グリム兄弟という名前を一度は耳にしているでしょう。子供のころ読んだ『グリム童話』の作者と言えばみんな分かるな。ふたりは19世紀にドイツで活躍した兄弟。言語学者、文学者、民話収集家でもある。

彼らはなぜ古い話を収集したのでしょうか。世界史に詳しいライターひこすけと一緒に解説していきます。

ライター/ひこすけ

アメリカの歴史と文化を専門とする元大学教員。小さなころから馴染みのあるグリム童話が実は怖いという話に興味を持ち、グリム兄弟について調べてみた。

グリム兄弟とは何者なのか?

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By Artist: Kate Greenaway (1846–1901) Engraver: Edmund Evans  (1826–1905)   Alternative names Edmund William Evans Description English engraver and printer Date of birth/death 23 February 1826  21 August 1905  Location of birth/death London Isle of Wight Work location London  Authority control : Q4529602 VIAF: 71519059 ISNI: 0000 0000 8392 8947 ULAN: 500023437 LCCN: n81059993 NLA: 35071074 WorldCat - Browning, Robert (1910) [1888] The Pied Piper of Hamelin, London: Frederick Warne and Company, pp. p. 41 Retrieved on 26 July 2009. (direct link to high resolution image here), Public Domain, Link

グリム兄弟は19世紀にドイツで活躍した兄弟。言語学者、文学者、民話収集家です。兄のヤーコブは政治家という顔も持ち合わせていました。彼らは童話を書いたわけではありません。古くからドイツに残っていた民話を発掘し編纂しました。それが『グリム童話』です。

実際は残酷な話が多かった『グリム童話』

『グリム童話』というと何を思い出しますか。「ヘンゼルとグレーテル」「ブレーメンの音楽隊」「狼と七匹の子ヤギ」「ラプンツェル」「赤ずきん」「白雪姫」「シンデレラ」など、日本の子供たちが一度は読んだこともある童話も多いでしょう。実際は、残酷は結末のお話が多く、子供向けの内容ではありません。

これらは、もともと民話として残っていたお話を記録したもの。子供のために書いた童話ではありません。ドイツでも残酷すぎるとクレームが多発していました。そこでふたりは長い歳月をかけて編纂しながら、幾度も改訂を重ねていったのです。私たちが実際に読んだ『グリム童話』は、改訂された原本をさらに子供向けにしたもの。残酷なシーンはカットあるいは書き換えたバージョンです。

『イソップ童話』や『アンデルセン童話』との違い

ここで気になるのは『グリム童話』『イソップ童話』『アンデルセン童話』の区別ですよね。『イソップ童話』の作者であるイソップは紀元前6世紀の古代ギリシャの作家。身分は奴隷だったと伝えられています。動物を主人公にした童話が多く、イソップ自身が創作したものでした。「アリとキリギリス」「北風と太陽」「王様の耳はロバの耳」「田舎のネズミと町のネズミ」など、皆さんも読んだことがあるでしょう。

『アンデルセン童話』の作者は19世紀のデンマーク人であるハンス・クリスチャン・アンデルセン。イソップと同じくアンデルセン自身が童話を創作しました。有名なものとしては「親指姫」「人魚姫」「マッチ売りの少女」「みにくいあひるの子」「裸の王様」などが挙げられるでしょう。

研究者としてのグリム兄弟

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グリム兄弟はなぜ民話を発掘、収集、編纂を始めたのでしょうか。それを知るには、彼らがどんな人生を送ったのか知る必要があります。なぜなら二人がこの研究に没頭するようになったのは、波乱万丈の人生があったからこそ。それゆえの強い意志があったので成し遂げられました。

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グリム兄弟の人数は2人じゃない

グリム兄弟は、幼いうちに死んだ子を除くと男5人と女1人でした。世界的に知られているグリム兄弟は二男のヤーコブと三男のヴィルヘルを指しています。実は、その下の弟ルートヴィヒは挿絵を手掛けたことがあり、もう一人の弟も民話伝説を収集して別に発表。グリム兄弟は2人というわけじゃなかったんです。

