この記事では「御家人」と「旗本」の違いについてみていきます。どちらも歴史の授業で江戸時代に出てくるよな。違いは将軍への面会資格や給料のようですが、他にも住居やつける職業なども厳格に分けられていたみたいです。今回は時代劇にもよく登場するこの2つの違いを、当時の役割や暮らしぶりも交えつつ、雑学マニアの田坂と一緒に解説していきます。

ライター/田坂バーシル

子供の頃から本の虫で、些細な事柄も調べずにはいられない性質。小説、漫画はもちろん、歴史、芸術、宗教、宇宙、アンダーグラウンドまで興味は尽きないようだ。今日も文字の大海原に驚きとときめきを求める雑学マニア。

「御家人」と「旗本」とは?

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狩野探幽 - 大阪城天守閣, パブリック・ドメイン, リンクによる

歴史の授業で「御家人」「旗本」といった言葉を耳にしたことはありませんか?あるいは時代劇を見ていて出てきたけれど、違いがよくわからないという方もいるかもしれませんね。ここでは江戸時代の「御家人」と「旗本」について解説していきます。

まず基本になりますが、江戸時代とは関ヶ原の戦いで勝利をおさめた徳川家康が江戸に幕府を開いた1603年から、徳川慶喜が大政奉還により明治天皇に政権を返上した1867年までの、およそ260年間続いた時代のことです。

「御家人(ごけにん)」:直参で、御目見(おめみえ)以下の者

聞き慣れない言葉がいくつかありますので一緒に説明しましょう。まず「直参」というのは旗本・御家人の総称です。そして「御目見以下」とは、将軍に面会を許されていないということ。そしてこの「将軍」とは征夷大将軍となった徳川家康から、その後将軍職を引き継いだ15名の徳川宗家の当主を示しています。

つまり、御家人とは「将軍直属の部下の中で、将軍に直接の面会を許されていない下級の人」となりますね。なお御家人の中でも、以下の3つの家格に分けられていました。

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譜代(ふだい):初代家康から4代家綱までの時代に、留守居与力・同心等として仕えた者の子孫。家督相続が許されていた。
二半場(にはんば):4代の間に西丸留守居同心等として仕えた者の子孫。家督相続が許されていた。
抱席(かかえせき):4代の間に大番与力・同心等に召抱えられた者、および5代以後に召抱えられた御目見以下の者。一代限りの身分。

「旗本(はたもと)」:知行高が1万石未満の直参で、御目見以上の者

「旗本」とは元々は「大将旗のある所=本陣」という意味ですが、そこから転じて大将の麾下にある直属の近衛兵を指すようになりました。「知行高が1万石未満」というのは、将軍から領地として与えられている土地の百姓たちから徴収した年貢が1万石未満であるということ。そして「御目見以上」とは、将軍に面会を許されているということです。

なので、旗本とは「将軍直属の部下の中で、給料をそれなりにもらっていて面会の資格もある上級の人」となります。それなりとは?と疑問に思われた方は下部の「1万石ってどれくらい?」もあわせてご覧ください。

「大名(だいみょう)」とは?

江戸時代の「大名」とは、「石高1万石以上の諸藩を治める地方領主」のことです。旗本の「知行高1万石未満」に対し「石高1万石以上」、そして旗本の「将軍直参」に対し「将軍に仕える地方領主」という違いがあります。たとえば将軍が諸藩の藩士(大名の家来)を動かすには、まず大名に命令を下し大名が藩士を動かすことになりますが、直参である御家人・旗本であれば将軍が直接動かすことができるのです。

普段、江戸や大阪など幕府が直接治める地域で役人として働いていたのは御家人・旗本たちで、一方全国各地を治めていたのが大名たちということですね。なお、大名には大きく分けて3種類ありました。

親藩(しんぱん):家康の子孫を封じた家。御三家・御三卿など、将軍家の親戚。
譜代(ふだい)大名:関ケ原の戦い以前から徳川氏に臣従してきた大名、およびその家格に準ぜられたもの。
外様(とざま)大名:関ケ原の戦い以降に徳川氏に臣従した大名。

長い江戸時代の中で数例だけ、養子縁組などによらず一代で御家人から旗本に上った人もいたそうですが、基本的に御家人に生まれた人は御家人のままでした。また旗本から大名に上った人も少なく、当時の身分制度がいかに厳格であったかがわかりますね。

\次のページで「直参の役割と江戸時代の暮らし」を解説!/

直参の役割と江戸時代の暮らし

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御家人と旗本は直参、つまり将軍の直属の部下たちです。彼らは当時どのような生活を送っていたのでしょうか。

御家人の役割と暮らし

御家人は馬に乗ることを許されていなかったので、戦では徒士組(歩兵)、鉄砲百人組(鉄砲隊)などに配属されるのが常でした。平時は勘定所勤務や普請方勤務、もしくは町奉行所の与力・同心など下級官吏として働いていました。

