世界史の教科書に必ず登場するのがロスチャイルド家。大富豪として世界を動かした一族として知られている。歴史の要所要所で登場するので、名前を聞いたことがある人も多いでしょう。

実際、ロスチャイルド家はどんな一族だったのでしょうか。その興隆と衰退の経緯を、世界史に詳しいライターひこすけと一緒に解説していきます。

ライター/ひこすけ

アメリカの歴史と文化を専門とする元大学教員。気になることがあったらいろいろ調べている。今回は世界史を勉強するうえで欠かせないロスチャイルド家について調べてみた。

マイアー・アムシェル・ロートシルトの代に台頭

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ロスチャイルド家が台頭したのは1760年代。マイアー・アムシェル・ロートシルトが銀行業を成功させたことがきっかけです。マイアーはフランクフルト出身のユダヤ人。神聖ローマ帝国時代にフランクフルトにて地盤を築きました。

マイアー・アムシェル・ロートシルトとは?

もともとマイアーはフランクフルトの古銭商人。ヘッセン=カッセル方伯家の御用商人となったことで成功の道を歩み始めました。とりわけ大きな影響を与えたのはナポレオン戦争。フランス側とのつながりを深めていきます。

マイアーはヨーロッパ大陸に通商路を確保することに成功、本国の物資不足に目を付けて密輸を開始しました。莫大な財産を築き力を持ったマイアーはフランクフルト・ユダヤ人の市民権獲得にも動き出します。一時的ではありますが市民権を得ることができました。

5人の息子に向けたマイアーの遺言

マイアーはロスチャイルド家の純血性を守るため遺言を残しました。遺言に記された訓令は5つです。

1.ロスチャイルド家の銀行の重役は一族のみで構成する
2.家業に参加できるのは男子相続人だけとすること
3.宗家も分家も長男が継承すること
4.結婚はロスチャイルド家内のみとすること
5.事業に関わる情報は一族のみで共有すること

5人の息子たちは長らく初代の遺言を守り、ロスチャイルド家を繁栄させていきます。

キリスト教ではイエスを十字架に送ったのはユダヤ人と語り継がれてきました。そのためユダヤ人の地位は低く、就ける仕事も限られていました。そのひとつが金融業。キリスト教ではお金を貸して利益を得ることを禁止していたため金貸しは卑しい仕事とされてきたのです。ユダヤ人はそんな状況を逆手にとり金融業で財を成していきました。

5つに分れたロスチャイルド家

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長男はアムシェル、二男はザロモン、三男はネイサン、四男はカール、五男はジェームズ。マイアーの5人の息子たちはそれぞれ家を創設します。フランクフルトの事業は長男がすべて継承。そのほかの兄弟は、ロンドン、ウィーン、ナポリ、パリに移住して拠点を拡大させていきました。

連携を欠かさなかった5兄弟

5兄弟は拠点が変わっても連絡を欠かさず行いました。情報交換に使われたのが伝書鳩。情報がもれないようにヘブライ語をまぜて文章を記しました。ヨーロッパ各地の情報をすぐに共有できたので、ロスチャイルド家は有利に事業をすすめられました。

ナポレオンが敗北したというニュースも先立って入手。それを見越して投資します。イギリスの勝利の知らせが入る前にイギリス公債を売却。公債の価格を暴落させました。イギリス勝利のニュースにより買いに転じたロスチャイルド家。差額により利益を得ました。

ロスチャイルド家の金融界での戦法

ロスチャイルド家を排除したいと思う勢力は多く、あの手この手で事業の邪魔をされました。しかし五男のジェームスがフランス公債を大量に購入した末に売却。為替相場を動かすことで圧力をかけます。その結果、ジェームズはオーストリアの要人としての地位を得ました。

この成功はロスチャイルド家の勢いを加速させます。ハプスブルク家が全員に男爵位を授与。一族は貴族としての地位を確立しました。商人から貴族に格上げされたのです。

オーストリアのザロモンは鉄道や製鉄業で成功、ロンドンに拠点を置いた三男のネイサンは、イギリス植民地制度を利用して多額の利益をもたらしました。カールはロスチャイルド家の銀行をナポリのメインバンクとすることに成功。五男のジェームスはパリの鉄道王となりました。長男のアムシェルは、他の兄弟と比べると成果はいまひとつ。しかし人を見る目やまとめる能力に長けていました。弟たちの成功は長男の存在があったことは大きいようです。

