日本の非核三原則は矛盾している?歴史や今後の課題などを行政書士試験合格ライターが簡単にわかりやすく解説
沖縄返還協定に非核三原則が盛り込まれる
終戦後の沖縄は、アメリカの統治下に置かれていました。1950年代より、沖縄の日本への復帰を要望する声が大きくなります。1969(昭和44)年に日米首脳会談が行われると、アメリカのニクソン大統領と日本の佐藤首相との間で協議され、沖縄返還が合意に達したのです。
1971(昭和46)年に沖縄返還協定が調印され、翌年に沖縄が日本に復帰しました。その際に、政府は沖縄にも非核三原則を適用させるべきと判断。1971年に、衆議院で「非核兵器ならびに沖縄米軍基地縮小に関する決議」を、沖縄返還協定の付帯決議として議決させました。
佐藤栄作がノーベル平和賞を受賞
1974(昭和49)年、ノーベル平和賞を受賞したのは2人の政治家でした。1人は、アムネスティ・インターナショナルなどを創設した、アイルランド出身の国際政治家であるショーン・マクブライド。もう1人が佐藤栄作です。佐藤は非核三原則を提唱したことが認められて、ノーベル平和賞を受賞しました。
非核三原則の提唱は、ノーベル平和賞に値することでしょう。しかし、佐藤のノーベル平和賞受賞を疑問に思う人が少なくはありません。その理由として多く挙がるのが、アメリカによるベトナム戦争を佐藤が支持していたとされることです。後で紹介する「密約」も、受賞に反対する根拠として挙げられています。
核拡散防止条約の付帯決議
核拡散防止条約(NPT)は1968(昭和43)年に国連で採択された後に調印され、1970(昭和45)年に発効しました。核兵器の保有を国連常任理事国に限定した上で、核兵器の他国への譲渡や非核保有国の核兵器製造などを禁止したものです。現在では、世界のほとんどの国が核拡散防止条約に参加しています。
1976(昭和51)年に、日本は核拡散防止条約に批准しました。条約の採択には付帯決議もされています。その中で、「非核三原則が国是として確立されていることにかんがみ、いかなる場合においても、これを忠実に遵守すること」という項目が加えられました。
日本は核の傘に守られている
もちろん日本は核の保有や製造をしていません。そればかりか、日本国憲法第9条で戦争の永久放棄や戦力の不保持を宣言しています。今でも自衛隊と憲法9条の関係は議論されていますが、少なくとも主権を守るために国家を防衛するための組織は必要でしょう。
しかし、日本はアメリカの「核の傘」に守られているという現実があります。「核の傘」とは、核保有国が核の抑止力をもって非保有国の安全を維持することです。日本とアメリカは同盟関係なので、自ずからそのような状況になるのかもしれません。いずれにせよ、日本は非核三原則を掲げながら核の傘に守られているという矛盾があるのです。
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