現在の日本と韓国のあいだでは定期的に竹島問題が過熱する。それぞれの主張はどうして食い違ってしまうのでしょうか。衝突の原因のひとつが李承晩ライン。第二次世界大戦後、日本の戦後処理の一環であるサンフランシスコ平和条約を締結する際、韓国は日本に竹島を手放すことを訴えていた。

海外諸国は韓国の訴えをどのように受け止めたのでしょうか。複数の主張を比較しながら李承晩ライン設定の経緯を世界史に詳しいライターひこすけと一緒に解説していきます。

ライター/ひこすけ

アメリカの歴史と文化を専門とする元大学教員。国際関係全般にも興味があり気になることがあると調べてみる。近年、緊張が増している竹島問題を再考するために「李承晩ライン」を調べてみることにした。

李承晩ラインが設定される経緯とは?

Syngman Rhee.jpg
퍼블릭 도메인, 링크

戦後、領土は国際法に従って策定されるようになりました。それにより領土争いやそれによる国家間の衝突を避けることができるからです。それに対して李承晩ラインは戦後に韓国が独自に引いた海上の国境線。国際法上の日本の海域にも入り込んでいることから、日本にとっての脅威となりました。

サンフランシスコ平和条約の締結に向けて

李承晩ラインが引かれるきっかけになったのが第二次世界大戦後に締結されたサンフランシスコ平和条約。日本と連合国各国との平和を維持するための国際法です。1951年9月8日に調印され、1952年4月28日から発効されました。サンフランシスコ平和条約の締結により日本と各国とのあいだの戦争状態は終わりとなりました。

サンフランシスコ平和条約の内容で大きなものとしては日本の領土の放棄の明文化。台湾や澎湖諸島、国際連盟からの委任統治領であった南洋諸島の権利は放棄されました。朝鮮の独立もこの時に承認されます。このとき放棄の対象とならなかった地域や島については日本の領土と見なされたということ。今、韓国との衝突の原因となっている竹島は日本の領土とされました

サンフランシスコ平和条約の内容はいわゆる戦後処理に関わるもの。これからズルズルと賠償を訴えられると先に進めません。そこで賠償金を支払ってひとつの区切りとされました。日本はフィリピンに対し5億5千万ドル、ベトナムに対して3千900万ドルの賠償を行いました。韓国については、1965年に締結された日韓請求権・経済協力協定に基づき、5億ドルの経済協力と引き換えに財産・請求権問題の解決が確認されました。

日本の領土放棄に竹島は含まれず

サンフランシスコ平和条約では、日本が放棄するべき領土としては、「済州島、巨文島及び鬱陵島を含む朝鮮」と明記されました。つまりこの内容を基準にすると竹島は日本が放棄する領土ではありません。そのため韓国はサンフランシスコ平和条約に納得できず、異議を申し立てました。

韓国が要求したのは「日本による朝鮮の併合前に朝鮮の一部であった島々に対するすべての権利」という文言に変更すること。しかしながらこの訴えは却下されました。竹島がどちらの領土となるのかについては、それぞれの歴史資料から策定するしかありません。その説得力は日本のほうが上と見なされたのです。

\次のページで「李承晩ラインの設定でどのような問題が生じた?」を解説!/

李承晩ラインの設定でどのような問題が生じた?

Dokdo-Tourists.JPG
Ulleungdont - http://www.dokdo-takeshima.com/gallery-2, CC 表示-継承 3.0, リンクによる

李承晩ラインとは、1952年1月18日に韓国の初代大統領である李承晩が大統領令により強引に制定した海洋上の境界線。その名目は韓国と周辺国とのあいだの水域区分、資源、主権を保護するということです。周辺国の主な対象は日本。漁船の侵入を防ぐことも意図されました。境界線の内側には、米軍の空爆演習区域であった竹島も含まれていました。

韓国が希望したのはマッカーサーラインの継続

第二次世界大戦後、日本と韓国の境界線の位置は若干異なっていました。それはマッカーサーラインと呼ばれるもので、韓国に有利な内容となっていました。韓国はマッカーサーラインの継続を希望。しなしながらサンフランシスコ平和条約発効によって無効となりました。韓国はマッカーサーラインの代わりになるものとして李承晩ラインを独自に設定。韓国では「平和線」と呼ばれています。

サンフランシスコ平和条約の内容を無視するもののためアメリカが韓国に警告。李承晩ラインを認めることはできないと厳しく通告してきました。しかしながら韓国はアメリカの通告を聞き入れることはしませんでした。李承晩ラインが撤廃されるまでの13年のあいだ、日本と韓国は海域をめぐって衝突を繰り返すことになります。

韓国側に竹島が含まれたため衝突が増加

とくに大きな問題となったのが竹島をどのように取り扱うのかという問題です。13年のあいだ、韓国は日本の漁船233隻を拿捕しました。それにより2791人の猟師を拘束。そのうち5人は抑留中になくなっています。韓国当局に拿捕された猟師たちは劣悪な環境での拘留を強いられました。

