
日本の非核三原則は矛盾している?歴史や今後の課題などを行政書士試験合格ライターが簡単にわかりやすく解説

唯一の被爆国である日本だからこそ、非核三原則が生まれたのは当然といえるだろう。だが、非核三原則には矛盾があるという意見が多い。なぜそんな意見が出るのだろうか。
非核三原則が生まれた背景や矛盾があるといわれる原因などを、日本史に詳しいライターのタケルと一緒に解説していくぞ。
- 非核三原則とは?
- 「持たず、作らず、持ち込ませず」
- 元となったのは佐藤栄作の発言
- 非核三原則が大きく関与した出来事
- 沖縄返還協定に非核三原則が盛り込まれる
- 佐藤栄作がノーベル平和賞を受賞
- 核拡散防止条約の付帯決議
- 日本の非核三原則にある矛盾とは?
- 日本は核の傘に守られている
- 「持ち込ませず」が守られなかったという疑惑
- 日本は核兵器禁止条約に不参加
- 非核三原則と原子力発電所は矛盾するのか?
- 原発から核を製造することはありえない
- 東日本大震災以降は原発の稼働が慎重に
- 日本の核政策と非核三原則の今後考えられる課題
- 唯一の被爆国である日本のリーダーシップ
- 核共有を認めるか否か
- 非核三原則について議論の余地はある
この記事の目次

解説/桜木建二
「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

ライター/タケル
資格取得マニアで、士業だけでなく介護職員初任者研修なども受講した経験あり。現在は幅広い知識を駆使してwebライターとして活動中。
「持たず、作らず、持ち込ませず」
日本においての「非核三原則」とは、核兵器を「持たず、作らず、持ち込ませず」という内容の政策です。「持たず」は日本が核兵器を所持しないこと、「作らず」は日本で核兵器を製造しないこと、「持ち込ませず」は海外から日本に核兵器を導入させないこと。以上の3つが「非核三原則」となります。
日本は世界で唯一の被爆国です。1945(昭和20)年8月に、広島と長崎に原子爆弾が投下されました。原爆により多くの犠牲者が出た経験のある日本は、特に核兵器に対して強い拒絶反応があるとされます。よって、日本が非核三原則を掲げていることは必然であるといえるでしょう。
こちらの記事もおすすめ
元となったのは佐藤栄作の発言
1967(昭和42)年の衆議院予算委員会で、当時の佐藤栄作首相が「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」を日本の政策であるという趣旨の発言をしました。翌年に行った施政方針演説で「核四政策」を表明した際にも、「持たず、作らず、持ち込ませず」の非核三原則が盛り込まれています。
佐藤首相は、核廃絶・アメリカへの核抑止力依存・核エネルギーの平和利用に非核三原則を加えた4つの核政策を「4本柱」と例えたのです。そのスタンスは、佐藤内閣以降のすべての政権が継承しました。日本では、50年以上にわたり非核三原則が守られ続けています。
こちらの記事もおすすめ

注意しておきたいのは、非核三原則が法律ではないということだ。非核三原則が日本の基本政策であることは揺るがない事実だが、法律として定めがあるというわけではない。ただし、非核三原則が日本の「国是」であるとする決議が採択されているな。「国是」には、「国民の支持を得た政治方針」といった意味があるぞ。
\次のページで「沖縄返還協定に非核三原則が盛り込まれる」を解説!/