この記事では公爵と侯爵の違いについてみていきます。2つともどちらも同じ読みの「こうしゃく」です。太平洋戦争終了前までにあった華族制度で使われていたのですが、位の差などで異なっているようです。ヨーロッパと日本では使われ方の違いもあり、国内外で混乱することもあったという。今回は2つの言葉の違いを、国内外の使い方の比較をしつつ、文学部卒ライター海辺のつばくろと一緒に解説していきます。

ライター/海辺のつばくろ

華族制度とは縁のない生活をしているが、本の中に言葉が出てきて違いが気になった文学部卒ライター。

日本の「華族制度」:公・侯・伯・子・男の五爵制度

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「公爵」と「侯爵」、どちらも同じ読みの「こうしゃく」です。日本には、明治から昭和20年代にかけて、公・侯・伯・子・男からなる「五爵制度」という貴族の身分制度がありました。明治期に幕府から天皇家に政権が交代する際に、ヨーロッパの国々にならった貴族階級が使われることになったのです。

最初は貴族は「華族」で呼ばれましたが、該当者が大勢増えたため、1884年(明治17年)に等級を区別することになりました。そのことにより、爵位を持つ家の代表者とその家族を華族と呼ぶようになったのです。

日本の場合、1つの家が1つだけ持ち、家主が爵位を名乗ります。ヨーロッパの場合は、1人が持つ地位で複数所持が可能ですし、家族や家臣に持つ爵位を分け与えて名乗らせる例もあったようです。

公爵の意味

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「公爵」は五爵制度の中で、最も高い身分の爵位を表します。1889年の貴族院令により、公爵の位に就くと、満30歳を迎えると選挙などを経ずにそのまま終身貴族院議員になれる、家の品格を保つために家門永続資金が支給されるという手厚い制度もあったということです。

日本:公家・武家・勲功があった者の家

日本で公爵に定められた家系は以下の通りです。

1.摂関家(近衛・九条・二条・一条・鷹司)摂政や関白に就く家柄・「五摂家」
2.徳川宗家(江戸幕府で征夷大将軍を出した家柄)
3.明治維新で新政府設立に功績があった家
・公家…三条・岩倉・島津・毛利・西園寺・徳大寺・水戸徳川家
・武家のうち、別家を起こすことが認められた者の家…徳川慶喜・島津家光
・政府設立に貢献した者の家…伊藤博文・山縣有朋・大山巌・桂太郎・松方正義

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ヨーロッパ:王族につながる家

ヨーロッパで公爵という場合、王以外の王族、例えば王子や王弟などをさすことが多いです。王家の分家の代表者を指すことも。そのため、”Prince”(プリンス:王子)という意味で使われることもあります。モナコ公国やリヒテンシュタイン公国のように、公爵の中でも有力な大公が国を治めている場合もありますよね。

また、公爵を”Duke’(デューク:地方長官)”と訳すことも。地方の領地を統治する役目のある人を指すので、日本の公爵とは意味合いが異なります。

伊藤博文が”皇子”と誤訳された理由:公爵の解釈の違い

海外で伊藤博文を紹介した際に、”天皇の皇子”、または天皇家につながる家系だと勘違いされたことがあります。これは、公爵を英語で訳すと”Prince”が用いられることが多いから。伊藤博文は政府の設立に大きな功績があったので、公爵の位を授けられました。海外では公爵は王族を表すことから誤訳されたようです。

侯爵の意味

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「侯爵」は五爵制度の中で、公爵に次ぐ第2の地位の爵位です。満30歳を迎えると終身貴族議員になれるという点では公爵と同様。しかし、異なるところは家門永続資金と貴族院議員歳費の支給は一切なかったとのこと。体面を保つのに金銭面で大変な家もあったようですね。

日本:公家・武家・琉球藩王家・朝鮮王家・勲功があった者

日本で侯爵に定められた家は以下の通りです。

1.公家…中山家・佐賀家・四条家など
2.武家…鍋島家・前田家・尾張徳川家など大名家
3.旧琉球藩王家(尚家)
4.朝鮮貴族(李氏など)
5.勲功者
・大久保利通・木戸孝允・西郷隆盛などの家系
・井上家・東郷家など

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ヨーロッパ:国境を守った将軍の家

ヨーロッパでは、侯爵は”marquess”または”marquis”、マーキスと呼ばれます。日本と同様に侯爵の次に高い地位で、もともと「辺境伯」を意味する”Markgraf”からとって付けられた称号。国境を守る将軍といった役目を担っていました。

もちろん重責のため、大きな権力が与えられていたようですね。王族を除いて家来の中でも1番上位に位置する存在です。

日本の華族制度のうち公爵が最高位・侯爵は第2位

日本の華族制度のうち、公爵は最高位で満30歳で貴族院議員に無条件で選出される、体面を保つための家門永続資金が支給されるという特典があります。一方、侯爵は2番めの爵位。貴族院議員に選出される優遇措置は公爵と同様です。しかし、家門永続資金は支給されないという点が異なります。

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簡単でわかりやすい公爵と侯爵の違い!どちらが上位?日本とヨーロッパの貴族制度も文学部卒ライターが詳しく解説

この記事では公爵と侯爵の違いについてみていきます。2つともどちらも同じ読みの「こうしゃく」です。太平洋戦争終了前までにあった華族制度で使われていたのですが、位の差などで異なっているようです。ヨーロッパと日本では使われ方の違いもあり、国内外で混乱することもあったという。今回は2つの言葉の違いを、国内外の使い方の比較をしつつ、文学部卒ライター海辺のつばくろと一緒に解説していきます。

ライター/海辺のつばくろ

華族制度とは縁のない生活をしているが、本の中に言葉が出てきて違いが気になった文学部卒ライター。

日本の「華族制度」:公・侯・伯・子・男の五爵制度

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「公爵」と「侯爵」、どちらも同じ読みの「こうしゃく」です。日本には、明治から昭和20年代にかけて、公・侯・伯・子・男からなる「五爵制度」という貴族の身分制度がありました。明治期に幕府から天皇家に政権が交代する際に、ヨーロッパの国々にならった貴族階級が使われることになったのです。

最初は貴族は「華族」で呼ばれましたが、該当者が大勢増えたため、1884年(明治17年)に等級を区別することになりました。そのことにより、爵位を持つ家の代表者とその家族を華族と呼ぶようになったのです。

日本の場合、1つの家が1つだけ持ち、家主が爵位を名乗ります。ヨーロッパの場合は、1人が持つ地位で複数所持が可能ですし、家族や家臣に持つ爵位を分け与えて名乗らせる例もあったようです。

公爵の意味

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「公爵」は五爵制度の中で、最も高い身分の爵位を表します。1889年の貴族院令により、公爵の位に就くと、満30歳を迎えると選挙などを経ずにそのまま終身貴族院議員になれる、家の品格を保つために家門永続資金が支給されるという手厚い制度もあったということです。

日本:公家・武家・勲功があった者の家

日本で公爵に定められた家系は以下の通りです。

1.摂関家(近衛・九条・二条・一条・鷹司)摂政や関白に就く家柄・「五摂家」
2.徳川宗家(江戸幕府で征夷大将軍を出した家柄)
3.明治維新で新政府設立に功績があった家
・公家…三条・岩倉・島津・毛利・西園寺・徳大寺・水戸徳川家
・武家のうち、別家を起こすことが認められた者の家…徳川慶喜・島津家光
・政府設立に貢献した者の家…伊藤博文・山縣有朋・大山巌・桂太郎・松方正義

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