狭い部屋の中に大勢で閉じ込められ、ときには暴力を振るわれたと当事者は回想しています。日本漁船の多くは警戒してか李承晩ラインの内側には入っていませんでした。それにも関わらず李承晩ラインの内側に侵入したという供述を強いられたとのこと。食事は劣悪で、腸チフスなどの病気が流行ったことで、死亡者も出てしまいました。

李承晩ラインをめぐる日韓の主張の違い

image by PIXTA / 31575940

日本と韓国は、竹島の領有についてはそれぞれの根拠を主張しています。ただ、それぞれの国の歴史資料による根拠のため、残念ながらほとんんどが一致していません。サンフランシスコ平和条約では日本の歴史資料が支持されました。ただ、韓国では韓国独自の解釈が教えられ、日本が不法占拠しているという認識になっています。

韓国側の竹島に関する主張

韓国が主張する根拠のひとつが17世紀の日韓交渉。安龍福という朝鮮人が日本に渡航し、竹島は自国の領土であると抗議しました。それにより日本は竹島を韓国の領土と認めたという歴史事実があるとのこと。ただ日本の資料によるとこのときの交渉は決裂。日本側は鬱陵島の渡航は禁止としているものの竹島は変化なしであるなど、内容は一致していません。

それ以外にも、竹島を石島として韓国領に編入する勅令を出している韓国の官撰文献には、自国の領土として竹島が自国の領土として記されていることも主張しています。ただ、勅令の中で石島という記載はあるものの、それが竹島という根拠は微妙。韓国の官撰文献についても竹島と明確に分かる記載はないとされています。

\次のページで「日本側の竹島に関する主張」を解説!/

日本側の竹島に関する主張

日本は江戸時代から幕府の公認のもと竹島でアワビ、ナマコ、ワカメ漁などを展開。それらの実績を根拠に、竹島を島根県隠岐島庁に編入することを閣議で取り決めました。1905年1月28日のことです。このとき日本側としては竹島は日本の領土となりました。国際社会に発信するための手続きはしていませんが、新聞などでは告知されていました。

日本は江戸時代からの竹島とのかかわりを示す歴史資料などの根拠を持っています。しかし、領土の策定については国際法を遵守。サンフランシスコ平和条約は1905年1月28日の島根県隠岐島庁編入を根拠に竹島は日本の領土と決定。韓国と日本の意見の相違は理解したうえで、あくまで国際法に従うという立場をとっています。

ここまで何度も国際法という言葉が出てきました。国際法とは国際的な慣習法のこと。国家間で認識の違いが生じるのは当然のこと。そのギャップを埋めるために締結されるのが国際法です。内政不干渉の原則や公海自由の原則は世界共通の暗黙のルール。ただし、サンフランシスコ平和条約のように国際法を明文化することもあります。国際法があることで戦争が回避されることも少なくありません。そのため李承晩ラインは、国際法の取り決めが守られなかったという点でルール違反と捉えることも可能でしょう。

日韓基本条約の締結による李承晩ラインの廃止

image by PIXTA / 6563181

李承晩ラインによって長らく緊張が走っていた日韓関係の正常化が図られます。それが日韓基本条約。1965年6月22日に韓国の朴正煕大統領と佐藤栄作内閣のあいだで締結されました。無償3億ドルおよび有償3億ドルの経済援助を行うことと引き換えに賠償問題は終結。李承晩ラインは無効となり日韓の国交は正常化されました。

日本は多額の経済協力を約束

このとき日本が韓国に対して行った経済支援はかなりの額になります。無償3億ドルおよび有償2億ドルですが、無償分だけでも当時の韓国の国家予算に匹敵するものでした。韓国は日本の経済支援を活用してダムや鉄道の建設など公共事業を大々的に展開。その後の韓国の経済の急成長の足掛かりを作りました。このときの経済発展は漢江の奇跡と呼ばれています。

李承晩ラインは無効化されたものの、あくまでアメリカによる説得に応じてのもの。日韓の歴史認識の相違は解決したわけではありません。とくに領土問題の細かい部分が明確化されなかったため、今でも竹島の領有などの火種を残す結果となってしまいました。また日本は、韓国は賠償権を放棄したと考えていましたが、韓国では必ずしもそういう認識を持っていませんでした。

日本は漁船拿捕の賠償請求権を放棄

李承晩ラインが制定されていた時期、日本の漁船が拿捕されて船員らが韓国に拘留。なかには死亡する船員もいました。漁船拿捕についての賠償請求権を日本は放棄。被害にあった人たちについての保障は国内で行うことになりました。特別給付金は総額で約38億円。すでに支払い済の見舞金約14億円を含めると50億円以上の保障額となっています。

