パリのロスチャイルド家は水道会社の成功
総合水道会社を設立したパリのロスチャイルド家は5000株を購入。パリ市に事業を有利な内容で譲渡することに成功しました。水道会社は管理を任され、多額の管理費がロスチャイルド家に支払われました。総額360万フランを超えると水道会社はさらに売り上げを受け取れました。
事業を大きくして譲渡、売却益や管理費を得る方式は、今の投資の手法と共通するものです。これによりパリのロスチャイルド家は毎年安定した収入を得られるようになりました。
ユダヤ人迫害をめぐる帝政ロシアとの対立
ヨーロッパ各地で財を成したロスチャイルド家ですがロマノフ家をトップとする帝政ロシアとは対立を深めます。なぜなら帝政ロシアはユダヤ人を迫害する立場をとっていたからです。1904年の日露戦争では、ロスチャイルド家は日本を支援しました。
日本が勝利することで帝政ロシアが崩壊すると考え、日本が戦時国債を発行した際は、ロンドンとパリのロスチャイルド家が引き受けました。日露戦争の日本の勝利にはロスチャイルド家が部分的に関与しているということになります。
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弱体化していくロスチャイルド家

不明 – Historijski Arhiv Sarajevo. Found in a .pdf edition of “Sarajevo, biografija grada” (“Sarajevo, A Biography”) by Robert J. Donia., パブリック・ドメイン, リンクによる
19世紀後半になると各地で戦争が勃発。その影響もありロスチャイルド家の力は弱まっていきました。とくに衰退が目立ったのが本家。オーストリアはウィーンが経済の中心地でしたが、本家は発祥の地であるフランクフルトにこだわり続けました。二男ザロモンがウィーンに拠点を築いていましたが本家の没落と共に衰退していきます。
戦争が5人兄弟の団結を分裂
初代マイヤーは5人の息子たちに力を合わせてロスチャイルド家を盛り上げることを遺言としました。しかし度重なる戦争は5兄弟の団結を困難にします。それぞれの拠点から情報を送りあって事業を成功させてきたロスチャイルド家。各国でナショナリズムが高揚したことにより、協力関係は崩壊していきます。
団結の崩壊の決定打となったのが本家であるフランクフルト・ロスチャイルド家の断絶。子どもに恵まれなかった長男の遺産は妻などに分割されました。1914年の第一次世界大戦では、各地のロスチャイルド家は敵と味方に分れることに。ロンドン家はかろうじて繁栄していましたが、ナサニエルと二人の弟が次々と亡くなり、年頃の後継者を戦争で失ったことで、一気に衰退していきました。
ナチス・ドイツの反ユダヤ主義で追い打ちをかけられる
ドイツではナチス・ドイツが台頭。ユダヤ人がルーツのロスチャイルド家は格好の餌食となってしまいます。ロスチャイルド家が世界征服の陰謀を企てる一族であるとネガティブ・キャンペーンが展開されました。ロスチャイルド家を陰謀の黒幕と位置づける映画も続々と公開され、財産も没収されてしまいます。
ドイツがオーストリアを併合したとき、ウィーンに住んでいたロスチャイルド家の関係者はイギリスへ亡命。ウィーンに残った当主は秘密警察であるゲシュタポに連行されます。ユダヤ人の大量虐殺が始まる前だったため、財産を手放して国外に出ることを条件に釈放されました。
ロスチャイルド家の陰謀説は今でも存在しています。最近であればツイッター社を買収したあとも世間を騒がせているイーロン・マスクがらみの出来事。マスクが民主党を批判して共和党を支持するというツイートに対して「白人の特権階級」とばかにした人物がたまたまロスチャイルドという姓でした。そこから、その後のイーロン・マスクの度重なるトラブルはロスチャイルド家の陰謀とされたのです。実際は、そのユーザーはロスチャイルド家とは無関係でした。ヨーロッパではロスチャイルドという姓であるだけで不自由な思いをする人も多いようです。
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