国外でも影響力を発揮するロスチャイルド家

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revelation studios - revelation studios, CC 表示-継承 3.0, リンクによる

ロスチャイルド家はフランクフルトがルーツですが、兄弟が各地に拠点を置くことにより、さまざまな国に影響を与えるようになります。その地の人々の生活や歴史の流れを変えることもありました。

\次のページで「パリのロスチャイルド家は水道会社の成功」を解説!/

パリのロスチャイルド家は水道会社の成功

総合水道会社を設立したパリのロスチャイルド家は5000株を購入。パリ市に事業を有利な内容で譲渡することに成功しました。水道会社は管理を任され、多額の管理費がロスチャイルド家に支払われました。総額360万フランを超えると水道会社はさらに売り上げを受け取れました。

事業を大きくして譲渡、売却益や管理費を得る方式は、今の投資の手法と共通するものです。これによりパリのロスチャイルド家は毎年安定した収入を得られるようになりました。

ユダヤ人迫害をめぐる帝政ロシアとの対立

ヨーロッパ各地で財を成したロスチャイルド家ですがロマノフ家をトップとする帝政ロシアとは対立を深めます。なぜなら帝政ロシアはユダヤ人を迫害する立場をとっていたからです。1904年の日露戦争では、ロスチャイルド家は日本を支援しました。

日本が勝利することで帝政ロシアが崩壊すると考え、日本が戦時国債を発行した際は、ロンドンとパリのロスチャイルド家が引き受けました。日露戦争の日本の勝利にはロスチャイルド家が部分的に関与しているということになります。

弱体化していくロスチャイルド家

1914-06-29 - Aftermath of attacks against Serbs in Sarajevo.png
不明 - Historijski Arhiv Sarajevo. Found in a .pdf edition of "Sarajevo, biografija grada" ("Sarajevo, A Biography") by Robert J. Donia., パブリック・ドメイン, リンクによる

19世紀後半になると各地で戦争が勃発。その影響もありロスチャイルド家の力は弱まっていきました。とくに衰退が目立ったのが本家。オーストリアはウィーンが経済の中心地でしたが、本家は発祥の地であるフランクフルトにこだわり続けました。二男ザロモンがウィーンに拠点を築いていましたが本家の没落と共に衰退していきます。

戦争が5人兄弟の団結を分裂

初代マイヤーは5人の息子たちに力を合わせてロスチャイルド家を盛り上げることを遺言としました。しかし度重なる戦争は5兄弟の団結を困難にします。それぞれの拠点から情報を送りあって事業を成功させてきたロスチャイルド家。各国でナショナリズムが高揚したことにより、協力関係は崩壊していきます。

団結の崩壊の決定打となったのが本家であるフランクフルト・ロスチャイルド家の断絶。子どもに恵まれなかった長男の遺産は妻などに分割されました。1914年の第一次世界大戦では、各地のロスチャイルド家は敵と味方に分れることに。ロンドン家はかろうじて繁栄していましたが、ナサニエルと二人の弟が次々と亡くなり、年頃の後継者を戦争で失ったことで、一気に衰退していきました。

ナチス・ドイツの反ユダヤ主義で追い打ちをかけられる

ドイツではナチス・ドイツが台頭。ユダヤ人がルーツのロスチャイルド家は格好の餌食となってしまいます。ロスチャイルド家が世界征服の陰謀を企てる一族であるとネガティブ・キャンペーンが展開されました。ロスチャイルド家を陰謀の黒幕と位置づける映画も続々と公開され、財産も没収されてしまいます。

ドイツがオーストリアを併合したとき、ウィーンに住んでいたロスチャイルド家の関係者はイギリスへ亡命。ウィーンに残った当主は秘密警察であるゲシュタポに連行されます。ユダヤ人の大量虐殺が始まる前だったため、財産を手放して国外に出ることを条件に釈放されました。