保障の対象となったのは、拿捕漁船325隻、抑留乗組員3796人、障害者84人、死亡者29人。李承晩ラインの撤廃は安全に漁業を行いたい西日本の漁業関係者の悲願でした。そこで日本政府は賠償請求権を放棄するという選択をとりました。それにより韓国側の請求権も相殺されるはずでしたが、李承晩ラインの廃止後も衝突が尽きず現在に至ります

\次のページで「李承晩ラインはまだ消滅していない」を解説!/

現在の韓国ではときおり竹島への強制上陸が行われています。その理由は、韓国側からパスポートなしで上陸すれば韓国の領土という意味になるから。ツアーも組まれていますので日本人も竹島に上陸することは可能。しかし日本政府としては韓国の領土であることを認めることになるためツアーの参加を推奨していません。

李承晩ラインはまだ消滅していない

国際法上、竹島は日本の領土です。しかし、サンフランシスコ平和条約も日韓基本条約でも小さな島まで細かく規定しておらず、韓国側からすると領土の主権を主張する余地があると判断されたのでしょう。多額の経済支援と引き換えに李承晩ラインは国際法上は無効化されているものの、海域の線引きについては納得にまで至っていません。今でも現在進行形の問題。ぜひニュースを見て動向をチェックしてみるといいでしょう。

" /> 「李承晩ライン」が設定された経緯は?サンフランシスコ平和条約との関係も元大学教員が分かりやすく解説 – Study-Z
アジアの歴史世界史

「李承晩ライン」が設定された経緯は?サンフランシスコ平和条約との関係も元大学教員が分かりやすく解説

現在の日本と韓国のあいだでは定期的に竹島問題が過熱する。それぞれの主張はどうして食い違ってしまうのでしょうか。衝突の原因のひとつが李承晩ライン。第二次世界大戦後、日本の戦後処理の一環であるサンフランシスコ平和条約を締結する際、韓国は日本に竹島を手放すことを訴えていた。

海外諸国は韓国の訴えをどのように受け止めたのでしょうか。複数の主張を比較しながら李承晩ライン設定の経緯を世界史に詳しいライターひこすけと一緒に解説していきます。

ライター/ひこすけ

アメリカの歴史と文化を専門とする元大学教員。国際関係全般にも興味があり気になることがあると調べてみる。近年、緊張が増している竹島問題を再考するために「李承晩ライン」を調べてみることにした。

李承晩ラインが設定される経緯とは?

Syngman Rhee.jpg
퍼블릭 도메인, 링크

戦後、領土は国際法に従って策定されるようになりました。それにより領土争いやそれによる国家間の衝突を避けることができるからです。それに対して李承晩ラインは戦後に韓国が独自に引いた海上の国境線。国際法上の日本の海域にも入り込んでいることから、日本にとっての脅威となりました。

サンフランシスコ平和条約の締結に向けて

李承晩ラインが引かれるきっかけになったのが第二次世界大戦後に締結されたサンフランシスコ平和条約。日本と連合国各国との平和を維持するための国際法です。1951年9月8日に調印され、1952年4月28日から発効されました。サンフランシスコ平和条約の締結により日本と各国とのあいだの戦争状態は終わりとなりました。

サンフランシスコ平和条約の内容で大きなものとしては日本の領土の放棄の明文化。台湾や澎湖諸島、国際連盟からの委任統治領であった南洋諸島の権利は放棄されました。朝鮮の独立もこの時に承認されます。このとき放棄の対象とならなかった地域や島については日本の領土と見なされたということ。今、韓国との衝突の原因となっている竹島は日本の領土とされました

サンフランシスコ平和条約の内容はいわゆる戦後処理に関わるもの。これからズルズルと賠償を訴えられると先に進めません。そこで賠償金を支払ってひとつの区切りとされました。日本はフィリピンに対し5億5千万ドル、ベトナムに対して3千900万ドルの賠償を行いました。韓国については、1965年に締結された日韓請求権・経済協力協定に基づき、5億ドルの経済協力と引き換えに財産・請求権問題の解決が確認されました。

日本の領土放棄に竹島は含まれず

サンフランシスコ平和条約では、日本が放棄するべき領土としては、「済州島、巨文島及び鬱陵島を含む朝鮮」と明記されました。つまりこの内容を基準にすると竹島は日本が放棄する領土ではありません。そのため韓国はサンフランシスコ平和条約に納得できず、異議を申し立てました。

韓国が要求したのは「日本による朝鮮の併合前に朝鮮の一部であった島々に対するすべての権利」という文言に変更すること。しかしながらこの訴えは却下されました。竹島がどちらの領土となるのかについては、それぞれの歴史資料から策定するしかありません。その説得力は日本のほうが上と見なされたのです。

\次のページで「李承晩ラインの設定でどのような問題が生じた?」を解説!/

次のページを読む
1 2 3 4
Share: