アンクル・サムって知っているか?白髪で白髭の生えた初老の男性です。アメリカ合衆国政府のシンボル的なキャラクターとして、絵画やポスターにたびたび登場する。ただ、どんな経緯で生まれたのかは謎に包まれているんです。

そこで今回は、アメリカを体現すると言われるアンクル・サムの起源やその展開について、世界史に詳しいライターひこすけと一緒に解説していきます。

ライター/ひこすけ

アメリカの歴史と文化を専門とする元大学教員。アメリカが帝国主義の名のもとに勢力拡大していく様を体現するアンクル・サムに興味を持ち、気になることを調べてみた。

アンクル・サムはどうやって生まれた?

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アンクル・サムは、新聞の政治風刺漫画などに、アメリカの擬人化として登場します。アンクル・サムがかぶっているのは、星条旗を思わせる星柄のシルクハット。ジャケットは紺色で、赤い蝶ネクタイをしています。紅白縦縞のズボンをはいて星条旗そのもの。しかし、その起源ははっきりとは分かりません。

アンクル・サムが意味するのはアメリカ合衆国

アンクル・サムを英語にするとUncle Sam。それを短縮するとU.S.となります。ここからUnited Statesのシンボルと考えられました。とはいえその起源は不透明。諸説ありますが、濃厚なのは米英戦争に起源があるという説です。

米英戦争中、アメリカ陸軍にサミュエル・ウィルソンという人物が肉を卸していました。その男性のニックネームが「アンクル・サム」。彼は肉にアメリカ合衆国を意味するU.S.という焼印を押していました。それが起源とされています。

アメリカ合衆国政府のお墨付き

アメリカを象徴する人物であるためアンクル・サムは何者なのかは大事な問題です。そこでアメリカ合衆国議会は、1961年9月15日にサミュエル・ウィルソンが起源であるという決議を採択。この説はお墨付きを得ました。

ウィルソンが生まれた地であるマサチューセッツ州アーリントンには、彼のモニュメントが建造されています。ただ、あくまでサミュエル・ウィルソンをモデルとする説は言い伝え。本当はどういう経緯で生まれたのかは、歴史資料などで裏付けられているわけではありません。

アンクル・サムの図像はさまざまに存在していました。その姿はどことなく似ているものの、ぜんぶ別人。アメリカの理想の姿というハードルの高さもあって、どれがいちばん適切なのか論争が続けられてきました。

最終的に最高の理想とされたのがジェームズ・モンゴメリー・フラッグのアンクル・サム。どうしてそこまで国家の擬人化が重視されたのかと言うと、アメリカが移民の国だったからでしょう。さまざまなルーツを持つ国民をひとつにまとめるためひとつの人物像が必要とされたのです。

アンクル・サムのモデル、サミュエル・ウィルソンとは?

Uncle Sam Wilson's grave.JPG
By Boris Karpachev, en:User:BCarpaccio (uploaded to the English Wikipedia at 23:48 on January 31, 2006, description page here) - Self-made by Boris Karpachev at Oakwood Cemetery of Troy, NY. Uploaded from enwiki: en:Image:Uncle Sam Wilson's grave.JPG, Public Domain, Link

サミュエル・ウィルソンはマサチューセッツ州アーリントン生まれ。ウィルソン家はボストン最古の家系のひとつとされています。つまりサミュエル・ウィルソンは、アメリカ入植の最初期の家系がルーツの人物と言えるでしょう。

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ニューヨーク州の入植者であるサミュエル・ウィルソン

実際にサミュエル・ウィルソンは兄と共にニューヨーク州トロイで初めての開拓入植者となりました。兄と一緒にさまざまな事業を展開。成功させていきます。市政運営に関わるほどの有力者となり、このころからアンクル・サムと呼ばれるようになりました。

サミュエル・ウィルソンが興した事業のひとつが煉瓦造り。これが大成功をおさめます。トロイの多くの歴史的建造物の多くにサミュエルの煉瓦が使われました。米英戦争でかかわった精肉業は数ある事業のひとつというわけです。

サミュエル・ウィルソンの伝説化

87歳でサミュエル・ウィルソンが亡くなると、その名だけが独り歩きしていきます。アンクル・サムという言葉そのものは1775年、サミュエルの生存中にアメリカ独立戦争の叙情詩のなかに登場。このときサミュエルは10歳ほどですので、無関係です。

1816年に「アンクル・サムの冒険」という寓話のなかで、はじめてサミュエル・ウィルソンに関する言及がなされました。このあたりから、初期入植者のサミュエルに対する尊敬の念があらわれるようになります。外見は1800年代末以降の風刺画により確立されました。

アンクル・サムはプロパガンダの産物と考えることもできるでしょう。プロパガンダとは特定の考え方や意図を集団に宣伝すること。戦争中のポスターはプロパガンダとして機能していました。アンクル・サムの図像は昔から存在していましたが、プロパガンダを通じて人物像が定着したと言えます。そういう意味では戦争の産物と考えていいかもしれませんね。

