

今回は「聖武天皇」について、歴史オタクのライターリリー・リリコと一緒にわかりやすく解説していくぞ。
- 1.「聖武天皇」異例の即位と異例の皇后に渦巻く政治不安
- 娘を皇后に!藤原家の基礎を築いた祖父「藤原不比等」の野望
- 火花散る!藤原家と対立した皇族の中の皇族「長屋王」
- 呪いで皇子が亡くなった!?「長屋王の変」
- 長屋王のたたり?天然痘大流行に乱勃発で大荒れの平城京
- 2.災難続きなのは都の場所が悪いせい?三度に及ぶ遷都「彷徨五年」
- 不安から恭仁宮、難波宮、紫香楽宮を転々とするが…
- 朝廷からの弾圧を退けた!?奈良時代の仏教僧「行基」
- 紫香楽宮遷都は悪手だった?平城京への帰還
- 3.東大寺の大仏は奈良時代から!仏教で国を守る「鎮護国家」成立
- 国分寺と国分尼寺の中心「東大寺」と「盧舎那仏」の建立
- 仏教が日本を守ってくれる?「鎮護国家」の思想
- 日本でも受戒できるようにしよう!「鑑真」来日
- 波乱の奈良時代を乗り越えるべく奮闘した聖武天皇
この記事の目次

解説/桜木建二
「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

ライター/リリー・リリコ
興味本意でとことん調べつくすおばちゃん。座右の銘は「何歳になっても知識欲は現役」。大学の卒業論文は義経をテーマに執筆。大河ドラマや時代ものが好き。今回は藤原家が隆盛のはじまりとなった「聖武天皇」について詳しくまとめた。
1.「聖武天皇」異例の即位と異例の皇后に渦巻く政治不安

古代の日本を治めてきた「天皇」。天皇は代々皇族の父と母から生まれた皇子が即位するものでした。しかし、今回のテーマとなる「聖武天皇」の母は藤原家出身の夫人・藤原宮子で、皇族ではありません。母が皇族出身でないのと、聖武天皇が病弱であったため、即位は延期を重ねられ、その間に中継ぎの天皇として元正天皇が即位するほどだったのです。
ようやく、即位がかなったのは24歳の時。けれど、やはり上記の理由で聖武天皇の政治基盤は決して安定したものではありませんでした。
娘を皇后に!藤原家の基礎を築いた祖父「藤原不比等」の野望
聖武天皇の祖父「藤原不比等」は、飛鳥時代の末に活躍した「中臣鎌足」の息子であり、藤原氏の隆盛への道を切り開いた重要人物です。前述通り、聖武天皇は藤原不比等の娘・藤原宮子を母に、さらに妻のひとりに藤原不比等の娘・藤原光明子を迎えます。
このとき、藤原不比等は娘の藤原光明子を数いる天皇の夫人のひとりではなく、聖武天皇の皇后にしようと考えました。しかし、当時の皇后は夫の天皇亡きあとに即位することがあるため、皇族の血を引く特別な女性でなければなりません。なので、藤原光明子はもちろん皇族ではありませんから、皇后になる資格はなかったのです。
にもかかわらず、藤原不比等は自ら築いた権力をもって藤原光明子の立后を果たそうとしました。それに猛反対したのが、藤原不比等に次ぐ権力者の「長屋王」でした。
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火花散る!藤原家と対立した皇族の中の皇族「長屋王」
長屋王は天智天皇の長男を父に持ち、母もまた天武天皇の娘という皇族の中でも特別な存在でした。そのうえ、若い聖武天皇に代わって政治を行う有力者でもあります。皇族の代表のような人物ですね。そんな立場だからこそ、前例のない非皇族の皇后が誕生することに猛反対したのでしょう。
そんな対立のなか、藤原不比等は病気で亡くなってしまい、代わりに四人の息子たちが表に立ちました。兄弟は藤原不比等の生前からそれぞれ別の家を継いでおり「藤原四家」の祖となっています。この四家こそが藤原南家、北家、式家、京家です。
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