日本で最も古い物語は千年以上前に成立した「竹取物語」です。じゃあ、人類最古の物語は知っているか?答えは「ギルガメッシュ叙事詩」といって、中東のメソポタミア文明のころに書かれたものです。
今回は「ギルガメッシュ叙事詩」について、その内容や当時の様子を交えてを歴史オタクのライターリリー・リリコと一緒にわかりやすく解説していきます。

ライター/リリー・リリコ

興味本意でとことん調べつくすおばちゃん。座右の銘は「何歳になっても知識欲は現役」。大学の卒業論文は義経をテーマに執筆。大河ドラマや時代ものが好き。歴史のなかでも特に古代の国家や文明に大きな関心を持つ。今回は人類最古の物語「ギルガメッシュ叙事詩」を紐解きながら詳しくまとめた。

1.世界最古の物語は世界最古の文明から生まれた!

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紀元前3000年ごろ、現在のイラクのあたりに誕生した人類最古の文明とされるメソポタミア文明。今回のメインとなる「ギルガメッシュ叙事詩」はこのメソポタミア文明初期の王様「ギルガメッシュ」を主人公にした物語です。まずは「ギルガメッシュ叙事詩」が生まれたメソポタミア文明がどのような文明だったのかを簡単に解説していきましょう。

アジア最長のチグリス・ユーフラテス川に挟まれたメソポタミア

「メソポタミア」とはギリシャ語で「川の間地方」という意味であり、実際、メソポタミア文明はチグリス川とユーフラテス川周辺で発展しました。

ちょうどイラクの首都・バグダッドがふたつの川に挟まれていますね。チグリス川は全長約1900キロ、ユーフラテス川全長約2800キロで西アジア最長の川でもあります。

ただ、現在のチグリス川とユーフラテス川はトルコ東部からペルシャ湾へと流れていますが、メソポタミア文明が発展していた当時は、両大河はひとつではなく別々の河口を持っていたそうです。

なぜ川の周辺?文明が発達する理由があった!

メソポタミア文明に限らず、古代の文明はたいてい川のほとりで発展するものが多くみられますね。それにはちゃんとした理由があるのです。

そもそも、人間が生きるためには食べ物が必要不可欠ですね。しかし、古代では作物を育てるにも肥料なんて便利なものはありませんから、なによりもまず豊かな土地が必要だったのです。

そこで目をつけられたのが大きな川でした。川は氾濫や洪水などによって上流から肥沃な土を運び、周辺に沖積平野をつくります。そこは栄養をたっぷり含んだ土地ですから、作物がよく実りますよね。農業によって食料事情が潤い、さらに草を求めて集まってきたヤギなど草食動物の牧畜がはじまります。

このようにして古代の人々は家族を増やし少人数だった集落は村に。やがては都市国家へと発展していったのです。

メソポタミア文明発展の肝はここ!「肥沃な三日月地帯」

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川は文明発展のポイント!メソポタミア文明ではチグリス川とユーフラテス川がその役割を担っていました。特にシリア、パレスチナにかけて栄養のある土地ができ、この三日月のような形をした一帯を「肥沃な三日月地帯」といいます。

メソポタミア文明の人々は肥沃な三日月地帯で農業と牧畜を行って豊かな食糧を得ることに成功。さらに、北は山岳、南は砂漠に挟まれた土地柄で人間がより集まりやすい地域だったため、たくさんの人が集まって都市をつくり、メソポタミアは古代オリエントの中心となったのでした。

ギルガメッシュはどこ?複数の文明の総称「メソポタミア文明」

チグリス川とユーフラテス川の周辺で発生したメソポタミア文明ですが、両大河のまわりに大きな国がひとつだけ建ったのではありません。北のアッシリア、南のバビロニア、さらにバビロニアを南北のアッカドとシュメールの地域にわけて、いくつもの文明が発展しました。メソポタミア文明のはじまりは、南部のシュメールから上流へと広がっていったとされています。

「ギルガメッシュ叙事詩」の舞台は、最初の文明シュメールの都市「ウルク」。現代地図で言うと、イラクの南東のサマーワのあたりです。

\次のページで「メソポタミア文明の始まり!シュメール人の都市国家たち」を解説!/

メソポタミア文明の始まり!シュメール人の都市国家たち

「ギルガメッシュ叙事詩」の舞台となるウルクには、約5000年前から人間が住んでいたとされます。

ウルクの住民はシュメール人。民族の系統は不明で、紀元前4000年代にメソポタミアに移動してきたと考えられています。また、シュメール人はウルク以外にもウルやラガシュ、ニップルなど有力な都市国家を形成しました。彼らの築いた最大の都市がウルクです。

しかし、これだけの都市国家があると、土地や食料など様々な理由で都市同士での争いついてまわります。そこで、それぞれの都市は身を守るために環濠や日干しレンガで高い城壁を造り、都市を囲いました。さらに、都市の中心には階段型ピラミッドのジッグラト(神殿)を造り、メソポタミア神話の神々を祀ったのです。

2.英雄と暴君の二面性を持つギルガメッシュ王の波乱の物語

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「ギルガメッシュ叙事詩」の主人公はウルクの初期王朝時代の伝説的な王・ギルガメッシュ。古代は神々の存在は身近にあり、ギルガメッシュ王はウルク王を父に、そして、女神を母に持った半神半人として誕生しました。メソポタミア文明の王は神々と人を繋ぐ役割があり、限りなく人に近い「神の代理人」だったのです。

そのため、王権は神々から授かる「王権神授」であり、神の代理人たる王は天の声を地上に伝えて地上を治めるといった形を取っていました。

英雄と暴君の二面性?神々に送られた刺客エンキドゥ

ギルガメッシュは英雄としての一面を持つ反面、彼にかなうものは誰もいなかったために暴君として振る舞い、民衆から恐れられていました。ギルガメッシュの悪行に耐えかねたウルクの民衆は神に助けを求めます。そうして神々が地上に遣わしたのが、ギルガメッシュと同等の力を持つ勇猛果敢な戦士エンキドゥでした。

ギルガメッシュはエンキドゥと壮絶な戦いを繰り広げますが、力が対等なためになかなか決着がつきません。長い戦いの中でふたりはお互いの力を認め合い、最後にギルガメッシュとエンキドゥは無二の親友となったのでした。

エンキドゥとの勝負のあと、ギルガメッシュは暴君の態度を改めて穏やかな政治を行うようになったのです。

神と対立!?ギルガメッシュと親友・エンキドゥの冒険

親友となったギルガメッシュとエンキドゥは、遠くの森の番人・自然神フンババを退治することになりました。木材の乏しい古代のメソポタミアにとってフンババの守るレバノン杉はとても魅力的でしたし、また、フンババを倒せば森を切り開いた英雄として名前を残すことをギルガメッシュが提案したのです。エンキドゥはフンババ退治には反対しましたが、最終的にふたりでフンババを倒すことになります。

こうして、ウルクにすばらしい杉を持ち帰ったギルガメッシュでしたが、その雄姿にウルクで祀られる都市神の女神イシュタルが惹かれてしまい、イシュタルからの誘惑を受けることに。

しかし、女神イシュタルは非常に残忍で不実な女神で、これまでの彼女の夫たちが彼女の愛情が冷めたあとにひどい仕打ちを受けたことをギルガメッシュは知っていました。彼はイシュタルの誘いを断り、イシュタルは大激怒してギルガメッシュへの復讐を始めたのです。

エルキドゥの死…悲しみから不死を探す旅へ

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イシュタルは復讐のために巨大な天の雄牛(グガランナ)をウルクへと差し向けました。天の雄牛は大地を割ってウルクの人々を飲み込んで殺してしまいます。この一大事にギルガメッシュとエンキドゥはまた力を合わせて戦い、なんとか天の雄牛を倒すことに成功しました。

けれど、ふたりがフンババと天の雄牛を倒してしまえるほどの大きな力となったことを、今度は天の神々が恐れ始めたのです。神々はふたりのうちどちらかが死ななければならないとして、エンキドゥに死の呪いを与えました。

神々の呪いは解くことができず、エンキドゥは高熱にうなされ、ギルガメッシュに看取られたのです。エンキドゥの死を悲しんだギルガメッシュはこのとき死に対する恐怖を覚えました。そうして、不死を探す旅に出たのです。

\次のページで「人類初にして永遠のテーマ「不死への希求」」を解説!/

人類初にして永遠のテーマ「不死への希求」

「ギルガメッシュ叙事詩」は人類最古にして初めてその永遠のテーマを掲げました。エンキドゥを失ったギルガメッシュは永遠の命を求めてウルクを離れます。そして、長い旅の末に不死の王ウトナピシュティムを訪ねました。しかし、彼はこの不死は神々が起こした大洪水の償いだ、と言い、ギルガメッシュに不死を授けることはできないとします。また、ウトナピシュティムは「人は死すべき運命にある」ことを説きました。

一方で、ウトナピシュティムはギルガメッシュに若返りの草の場所を教えてくれます。ギルガメッシュは若返りの草を手に入れることはできたのですが…、ウルクへの帰り路の途中、水浴びをしているときに蛇に草を食べられてしまうのです。

結局、不死も若返りさえも手に入れられなかったギルガメッシュは失意のままウルクへ戻ったのでした。帰還した彼はよく国を治め、人々に惜しまれながら亡くなったとされています。

3.「ギルガメッシュ叙事詩」がヨーロッパを震撼させる!?

GilgameshTablet.jpg
パブリック・ドメイン, リンク

現代のように紙や電子といった記録媒体のない古代のメソポタミアでは、「粘土板」という粘土でできた板に楔形文字を記して記録していました。「ギルガメッシュ叙事詩」も粘土板に楔形文字で記録され、その後に周辺の諸民族の言葉に訳されて他国へと伝わります。

そうして現代にまで残ったのが、メソポタミア北部に誕生するアッシリア帝国の都市ニネヴェに建っていたアッシュールバニパルの図書館から発見された「ギルガメッシュ叙事詩」を書いた粘土板でした。

粘土板が解読され、「ギルガメッシュ叙事詩」の内容が明らかにされるとヨーロッパに衝撃を与えることになったのです。

聖書が最古じゃない!?キリスト世界を震撼させた発見

前章の「ギルガメッシュ叙事詩」のなかでウトナピシュティムが語った大洪水は、神々が洪水によって人類を抹殺しようとし、エア神の警告によって彼が船を造り、家族や動物たちを乗せて難を逃れたという「洪水神話」です。

けれど、この洪水神話をどこかで聞いたことはありませんか?そう、キリスト教の聖書にある「ノアの箱舟」ですね。

大英図書館の修復員であり、アッシリアの研究者ジョージ・スミスが「ギルガメッシュ叙事詩」を解読し、ウトナピシュティムの語る洪水神話は「ノアの箱舟」の原型にあたるという論文を1872年に発表しました。それまで聖書が世界最古だと信じていたヨーロッパでは、聖書よりも先に「ギルガメッシュ叙事詩」があったと大いに驚き、認識が改められたのです。

ギルガメッシュ王と相棒エンキドゥの世界最古の友情物語

紀元前3000年ごろに誕生したメソポタミア文明の地のひとつシュメール人の都市国家ウルクを舞台にした「ギルガメッシュ叙事詩」。主人公のウルクの王ギルガメッシュは並ぶもののいない半神半人の王でした。しかし、ギルガメッシュ王の悪行を見かねた神々によって遣わされた彼と同等の力を持つエンキドゥと戦うことで改心。エンキドゥを無二の親友としてギルガメッシュ王の冒険が描かれます。

物語はギルガメッシュ王を中心にエンキドゥとの出会いと別れを起点にして転換し、エンキドゥの死をきっかけにギルガメシュ王は人類永遠のテーマとなる不老不死を追い求めました。そのなかで、「人は死すべきもの」という死生観を示したのです。

