なぜ美濃部亮吉都政は評価が分かれる?政策や批判された点などを行政書士試験合格ライターが簡単にわかりやすく解説
公営ギャンブルの廃止
公営ギャンブルの廃止を選挙公約に掲げていた美濃部亮吉は、1969(昭和44)年に都営ギャンブルを廃止すると表明しました。それまで東京都では、戦後復興の財源確保のために公営ギャンブルを開催していたのです。しかし、当時からギャンブル依存症などが社会問題となっていました。
後楽園競輪場と大井オートレース場は東京都の単独開催でした。そのような事情もあったため、美濃部都政の時代に2場とも廃止されます。ただし、国が主催する東京競馬場は廃止の対象にはなりませんでした。さらに、周辺自治体との共同開催だった大井競馬場・京王閣競輪場・平和島競艇場などは、主催者を移行して今も存続しています。
美濃部亮吉都政が批判された理由とは
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福祉や公害対策などに重点を置いた美濃部都政でしたが、その一方で美濃部都政を批判する意見もあります。なぜ美濃部都政に批判的な意見があるのでしょうか。
東京都の財政悪化
美濃部都政による高福祉政策や公営ギャンブル廃止などは、都民から高い支持を得ました。しかし、それらの政策により東京都の財政悪化を招いたのは皮肉としか言いようがありません。都営ギャンブルによる東京都の収入は、当時の金額で100億円ほどとされます。貴重な財源を美濃部都政は手放しました。
さらに、美濃部都政では人件費の高騰が問題視されました。都のサービスを充実させるために職員を増加。給与も国家公務員よりも高水準にしたため、都は財政難になったのです。そのような美濃部都政に対して、「バラマキ福祉」などと批判する意見もありました。
交通インフラの整備に消極的
美濃部亮吉は「一人でも反対があったら橋を架けない」という「橋の哲学」を持っていたとされます。社会的少数派の意見を重視し、道路建設の計画を次々と凍結させました。東京外環道や首都高速中央環状線、東京湾横断道路(アクアライン)などは、美濃部都政においては計画が進行しませんでした。
それらの道路は、現在までには全て開通しました。しかし、開通するまでは東京都の交通渋滞が慢性化して、多大な経済損失があったとされます。さらに、美濃部は成田空港や羽田空港の拡張にも反対していました。美濃部都政は交通インフラの整備に消極的だったのです。
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