平安時代日本史

平安時代に庶民のあいだで大流行した「真言宗」とは?始祖の空海の人生と共に元大学教員が簡単にわかりやすく解説

真言宗は暗記力アップとして人気

真言宗の特徴のひとつが供養するとき「護摩」を行うこと。「護摩」とは「息災・増益・降伏・敬愛などを祈願すること」を意味する古代インドのサンスクリット語です。本尊である不動明王の前に火を焚いた炉を置いて、ヌルデなどの護摩木を燃やして煙と匂いを充満させ、それで悪行を消滅させました。加持祈祷、火、煙、呪文はそれぞれに意味があり、欠かせないものでした。

奈良時代から平安時代にかけて僧になるための試験は暗記物のみ。大量の仏典を暗記しなければならならず、記憶力は僧たちに取って切実な問題でした。真言宗は「呪文を暗記するから記憶力が良くなる」とアピール。試験合格に向けて記憶力を増進するのに役立つと、僧になることを目指す人々に宣伝しました。「真言を唱えて記憶力を増そう」というキャッチフレーズがヒットにつながったのです。

日本古来の信仰も取り込んでいる

博学であり文人でもある空海は日本古来の神々に関する知識も豊富。渡来人の秦氏に由来する伏見稲荷を816年に移動。神社を稲荷山三箇峰から現在の場所へ移しました。夢のお告げがあったと語られていますがその真意は不明。日本古来の信仰を取り込むと同時に、朝廷に強い影響と財を持つ秦氏とのつながりを深めたかったのかもしれません。

平安貴族たちは我も我もと伏見稲荷へ詣でるように。伏見稲荷の知名度は瞬く間に高まりました。周辺の商いも盛んになったため、秦氏にとっても朝廷にとっても空海自身にとっても、いいこと尽くしだったのではないでしょうか。

真言宗の寺の中には、境内に小さな神社があり、伏見稲荷を祀っている所がありました。しかしながら明治時代、廃仏毀釈によりたくさんの仏像が破壊されました。「釈迦の教えである仏教を捨てる」ことが政府により命じられたからです。その時に寺のなかにある神社や、そのなかにある境内も壊され、ほとんどが消滅しました。

アイデアマン「空海」とはどんな人物?

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空海の別名は弘法大師。宝亀5年(774年)に今の香川県である讃岐国屏風浦にて生まれました。学者の多い家柄の生まれだった空海は、少年時代は真魚(まうお)と呼ばれ、神童と讃えられていました。延暦23年、遣唐使とともに唐に渡り密教を伝授され、日本で真言宗を開きました。

修験者の修行にのめりこんだ青春時代

真魚は15歳のとき、東宮学士の伯父につれられて長岡京へやってきました。長岡京とは平安京を建設する前にあった都。現在の乙訓郡向町の辺りに広がっていました。一時的に存在していたに過ぎない都ですが、多くの知識人が集まり学問を競い合っていました。若き日の空海は学びを求めてそこにやってきたのです。

18歳で大学の明経道という試験に合格。しかし在学中、ひとりの行者から神秘的な修法である虚空蔵求問持法(こくうぞうぐもんじほう)のことを聞き、大学を去ることを決意。行者とは、仏道を修業する修験者つまりは山伏のこと。寺には属せず山のなかで修業していました。空海はこの行者についていき、山林遍歴をするようになりました。

虚空蔵求問持法というのは、虚空蔵菩薩を本尊にまつり、陀羅尼(真言)をとなえる荒行のこと。記憶力を高めるため決まった期間に虚空蔵菩薩の真言を百万遍唱えるという方法です。

空海は、このような古来から続く荒行に心惹かれるものの、それは本当の仏の教えではないと考えるようになりました。そこで空海が行きついたのが「経」。お釈迦さまである釈迦牟尼の説いた教えのことです。

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