平安時代日本史

平安時代に庶民のあいだで大流行した「真言宗」とは?始祖の空海の人生と共に元大学教員が簡単にわかりやすく解説

事業を通じて真言宗を広める空海

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空海が真言宗を広めるために利用したのが教育の力。たくさんの人に真言の教えを知ってもらおうと学校を設立しました。さらには天皇にも接近。権力の近くにいることで安全に真言宗の教えを広めていきました。

事業家として大成功した空海

空海が建てた学校というのは綜芸種智院(しゅげいしゅちいん)。空海は宗教人ではありますが、同時に社会性もある人物でした。また能書家という一面もあり、嵯峨天皇に重んじられました。その結果、政治力も獲得。このような社会性と政治性も真言宗が広まった大きな要因と言えるでしょう。

古代の人は偉人や尊敬すべき人を「タイシ」と呼んでいました。空海も同様。「弘法大師」と呼ばれています。空海に関しては数々の伝説も作られました。ほとんどは彼の死後に創作されたもの。宮中の神泉苑で雨ごいの祈祷を行なった時に、三日間大雨が降ったという話は有名。しかしながらこれはもちろん伝説です。

空海の伝説の中で、もっとも広く普及しているのは「弘法清水」の逸話。ある村の女が泉のほとりで大根を洗っていたら乞食坊主がやってきて「大根一本めぐんでくれ」と言いました。女が断ると坊主は持っていた錫杖で泉の辺りの土を叩きます。すると泉の水が止まり、この村は水を確保するのに非常に苦労するようになりました。一方、乞食坊主に水を飲ませてやった村は、乞食の錫杖の力により泉がこんこんと湧き出るように。水で苦労することはなくなりました。乞食はもちろん空海。現世で善行を積むことの大切さを学ぶために創作させたのでしょう。

「弘法清水」の元ネタは村の伝説

この伝説は、元々古くから村に伝わっていた「無名のタイシ伝説」が元ネタ。無名のタイシが「弘法大師」と結びつけられました。空海の開いた真言宗が、当時どれほど民衆の支持を受けたかは不明。しかしながら、村の伝説が空海の伝説につながっていることを考えると、大衆に愛される存在であったことは間違いないでしょう。

ただ、密教の教義をしっかり理解している僧は阿闍梨と呼ばれ、別格とされていました。阿闍梨は大衆とは一定の距離を持ち、接触することはほとんどありませんでした。阿闍梨がつながりを持ったのは天皇や貴族などの権威。大衆には大衆の教え、権威には権威の教えとすみわけをすることで真言宗は発展していったのでしょう。

お遍路さん文化は真言宗の教えの名残

空海の足跡として「四国88カ所霊場めぐり」という習慣が今でも残っています。空海にゆかりのある四国の寺院を巡礼する旅。「遍路」とも呼ばれています。お遍路さんと言えば「あ、聞いたことがある」という人も多いのではないでしょうか。真言宗は今でもとても身近な宗派ですが、本来の宗教はとてもハードルが高いもの。宗教のハードルを下げることに成功し、密教ブームを作り出した空海は、ビジネスセンスも抜群の人だったと言えるでしょう。

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