七つの国を一つにした問題?お金や単位はどうする?
もともと七つだった国が一つになった秦。しかし、国が七つもあればそれぞれで使われていたお金や重さ・長さの単位は違うもの。お金だけでも布貨、刀貨、円貨など違ったものが使われていました。
けれど、日本でアメリカのドルが使えないように、別の土地で違う貨幣で買い物はできません。そこで始皇帝は中国最初の統一通貨「半両銭」を制定しました。そして、長さの単位(度)を決め、量を測る「ます」、重さをはかる「はかり」の標準器を分配。公式で使われる書体には「小篆」を採用して、人々が生活で必要なものを次々と統一していったのです。
良いこと?悪いこと?始皇帝の「焚書坑儒」
始皇帝が行った政策のひとつに「焚書坑儒」というものがあります。簡単に言ってしまうと、始皇帝に批判的な儒家への迫害でした。
儒家は、孔子を祖とする思考や信仰「儒教」を奉じる人のこと。儒教は人間愛の「仁」と社会秩序の「礼」を基本理念とした中国固有の宗教、そして学問でもあります。日本にも古くから伝わっていて、江戸時代には学問の中心となっているんですよ。
しかし、始皇帝の腹心だった李斯(りし)は法家であり、法家は儒家の思想では国家を治めることは難しいという考えでした。そうして、李斯の進言により儒家の書物を禁書として焼く「焚書」が行われ、それに抵抗した儒家を生き埋めにする「坑儒」が行われたのです。
こうした「焚書坑儒」によって秦の思想の統制をおこなったとされます。
世界遺産の巨大建築「万里の長城」「兵馬俑」
始皇帝と言えば最初に出てくるのが「万里の長城」や「兵馬俑」などの巨大な建築でしょう。
現在も観光地として人気の「万里の長城」は秦が北の騎馬民族「匈奴」の南下対策として建設されました。万里の長城は秦の滅亡後もその後の国々によって延長され続け、公式の発表では全長21,196キロもあるとか。ただ、現存している部分は始皇帝の時代のものではなく、明の時代のものがほとんどだそうです。
そして、もうひとつの「兵馬俑」は始皇帝のお墓として造られました。始皇帝が死後も生前と同じように生活できるように家臣を模した人形や副葬品がたくさん集められたのです。しかし、兵馬俑は秦の滅亡後に荒らされてしまったことから、長い間伝説の存在でした。実在するとわかったのは1974年のこと。井戸を掘っていた農民が偶然発見し、伝説は本当だったと世界中に驚きのニュースが届いたのでした。
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水銀で不老不死に?真人や仙人を求めるも……
中国統一にはじまり、皇帝としてさまざまな政治を行った始皇帝ですが、どんな偉業を成し遂げてもやはり人間は最後には死んでしまうもの。どうしようもないことですが、始皇帝は死さえ克服してしまおうと考えました。そうして、真人や仙人から不老不死の薬を譲り受けようと国中を探させます……が、見つかりません。
そこで始皇帝は道教で不老不死の薬とされる「丹薬」を飲むことにしました。しかし、この「丹薬」とは「水銀」だったのです。現代では、水銀は毒で、飲むと中毒を起こして死んでしまうとわかっていますが、当時は薬として信じられていました。
不老不死の薬として水銀を服用し続けた始皇帝は、50歳で亡くなってしまうのです。
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初めて中国を統一し、初めて「皇帝」となり、初めて万里の長城を造り……と、初めてづくしの皇帝となった「始皇帝」。統一後も手を抜くことなく内政に力を入れ、中央集権化を推し進め、貨幣やはかりの全国統一など抜かりありません。さらには万里の長城や兵馬俑など史跡があり、その偉業は目に見える形で現代へと残されているのでした。


