なぜ美濃部亮吉都政は評価が分かれる?政策や批判された点などを行政書士試験合格ライターが簡単にわかりやすく解説
高齢者の医療無料化
美濃部亮吉は東京都知事を3期12年務めました。その任期中に最も力を入れていたのが福祉政策といえるでしょう。中でも特筆すべき政策が、高齢者の医療費を無料にしたことです。美濃部都政は国よりもいち早く高齢者の医療控除に取り組みました。
しかし、美濃部都政による高齢者の医療費無料化は、すぐに導入されたものではありませんでした。政府や自民党は反対し、美濃部は少数与党を基盤としていたため、一度は頓挫したのです。それでも東京都は高齢者の医療費無料化を断行。結果として、全国の自治体で医療費の無料化が進むことになります。
高齢者の都営交通無料化
美濃部都政による高齢者の福祉政策は、医療費の無料化だけではありませんでした。交通費も無料としたのです。1973(昭和48)年には、手始めに老人無料パスを発行。パスを持っている高齢者は、乗車時にパスを提示すれば無料で都営のバスなどに乗れました。
1974(昭和49)年には、無料で利用できる交通手段が拡充されます。都営交通だけでなく、民営のバスも無料化されました。現在でも東京都はシルバーパスを発行しています。シルバーパスはすべて無料にはならないものの、非課税者は一律1000円にするなど、高齢者の交通費を一部負担する施策が行われているのです。
保育所の充実
美濃部亮吉は、都知事選の選挙公約の1つに保育所の充実を挙げていました。美濃部が知事となってからは、保育所に関する政策を数多く実行します。東京都内に公立の保育所を次々と設置。無認可保育には公費助成を行い、現在全国各地で進められている待機児童対策の先駆けとなりました。
さらに、保育士や職員などの配置などで東京都独自の基準が作られます。児童手当が創設され、3歳児以上への完全給食を実施。さらに、国が消極的だったゼロ歳児の保育を、美濃部都政は積極的に推し進めました。保育においても、美濃部都政が国より早く着手した施策は多かったのです。
公害対策
美濃部亮吉は、東京都の公害対策にも熱心でした。1969(昭和44)年には、東京都が全国に先駆けて公害防止条例を制定しました。それがきっかけとなり、全国の自治体で公害防止に関する条例が設けられるようになります。国も公害対策基本法を改正させるなど、公害関連の法整備を進めました。
さらに、美濃部は東京都に公害局(現在の東京都環境局)を設置。公害対策や環境改善などの職務を執行させました。1971(昭和46)年には美濃部が「東京ゴミ戦争」を宣言し、東京都のゴミ処理問題に本腰を入れます。美濃部は地域住民との対話を重視するなどの姿勢を見せました。
歩行者天国を初めて実施する
美濃部都政による公害対策の1つに、歩行者天国の実施も入れて良いでしょう。1970(昭和45)年に、浅草・池袋・銀座・新宿の4か所で、東京都内で初めての歩行者天国が実施されました。歩行者天国は環境問題対策という意味もありましたが、当時は交通事故が頻発していたため、歩行者の安全を守る目的で実施されたのです。
交通に関する政策では、その他に都電の撤去が美濃部都政で行われました。前知事の在任時に都電の廃止は決まっていましたが、それを実行したのは美濃部都政の時代です。現在も運行が続いている荒川線を除き、1972(昭和47)年までに全ての都電が廃止されました。
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