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世界史中東の歴史

簡単でわかりやすい!「ギルガメッシュ叙事詩」世界最古の物語!?いったい何が書かれているの?歴史オタクが詳しく解説

日本で最も古い物語は千年以上前に成立した「竹取物語」です。じゃあ、人類最古の物語は知っているか?答えは「ギルガメッシュ叙事詩」といって、中東のメソポタミア文明のころに書かれたものです。
今回は「ギルガメッシュ叙事詩」について、その内容や当時の様子を交えてを歴史オタクのライターリリー・リリコと一緒にわかりやすく解説していきます。

ライター/リリー・リリコ

興味本意でとことん調べつくすおばちゃん。座右の銘は「何歳になっても知識欲は現役」。大学の卒業論文は義経をテーマに執筆。大河ドラマや時代ものが好き。歴史のなかでも特に古代の国家や文明に大きな関心を持つ。今回は人類最古の物語「ギルガメッシュ叙事詩」を紐解きながら詳しくまとめた。

1.世界最古の物語は世界最古の文明から生まれた!

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紀元前3000年ごろ、現在のイラクのあたりに誕生した人類最古の文明とされるメソポタミア文明。今回のメインとなる「ギルガメッシュ叙事詩」はこのメソポタミア文明初期の王様「ギルガメッシュ」を主人公にした物語です。まずは「ギルガメッシュ叙事詩」が生まれたメソポタミア文明がどのような文明だったのかを簡単に解説していきましょう。

アジア最長のチグリス・ユーフラテス川に挟まれたメソポタミア

「メソポタミア」とはギリシャ語で「川の間地方」という意味であり、実際、メソポタミア文明はチグリス川とユーフラテス川周辺で発展しました。

ちょうどイラクの首都・バグダッドがふたつの川に挟まれていますね。チグリス川は全長約1900キロ、ユーフラテス川全長約2800キロで西アジア最長の川でもあります。

ただ、現在のチグリス川とユーフラテス川はトルコ東部からペルシャ湾へと流れていますが、メソポタミア文明が発展していた当時は、両大河はひとつではなく別々の河口を持っていたそうです。

なぜ川の周辺?文明が発達する理由があった!

メソポタミア文明に限らず、古代の文明はたいてい川のほとりで発展するものが多くみられますね。それにはちゃんとした理由があるのです。

そもそも、人間が生きるためには食べ物が必要不可欠ですね。しかし、古代では作物を育てるにも肥料なんて便利なものはありませんから、なによりもまず豊かな土地が必要だったのです。

そこで目をつけられたのが大きな川でした。川は氾濫や洪水などによって上流から肥沃な土を運び、周辺に沖積平野をつくります。そこは栄養をたっぷり含んだ土地ですから、作物がよく実りますよね。農業によって食料事情が潤い、さらに草を求めて集まってきたヤギなど草食動物の牧畜がはじまります。

このようにして古代の人々は家族を増やし少人数だった集落は村に。やがては都市国家へと発展していったのです。

メソポタミア文明発展の肝はここ!「肥沃な三日月地帯」

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川は文明発展のポイント!メソポタミア文明ではチグリス川とユーフラテス川がその役割を担っていました。特にシリア、パレスチナにかけて栄養のある土地ができ、この三日月のような形をした一帯を「肥沃な三日月地帯」といいます。

メソポタミア文明の人々は肥沃な三日月地帯で農業と牧畜を行って豊かな食糧を得ることに成功。さらに、北は山岳、南は砂漠に挟まれた土地柄で人間がより集まりやすい地域だったため、たくさんの人が集まって都市をつくり、メソポタミアは古代オリエントの中心となったのでした。

ギルガメッシュはどこ?複数の文明の総称「メソポタミア文明」

チグリス川とユーフラテス川の周辺で発生したメソポタミア文明ですが、両大河のまわりに大きな国がひとつだけ建ったのではありません。北のアッシリア、南のバビロニア、さらにバビロニアを南北のアッカドとシュメールの地域にわけて、いくつもの文明が発展しました。メソポタミア文明のはじまりは、南部のシュメールから上流へと広がっていったとされています。

「ギルガメッシュ叙事詩」の舞台は、最初の文明シュメールの都市「ウルク」。現代地図で言うと、イラクの南東のサマーワのあたりです。

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