父は法律家で一家は裕福な家庭でした。母親は子供たちが幼いころに病死。母方の伯母の支援でヤーコブとヴィルヘルムはギムナジウムに入学しました。経済的に苦しかったなかで二人は首席で卒業。大学の法学部に進学します。新進の法学者の影響を受けながら、ドイツ古典文学や民間伝承の研究に目を向けるようになりました。

兄弟そろって大出世

兄ヤーコブは若いころ図書館の職員として働きながらドイツ文学を研究。法制度やゲルマン語の研究で名をなし、パリで学者として研究生活を送っていました。ところが1806年、ドイツに戻ります。そこで追われたのがナポレオン戦争の後始末。公設秘書として各国を飛び回り、ウィーン会議にも出席するなど、政治家として国際的に活躍します。

体が弱く兄のように華やかではなかったものの、弟のヴィルヘルムも地道に文学研究に没頭しました。兄と同じく図書館で勤務していましたが、39歳で幼なじみの女性と結婚。3人の子供をもうけました。独身だった兄は弟ヴィルヘルと生涯同居。兄弟は研究面でも支え合います。

波乱万丈の人生を歩むグリム兄弟

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By Elisabeth Baumann - SMB Digital, Public Domain, Link

兄弟は研究者として名をなします。兄ヤーコブは1835年に『ドイツ神話学』を出版。ドイツ人にも忘れられていた妖精や神々の神話や伝説を書物としてまとめ、「宮中顧問官」の称号を受けました。弟は兄ほど目立ちませんでしたが、研究者として名をあげていきます。しかし二人そろって政治的な事件に関わりゲッティンゲン大学の教授を罷免されました。

ゲッティンゲン七教授事件

その事件というのがゲッティンゲン七教授事件。1837年、国王の違法行為を非難する抗議文を、グリム兄弟を含むゲッティゲン大学教授7人が提出し、国王を怒らせてしまったのです。国王に罷免され、失職状態となった末にカッセルに亡命。さらにスイスで弁明書を本にして発行しました。

二人は失職したままドイツ語辞書編纂に当たります。しかし3年後、プロイセンの国王がフリードリヒ・ヴィルヘルも4世に代わると、兄弟共にベルリン大学の教授として学術界に復帰しました。二人はとても強運の持ち主。国家勲章まで授与されます。

このとき二人はドイツ語辞書編纂に情熱を燃やします。実は、人知れずではありますが、二人そろってドイツの昔話の収集もしていました。いつも二人そろって同じ夢を見て、同じ目標を持って、同じことをしていたのですね。しかも二人そろって優秀なので、盟友としか言いようがありません。

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グリム兄弟によるドイツの民話収集

兄弟はドイツ語辞書編纂を生涯の仕事、そして目標としていました。同時に古くから語り伝えられている民話を知っている人たちを訪ねます。そこで昔話を取材してまとめていきました。薬剤師の家族ヴィルト家、高官一族のハッセングクルク家、牧師の娘のフリーデルケ・マンケル、仕立て屋の妻ドローティア・フィーマン、貴族のハクストハウゼン家などが取材先として知られています。

兄弟が古い民話に興味を持った背景には、ナポレオン戦争の影響がありました。政治も社会が混乱し、人々は今までの価値観が崩壊してゆくことに不安をもっていました。グリム兄弟も愛国心が高まります。ドイツの人々に、古くからの民話がいかに素晴らしいのか、ドイツ文明の光明であるかを知らせたいと思いました。民話こそ国の文化の原点である、これがグリム兄弟のモチベーションとなりました。

批判が殺到したグリム兄弟の童話

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グリム兄弟が集めた民話は子供のためのお話ではありませんでした。古い時代、飢饉や盗賊や権力者の横暴で苦しんだ人々の声でもあったのです。ですから、子供向けのハッピーエンドはなし。むしろ悲しくも残酷な結末がほとんどでした。1812年に86編を、1815年に70編を収めて『子どもと家庭のメルヒェン集』という名で発行。しかしながら本の売れ行きは悪く、子供には読ませられないという批判が殺到しました。