ロスチャイルド家の陰謀説は今でも存在しています。最近であればツイッター社を買収したあとも世間を騒がせているイーロン・マスクがらみの出来事。マスクが民主党を批判して共和党を支持するというツイートに対して「白人の特権階級」とばかにした人物がたまたまロスチャイルドという姓でした。そこから、その後のイーロン・マスクの度重なるトラブルはロスチャイルド家の陰謀とされたのです。実際は、そのユーザーはロスチャイルド家とは無関係でした。ヨーロッパではロスチャイルドという姓であるだけで不自由な思いをする人も多いようです。

\次のページで「復興に向けて動き出すロスチャイルド家」を解説!/

復興に向けて動き出すロスチャイルド家

Chateau de Ferrieres.jpg
By Mulleimers at German Wikipedia - Originally from de.wikipedia; description page is/was here, uploaded 2005-12-21 14:10 by Mulleimers, CC BY-SA 3.0, Link

ロンドン家とパリ家は戦争によって弱体化していたものの、事業を徐々に復活させていきます。過去の栄光と揶揄されましたがそれを払拭。長年にわたる事業の継続によるノウハウや人脈を最大限に活かしてふたつの家は復興に向けて動き出します。

ロンドンのロスチャイルド家が復興を試みる

復興に向けて中心的に動いたのはロンドン家。イギリスの銀行家となっていた分家のアンソニー・グスタフ・ド・ロスチャイルドが先陣を切って行いました。イギリスでロスチャイルド家は「ブランド一流、仕事三流」と揶揄される存在に。しかしアンソニーは積極的に事業を展開、イギリス政府との協力関係を維持して勢力を盛り返していきます。

チャーチル首相の要請を受けたアンソニーはカナダに広大な土地を購入。資源の開発をすすめていきます。資源開発事業を軌道に乗せることでイギリスの世界における影響力を拡大させました。1955年に脳溢血で倒れたアンソニーは経営の第一線から退くものの、ロスチャイルド家の復興の土台は確固たるものとなっていました。

パリ家はさまざまな事業を展開

パリ家も戦後復興を試みます。中心となったのは同じく銀行家となっていたギー・ド・ロスチャイルド。政治家との関係を強めながら銀行業を軌道に乗せていきます。曾祖父が作り上げた北部鉄道を再建。石油事業や鉱山事業の拡大も図りました。フランスの植民地となっていたアルジェリアで石油会社を立ち上げたのも彼です。この石油会社は国有化されましたが、安定した収入源となりました。

大きく変わったのは銀行です。ド・ゴール大統領と親交を深め、銀行の頭取を政府に派遣するなどつながりを強めました。もともとロスチャイルド家の銀行が相手にするのは大口の顧客のみ。銀行を庶民にも開放して誰でも口座を作れるようにしました。

ユダヤ社会で大きな影響力を誇るロスチャイルド家

現在もロスチャイルド家は複数の事業を営んでいます。その規模はそれほど大きくなく、ほかにもっと大きなライバル企業も数多く存在。「お金」という面では現在のロスチャイルド家の影響力はかつてほどではありません。しかし、フランクフルト・ユダヤ人がルーツであることからユダヤ社会における影響力は相当なもの。ユダヤ人の精神的・土地的な居場所を作るためにさまざまな支援を行っています。いつの日か「お金」とは別のことで、ロスチャイルド家の名前が再び脚光を浴びる日が来るかもしれませんね。

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ドイツフランスロシア世界史

世界一裕福な家系「ロスチャイルド」とは?ルーツ、家業、現在を元大学教員が分かりやすく解説

世界史の教科書に必ず登場するのがロスチャイルド家。大富豪として世界を動かした一族として知られている。歴史の要所要所で登場するので、名前を聞いたことがある人も多いでしょう。

実際、ロスチャイルド家はどんな一族だったのでしょうか。その興隆と衰退の経緯を、世界史に詳しいライターひこすけと一緒に解説していきます。

ライター/ひこすけ

アメリカの歴史と文化を専門とする元大学教員。気になることがあったらいろいろ調べている。今回は世界史を勉強するうえで欠かせないロスチャイルド家について調べてみた。

マイアー・アムシェル・ロートシルトの代に台頭

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ロスチャイルド家が台頭したのは1760年代。マイアー・アムシェル・ロートシルトが銀行業を成功させたことがきっかけです。マイアーはフランクフルト出身のユダヤ人。神聖ローマ帝国時代にフランクフルトにて地盤を築きました。

マイアー・アムシェル・ロートシルトとは?

