以降の裁判は、死刑判決の上告審で必ず口頭弁論が開かれることが慣例となりました。
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再審請求
第二審で死刑判決が出た後から竹内元死刑囚は無実を訴え続け、死刑判決後も再審請求しています。再審請求にあたっては、電車の構造や現場の状況などから、単独での犯行は不可能だとする鑑定結果が得られました。また、犯行時間とされる頃に竹内元死刑囚が風呂に入っていたとするアリバイもあったようです。
しかし、竹内元死刑囚は東京拘置所内で頭痛を訴えると、1967(昭和42)年に病気のため亡くなりました。当時まだ45歳でした。それから45年が鑑定結果が経過した2011(平成23)年、今度は竹内元死刑囚の長男が再審請求します。2022(令和4)年に東京高裁で棄却されましたが、さらに最高裁へ特別抗告しました。
レッドパージ
日本では、1950(昭和25)年頃よりレッドパージ(赤狩り)が行われていました。レッドパージとは、共産党員やその同調者を職場から一方的に解雇することです。GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の命令で行われるようになりました。1万人以上がその対象になったとされます。
三鷹事件でも、レッドパージの影響により、事件当初から共産党員が犯行に加わったと疑われたのです。共産党員が次々と逮捕されたのは、そのような背景があったからでした。しかし、特定の思想を持っているというだけで、事件の容疑者に仕立て上げられるのは危険と言わざるをえません。実際に、三鷹事件で起訴された共産党員はすべて無罪となりました。
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