改訂が重ねられたグリム童話

なんども改訂を重ね、末の弟のルードヴィヒ・グリムが挿絵を描きました。つまりルードヴィヒも実はグリム兄弟の1人ということ。ルードヴィヒは兄たちと違い大学に進学しませんでした。とはいえ、美術学校の教授となり、画家として評価されていました。彼の存在が世に知られるようになったのは第二次世界大戦後のことです。

あまりに残酷なシーンはやわらげられました。さらに美しい挿絵がついたことで『子どもと家庭のメルヒェン集』は『グリム童話』として世界に広がっていったのです。日本に伝わった『グリム童話』は、さらに子供向けに改訂されました。そのため、本来の『グリム童話』とはだいぶ違った内容になっています。

飢えと捨て子の物語

みなさんおなじみの『ヘンゼルとグレーテル』も改訂されています。貧しい木こりの妻が夫にヘンゼルとグレーテルを森に捨てるように命令。捨てられた二人は知恵と勇気をふりしぼり、さまざまな危機を乗り越え、お菓子でできた家にたどりつきます。そこは魔女の家。二人は魔女をやっつけて自分の家に帰りました。

魔女をやっつける方法がとても残酷。グレーテルは魔女をかまどの中に突き飛ばして焼死させる、これが結末です。しかも、魔女が出てこられないように鉄の戸を閉鎖。かんぬきもしっかりさしました。これを子供に読み聞かせをするのはちょっと躊躇しますよね。

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母との葛藤が多いグリム兄弟の童話

image by PIXTA / 81120800

他にもグリム兄弟により集められた民話が日本に伝わっています。『ヘンゼルとグレーテル』と同様、どれも残酷なものばかり。そのいくつかを見ていきましょう。

継母の目をえぐり取る『シンデレラ』

『シンデレラ』と似ている民話が古代中国やエジプトなど世界各国に残されています。「ガラスの靴」はエジプトでは「赤い革靴」。「カボチャの馬車」は西インド諸島では「パンノキの乗り物」。細部は国によって違います。グリム版ではヒロインの呼び名は「アシェンプテル」(灰かぶり)。願いを叶えてくれるのは、母のお墓の上に植えられており、ヒロインの涙で育った「ハシバミの木」でした。

日本版の名前は「シンデレラ」。彼女を助けるのは「妖精」です。最も異なるのはラストシーン。グリム版では、シンデレラの結婚式に現われた白い鳥が継母の目をえぐり取ります。王子に見出されたシンデレラに継母たちが嫉妬する、という可愛いものではありません。

実の母に対する恐ろしい復讐

グリム版の『白雪姫』では白雪姫を追い出すのは継母ではなく実の母。母親は白雪姫の復讐により息絶えます。その方法が残酷。熱く焼けた鉄の靴を履かされ、死ぬまで踊り続けるというものでした。実の母親を拷問するというのは、子供向けの童話としては考えられません。

『あかずきん』や『狼と七匹の子ヤギ』の悪役であるオオカミも、腹を裂かれてなかに石を入れられるなど悲惨な末路をたどります。悪の報いとはいえ残酷すぎますよね。このような残酷さの背景にあるのが戦争。戦争中は実際に残酷な場面に出会うことが多く、それが童話に反映されたのかもしれません。

なぜ、母親が継子や実の子を捨てるなど子を苛めるストーリーが多いのでしょうか。このとき父親は何をしていたのでしょうか。グリム童話に出てくる父親は善人がほとんど。悪人は母親です。グリムより古い時代の話。魔女伝説や魔女狩りの影響もあり、悪いのは全部女性という古い価値観が色濃く残っていたのかもしれません。

グリム兄弟は東西ドイツ統合の象徴

グリム兄弟の中心にあったヤーコブとルートヴィヒは50代の初めから死ぬまでの20年以上、ドイツ語辞典の編纂に当たりました。それについては生前は未完。完成は1961年、二人の死後のことでした。東西が分裂しているドイツにおいて、東ドイツと西ドイツの学者が協力しあってグリム兄弟のドイツ語辞典を完成させました。実に123年間かけてできあがった辞典なのです。ドイツ人にとってグリム兄弟は単なる童話の人以上の存在なのかもしれませんね。