もともとマイアーはフランクフルトの古銭商人。ヘッセン=カッセル方伯家の御用商人となったことで成功の道を歩み始めました。とりわけ大きな影響を与えたのはナポレオン戦争。フランス側とのつながりを深めていきます。

マイアーはヨーロッパ大陸に通商路を確保することに成功、本国の物資不足に目を付けて密輸を開始しました。莫大な財産を築き力を持ったマイアーはフランクフルト・ユダヤ人の市民権獲得にも動き出します。一時的ではありますが市民権を得ることができました。

5人の息子に向けたマイアーの遺言

マイアーはロスチャイルド家の純血性を守るため遺言を残しました。遺言に記された訓令は5つです。

1.ロスチャイルド家の銀行の重役は一族のみで構成する
2.家業に参加できるのは男子相続人だけとすること
3.宗家も分家も長男が継承すること
4.結婚はロスチャイルド家内のみとすること
5.事業に関わる情報は一族のみで共有すること

5人の息子たちは長らく初代の遺言を守り、ロスチャイルド家を繁栄させていきます。

キリスト教ではイエスを十字架に送ったのはユダヤ人と語り継がれてきました。そのためユダヤ人の地位は低く、就ける仕事も限られていました。そのひとつが金融業。キリスト教ではお金を貸して利益を得ることを禁止していたため金貸しは卑しい仕事とされてきたのです。ユダヤ人はそんな状況を逆手にとり金融業で財を成していきました。

5つに分れたロスチャイルド家

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長男はアムシェル、二男はザロモン、三男はネイサン、四男はカール、五男はジェームズ。マイアーの5人の息子たちはそれぞれ家を創設します。フランクフルトの事業は長男がすべて継承。そのほかの兄弟は、ロンドン、ウィーン、ナポリ、パリに移住して拠点を拡大させていきました。

連携を欠かさなかった5兄弟

5兄弟は拠点が変わっても連絡を欠かさず行いました。情報交換に使われたのが伝書鳩。情報がもれないようにヘブライ語をまぜて文章を記しました。ヨーロッパ各地の情報をすぐに共有できたので、ロスチャイルド家は有利に事業をすすめられました。

ナポレオンが敗北したというニュースも先立って入手。それを見越して投資します。イギリスの勝利の知らせが入る前にイギリス公債を売却。公債の価格を暴落させました。イギリス勝利のニュースにより買いに転じたロスチャイルド家。差額により利益を得ました。

ロスチャイルド家の金融界での戦法

ロスチャイルド家を排除したいと思う勢力は多く、あの手この手で事業の邪魔をされました。しかし五男のジェームスがフランス公債を大量に購入した末に売却。為替相場を動かすことで圧力をかけます。その結果、ジェームズはオーストリアの要人としての地位を得ました。

この成功はロスチャイルド家の勢いを加速させます。ハプスブルク家が全員に男爵位を授与。一族は貴族としての地位を確立しました。商人から貴族に格上げされたのです。

オーストリアのザロモンは鉄道や製鉄業で成功、ロンドンに拠点を置いた三男のネイサンは、イギリス植民地制度を利用して多額の利益をもたらしました。カールはロスチャイルド家の銀行をナポリのメインバンクとすることに成功。五男のジェームスはパリの鉄道王となりました。長男のアムシェルは、他の兄弟と比べると成果はいまひとつ。しかし人を見る目やまとめる能力に長けていました。弟たちの成功は長男の存在があったことは大きいようです。

国外でも影響力を発揮するロスチャイルド家

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ロスチャイルド家はフランクフルトがルーツですが、兄弟が各地に拠点を置くことにより、さまざまな国に影響を与えるようになります。その地の人々の生活や歴史の流れを変えることもありました。

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