フラッグによる風刺画のアンクル・サム

J. M. Flagg, I Want You for U.S. Army poster (1917).jpg
By James Montgomery Flagg - This image is available from the United States Library of Congress's Prints and Photographs division under the digital ID ppmsca.50554. This tag does not indicate the copyright status of the attached work. A normal copyright tag is still required. See Commons:Licensing for more information., Public Domain, Link

アンクル・サムの代表的なイラストと言えばジェームズ・モンゴメリー・フラッグによる募兵ポスターがあげられるでしょう。I Want YOU for U.S. Armyというメッセージのもと、向かい側にいる「あなた」を指さす初老の男性は、アンクル・サムの代表例となりました。

第一次世界大戦のシンボルアンクル・サム

アメリカ陸軍への応募を促すポスターがフラッグの代表作。かつ、アンクル・サムの代表例です。I Want YOU for U.S. Armyと言うアンクル・サムの眼光は鋭く、思わずドキッとするもの。第一次世界大戦のあいだ400万枚以上も印刷されました。さらには第二次世界大戦でも再び採用されています。

実は、このアンクル・サムのモデルはフラッグ。モデルを雇う費用を節約するために自分の顔をモデルにしたとのことです。アンクル・サムのポーズはイギリス陸軍の募兵用ポスターがモデル。アメリカのほかにもさまざまな国で模倣されました。

ポスターの達人 ジェームズ・モンゴメリー・フラッグ

ジェームズ・モンゴメリー・フラッグは、小さいころから絵の達人。12歳で全国誌にイラストが掲載される偉業を成し遂げています。「ライフ」の専属イラストレーターになったのはなんと14歳。天才子どもアーティストでした。

フラッグはイラストレーターとして経済的にも大成功。絶頂期はイラストレーターのなかで最高収入をたたき出したことでも知られています。とくに戦争を高揚させるポスターを多数制作しました。亡くなったのは1960年。ブロンクス区にあるウッドローン墓地にて眠っています。

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アンクル・サムが登場する歴史的な出来事

Putting his foot down.jpg
By Color lithograph by J.S. Pughe - Library of Congress - https://www.loc.gov/pictures/item/2012647332/ , Reproduction Number: LC-DIG-ppmsca-28534, Public Domain, Link

アンクル・サムは戦争などの戦意高揚や風刺などに登場することが多いのが特徴。とくに、アメリカが世界に影響力を拡大させる帝国主義の象徴として取り上げられる傾向がありました。そこでアンクル・サムが登場するふたつの歴史的出来事をとりあげます。

ハワイ併合のアンクル・サム

1898年にハワイを併合したときのアメリカ合衆国の態度がアンクル・サムを通じて描かれています。風刺画のなかでアンクル・サムはイギリス、ロシア、日本を脇に追いやり、オイスターのサンドウィッチを独り占めしました。

どうして日本が登場するのかというと、先住ハワイ人が武装蜂起したとき、日本に助けを求めたという経緯があるから。アメリカのハワイ併合を妨げるため、王党派の要請をうけて防護巡洋艦も派遣しています。このときの外相は大隈重信。アメリカ公使に抗議したものの功を奏しませんでした。

中国を分割するアンクル・サム

日清戦争が終わってから3年後、中国が複数の国により分割されました。その様子を描いた絵にもアンクル・サムが登場しています。中国の分割に手を挙げたのはイギリス、ドイツ、ロシアなどでした。列強諸国にとって中国は販路を拡大させるうえで欠かせない拠点と見なされたのです。

絵画のなかでアンクル・サムは率先して中国を分割。ほかの国の指導者は後を追うように中国分割に参加しています。実は、もともとは日本やヨーロッパ諸国が中国支配に名乗りを上げていましたが、国務長官ジョン=ヘイが「門戸解放」により割り込んできたのが現実です。

アンクル・サムと並ぶ擬人化、コロンビアと自由の女神

image by PIXTA / 67837081

アメリカ合衆国の古名として使われていたのがコロンビア。コロンビアはアメリカを象徴する女性の名称とされました。アメリカ大陸を発見したとされるクリストファー・コロンブスがその由来となっています。自由の女神と並んで、国の擬人化としてアンクル・サムと共に広く浸透していました。

第一次世界大戦のポスターに登場するコロンビア

コロンビアはアンクル・サムと同じく第一次世界大戦中のポスターに登場します。とくに有名なポスターがアメリカ合衆国食品局のもの。連合国の食料のストックを管理することがアメリカ合衆国食品局の役割でした。

また、アメリカ市場で不安定になりやすい小麦価格を安定させることもアメリカ合衆国食品局のミッション。ポスターでアメリカ合衆国の国旗のガウンをまとったコロンビアが「愛国心を持て」という言葉と共に、食糧を守ることの重要性を訴えています。

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自由の女神も国の擬人化

もっとも有名な国の擬人化の例が自由の女神でしょう。アメリカ合衆国の自由と民主主義の象徴としてニューヨークに鎮座しています。自由の女神を送ったのはフランス人。独立運動を支援したことが縁となって、募金により制作されました。