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ドイツヨーロッパの歴史世界史

ナポレオン戦争を背景に成し遂げられた「グリム兄弟」の童話収集の経緯や内容を元大学教員が簡単にわかりやすく解説

グリム兄弟という名前を一度は耳にしているでしょう。子供のころ読んだ『グリム童話』の作者と言えばみんな分かるな。ふたりは19世紀にドイツで活躍した兄弟。言語学者、文学者、民話収集家でもある。

彼らはなぜ古い話を収集したのでしょうか。世界史に詳しいライターひこすけと一緒に解説していきます。

ライター/ひこすけ

アメリカの歴史と文化を専門とする元大学教員。小さなころから馴染みのあるグリム童話が実は怖いという話に興味を持ち、グリム兄弟について調べてみた。

グリム兄弟とは何者なのか?

Pied Piper2.jpg
By Artist: Kate Greenaway (1846–1901) Engraver: Edmund Evans  (1826–1905)   Alternative names Edmund William Evans Description English engraver and printer Date of birth/death 23 February 1826  21 August 1905  Location of birth/death London Isle of Wight Work location London  Authority control : Q4529602 VIAF: 71519059 ISNI: 0000 0000 8392 8947 ULAN: 500023437 LCCN: n81059993 NLA: 35071074 WorldCat – Browning, Robert (1910) [1888] The Pied Piper of Hamelin, London: Frederick Warne and Company, pp. p. 41 Retrieved on 26 July 2009. (direct link to high resolution image here), Public Domain, Link

グリム兄弟は19世紀にドイツで活躍した兄弟。言語学者、文学者、民話収集家です。兄のヤーコブは政治家という顔も持ち合わせていました。彼らは童話を書いたわけではありません。古くからドイツに残っていた民話を発掘し編纂しました。それが『グリム童話』です。

実際は残酷な話が多かった『グリム童話』

『グリム童話』というと何を思い出しますか。「ヘンゼルとグレーテル」「ブレーメンの音楽隊」「狼と七匹の子ヤギ」「ラプンツェル」「赤ずきん」「白雪姫」「シンデレラ」など、日本の子供たちが一度は読んだこともある童話も多いでしょう。実際は、残酷は結末のお話が多く、子供向けの内容ではありません。

これらは、もともと民話として残っていたお話を記録したもの。子供のために書いた童話ではありません。ドイツでも残酷すぎるとクレームが多発していました。そこでふたりは長い歳月をかけて編纂しながら、幾度も改訂を重ねていったのです。私たちが実際に読んだ『グリム童話』は、改訂された原本をさらに子供向けにしたもの。残酷なシーンはカットあるいは書き換えたバージョンです。

『イソップ童話』や『アンデルセン童話』との違い

ここで気になるのは『グリム童話』『イソップ童話』『アンデルセン童話』の区別ですよね。『イソップ童話』の作者であるイソップは紀元前6世紀の古代ギリシャの作家。身分は奴隷だったと伝えられています。動物を主人公にした童話が多く、イソップ自身が創作したものでした。「アリとキリギリス」「北風と太陽」「王様の耳はロバの耳」「田舎のネズミと町のネズミ」など、皆さんも読んだことがあるでしょう。

『アンデルセン童話』の作者は19世紀のデンマーク人であるハンス・クリスチャン・アンデルセン。イソップと同じくアンデルセン自身が童話を創作しました。有名なものとしては「親指姫」「人魚姫」「マッチ売りの少女」「みにくいあひるの子」「裸の王様」などが挙げられるでしょう。

研究者としてのグリム兄弟

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グリム兄弟はなぜ民話を発掘、収集、編纂を始めたのでしょうか。それを知るには、彼らがどんな人生を送ったのか知る必要があります。なぜなら二人がこの研究に没頭するようになったのは、波乱万丈の人生があったからこそ。それゆえの強い意志があったので成し遂げられました。

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