御家人には所属する役所の組単位で「組屋敷」が貸し与えられていたのですが、生活はあまり豊かとは言えず、給料として支給された米を換金してやりくりしたり内職をしている人も珍しくなかったようです。また御家人も旗本も必ず役につけたわけではなく、無役の人も多かったそう。その人たちは小普請組(大工仕事等を行う、のちに小普請役金を上納する)に振り分けられていました。

時代劇でも聞き覚えがあるかもしれませんが、御家人は「旦那様」、その妻は「御新造様」と呼ばれていましたよ。

旗本の役割と暮らし

旗本は役方(行政職)として奉行・奏者番・大目付・目付・代官など、あるいは番方(軍事・警察)として小姓組番・書院番・大番・新番・小十人組などの役職についていました。ちなみに旗本の最高職は「留守居」で、これは将軍不在時に江戸城の留守を守るという重要な役割でした。

旗本には、幕府から家禄に応じて「旗本屋敷」が貸し与えられていましたが、屋敷では家族だけでなく奉公人たちも養う必要があり、経済的には質素な暮らしをしている旗本も多かったようです。ただ旗本の中でも「大身旗本(たいしんはたもと)」と呼ばれる旗本がいて、大名に課される参勤交代などがなかった分、小さな大名よりもずっと裕福だったそうですよ。

旗本は領地を持っているので「殿様」、その妻は「奥様」と呼ばれていました。このことからも旗本と御家人の身分格差はとても大きかったことがわかりますね。

江戸時代の豆知識

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ちょっと気になるポイントを解説していきます。

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直参って何人くらいいたの?

「旗本八万騎」という言葉がありますが、1722年の調査での実際の旗本の人数は約5200人、また御家人は約1万7000人だったと言われていますよ。

ですが1633年に定められた軍役規定に照らすと旗本の出陣総数は約6万7500人になり、これに御家人約1万7000人を加えれば8万4500人の大軍となります。そうなると「旗本八万騎」というのもあながちウソではなかったのかもしれませんね。

1万石ってどれくらい?

「石(こく)」は主に米穀を量るのに用いられた体積の単位です。「1石=10斗=100升=1000合」で「1合=約180ml」。1合のお米の重さはおよそ150gですので、お米1石の重さは約150kg、つまり「1万石の重さ=1500t」です。

ちなみに、米価を現在の「60kgあたり1万4000円」と仮定すると「1500tのお米の値段=3億5千万円」となり、江戸時代の年貢率「四公六民」に従うと、1万石の収入はこの4割ということで…おおよその計算ではありますが、1億4千万円になりますね。

「御家人」と「旗本」は江戸幕府の要だった

現代とは違い、江戸時代はれっきとした身分社会でした。そのため将軍に直接仕える者の中でも、「御家人」「旗本」とはっきりと区別をつけていたのですね。ざっくりとまとめると、「御家人は将軍直属の部下だけど将軍に会えない人」「旗本は将軍直属の部下で将軍に会うことができる人」です。こう書くと御家人が少し不憫な感じがしてしまいますが、当時の将軍様がいかに偉い人だったのかがわかるような気もします。最後になりますが、この記事が江戸時代の理解の助けになれば幸いです。

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簡単でわかりやすい!「御家人」と「旗本」の違いとは?「大名」との違いも雑学マニアが詳しく解説

この記事では「御家人」と「旗本」の違いについてみていきます。どちらも歴史の授業で江戸時代に出てくるよな。違いは将軍への面会資格や給料のようですが、他にも住居やつける職業なども厳格に分けられていたみたいです。今回は時代劇にもよく登場するこの2つの違いを、当時の役割や暮らしぶりも交えつつ、雑学マニアの田坂と一緒に解説していきます。

ライター/田坂バーシル

子供の頃から本の虫で、些細な事柄も調べずにはいられない性質。小説、漫画はもちろん、歴史、芸術、宗教、宇宙、アンダーグラウンドまで興味は尽きないようだ。今日も文字の大海原に驚きとときめきを求める雑学マニア。

「御家人」と「旗本」とは?

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歴史の授業で「御家人」「旗本」といった言葉を耳にしたことはありませんか?あるいは時代劇を見ていて出てきたけれど、違いがよくわからないという方もいるかもしれませんね。ここでは江戸時代の「御家人」と「旗本」について解説していきます。

まず基本になりますが、江戸時代とは関ヶ原の戦いで勝利をおさめた徳川家康が江戸に幕府を開いた1603年から、徳川慶喜が大政奉還により明治天皇に政権を返上した1867年までの、およそ260年間続いた時代のことです。

「御家人(ごけにん)」:直参で、御目見(おめみえ)以下の者

聞き慣れない言葉がいくつかありますので一緒に説明しましょう。まず「直参」というのは旗本・御家人の総称です。そして「御目見以下」とは、将軍に面会を許されていないということ。そしてこの「将軍」とは征夷大将軍となった徳川家康から、その後将軍職を引き継いだ15名の徳川宗家の当主を示しています。

つまり、御家人とは「将軍直属の部下の中で、将軍に直接の面会を許されていない下級の人」となりますね。なお御家人の中でも、以下の3つの家格に分けられていました。

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