自由の女神は世界平和の象徴としての意味合いもあります。女神の冠の突起7つつ。七つの大陸と七つの海を意味します。そこに自由が広がるという願いが込められました。台座についてはアメリカ人の寄付により制作。ジョーゼフ・ピューリツァーが中心となり寄付が募られました。

アメリカでは19 世紀後半になると移民が一気に増えます。建国期の人口の 4 倍の移民が流入しました。とくに多かったのはアイルランド人でした。アイルランドからの移民が多かったのは大飢饉の影響で生活が困窮していたから。中国人も少なくありませんでした。

しかし徐々に差別が目立ち始めます。特にアイルランド移民は差別の対象になりました。またアイルランド人もカトリックの伝統を守るため同化を拒む傾向がありました。このような分裂をまとめるために力を発揮したのが擬人化。アンクル・サムはアイルランド系アメリカ人を意識してるという見解も可能です。

アンクル・サムはアメリカそのものを体現

アンクル・サムはアメリカの擬人化としてさまざまにアレンジされました。初老の男性で、その顔立ちは厳しく威厳に満ちています。とういう意味では自由の女神よりとっつきにくいところがあるでしょう。しかしアメリカ人にとっては親しみのある存在。日本では国を擬人化する風習があまりありません。アメリカ人にとってアンクル・サムが何を意味するのか自分なりに解釈してみても楽しいかもしれませんね。

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アメリカの歴史ヨーロッパの歴史世界史

アメリカの象徴「アンクル・サム」とはどんな人物?生まれた背景や意味を元大学教員が簡単にわかりやすく解説

アンクル・サムって知っているか?白髪で白髭の生えた初老の男性です。アメリカ合衆国政府のシンボル的なキャラクターとして、絵画やポスターにたびたび登場する。ただ、どんな経緯で生まれたのかは謎に包まれているんです。

そこで今回は、アメリカを体現すると言われるアンクル・サムの起源やその展開について、世界史に詳しいライターひこすけと一緒に解説していきます。

ライター/ひこすけ

アメリカの歴史と文化を専門とする元大学教員。アメリカが帝国主義の名のもとに勢力拡大していく様を体現するアンクル・サムに興味を持ち、気になることを調べてみた。

アンクル・サムはどうやって生まれた?

image by PIXTA / 38626942

アンクル・サムは、新聞の政治風刺漫画などに、アメリカの擬人化として登場します。アンクル・サムがかぶっているのは、星条旗を思わせる星柄のシルクハット。ジャケットは紺色で、赤い蝶ネクタイをしています。紅白縦縞のズボンをはいて星条旗そのもの。しかし、その起源ははっきりとは分かりません。

アンクル・サムが意味するのはアメリカ合衆国

アンクル・サムを英語にするとUncle Sam。それを短縮するとU.S.となります。ここからUnited Statesのシンボルと考えられました。とはいえその起源は不透明。諸説ありますが、濃厚なのは米英戦争に起源があるという説です。

米英戦争中、アメリカ陸軍にサミュエル・ウィルソンという人物が肉を卸していました。その男性のニックネームが「アンクル・サム」。彼は肉にアメリカ合衆国を意味するU.S.という焼印を押していました。それが起源とされています。

アメリカ合衆国政府のお墨付き

アメリカを象徴する人物であるためアンクル・サムは何者なのかは大事な問題です。そこでアメリカ合衆国議会は、1961年9月15日にサミュエル・ウィルソンが起源であるという決議を採択。この説はお墨付きを得ました。

ウィルソンが生まれた地であるマサチューセッツ州アーリントンには、彼のモニュメントが建造されています。ただ、あくまでサミュエル・ウィルソンをモデルとする説は言い伝え。本当はどういう経緯で生まれたのかは、歴史資料などで裏付けられているわけではありません。

アンクル・サムの図像はさまざまに存在していました。その姿はどことなく似ているものの、ぜんぶ別人。アメリカの理想の姿というハードルの高さもあって、どれがいちばん適切なのか論争が続けられてきました。

最終的に最高の理想とされたのがジェームズ・モンゴメリー・フラッグのアンクル・サム。どうしてそこまで国家の擬人化が重視されたのかと言うと、アメリカが移民の国だったからでしょう。さまざまなルーツを持つ国民をひとつにまとめるためひとつの人物像が必要とされたのです。

アンクル・サムのモデル、サミュエル・ウィルソンとは?

Uncle Sam Wilson's grave.JPG
By Boris Karpachev, en:User:BCarpaccio (uploaded to the English Wikipedia at 23:48 on January 31, 2006, description page here) – Self-made by Boris Karpachev at Oakwood Cemetery of Troy, NY. Uploaded from enwiki: en:Image:Uncle Sam Wilson’s grave.JPG, Public Domain, Link

サミュエル・ウィルソンはマサチューセッツ州アーリントン生まれ。ウィルソン家はボストン最古の家系のひとつとされています。つまりサミュエル・ウィルソンは、アメリカ入植の最初期の家系がルーツの人物と言えるでしょう。

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