日本史飛鳥時代

5分で簡単にわかる「天智天皇」あの中大兄皇子が天皇に?新時代のリーダー誕生か?歴史オタクがわかりやすく解説

よぉ、桜木健二だ。飛鳥時代の中頃、朝廷で大きなクーデターが起こった。その政変の中心となったのが中大兄皇子、のちの「天智天皇」だな。それまで政権をほしいままにしていた蘇我氏を倒し、どんどん改革を行っていったんだ。特に有名なのが「大化の改新」だな。
今回はこの「天智天皇」を歴史オタクのライターリリー・リリコと一緒にわかりやすく解説していくぞ。

解説/桜木建二

「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

ライター/リリー・リリコ

興味本意でとことん調べつくすおばちゃん。座右の銘は「何歳になっても知識欲は現役」。大学の卒業論文は義経をテーマに執筆。大河ドラマや時代ものが好き。飛鳥時代中盤、政変を起こして見事に政治をひっくり返した「天智天皇」についてまとめた。

1.飛鳥時代の大権勢・蘇我氏への反逆

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Published by 東京造画館 (“Tokyo Drawing Pavillion”, if translated literally) – “古今偉傑全身肖像”, パブリック・ドメイン, リンクによる

今回のテーマとなる「天智天皇」。天皇に即位する前は「中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)」といいました。

この名前、みなさんどこかで聞いたことがありませんか?……そう、実は飛鳥時代に行われた大改革「大化の改新」の中心人物です。もしかすると、天智天皇よりもそちらで覚えている方が多いかもしれませんね。

中大兄皇子は飛鳥時代の重要人物として申し分ありませんが、しかし、彼が大化の改新へこぎつけるまで非常に大きな障害がありました。天皇よりも巨大な権勢を誇った貴族・蘇我氏です。

次の天皇を指名!?大権力を持つ蘇我氏

飛鳥時代の中頃に権勢を誇っていた「蘇我氏」。権力は次から次へと移り変わるものですが、蘇我氏は山背大兄王(やましろのおおえのおう)をはじめとする聖徳太子の一族を滅亡させてしまうばかりか、次の天皇まで蘇我氏の一存で決めてしまえるほどの力をもっていました。かくいう天智天皇こと、中大兄皇子の父・舒明天皇もまた蘇我氏に推薦されて即位した天皇です。

蘇我氏に指名されて天皇になったなら政変なんて起こさなくても安泰ではないか?と思うかもしれませんね。ところが、蘇我馬子に推薦されて即位した崇峻天皇は後に蘇我氏と対立したために暗殺されています。たとえ天皇であっても、蘇我氏と仲良くできなければ先がないほど蘇我氏の影響力は絶大なものだったのです。当然のことながら、朝廷の実権は蘇我氏の手の中にありました。

蘇我氏への反抗!秀才・中臣鎌足と手を結ぶ

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蘇我氏の推薦により推古天皇の後継者として中大兄皇子の父・舒明天皇が即位しました。しかし、前述した崇峻天皇のように蘇我氏との関係如何によってはいつ害されるかわかりません。また、蘇我氏が推す舒明天皇を即位させるために対抗していた山背大兄王を一族もろとも自害へと追いやったおそろしい事件もあります。

このままではたとえ中大兄皇子が朝廷の重役となっても思うような政治はできないでしょう。それどころか、蘇我氏と対立することがあれば……と顔色をうかがっていかなければなりません。

そんな折、中大兄皇子は「中臣鎌足(なかとみのかまたり)」と出会います。中臣鎌足は蘇我氏第一の朝廷の中で密かに蘇我氏打倒を画策し、蘇我氏と対立できる人物を探していたのです。

ふたりは手を組み、蘇我氏を倒すべく動き出したのでした。

飛鳥時代を変えるクーデター!蘇我入鹿暗殺「乙巳の変」

中大兄皇子と中臣鎌足はさらに志を同じくする仲間を集め、大臣・蘇我入鹿暗殺を計画し、ウソの呼び出しを行って蘇我入鹿をおびき出して殺害したのです。

その後、蘇我入鹿の父・蘇我蝦夷の邸宅を包囲。蘇我氏の味方だった豪族たちは次々と中大兄皇子側に寝返り、蘇我蝦夷は自邸に火をつけて自害しました。こうして大権勢を誇っていた蘇我氏が滅亡し、新しい時代が始まったのです。

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権力を持った蘇我氏が朝廷で好き放題の独裁政権をやっていたわけだが、まあ、そんなことをしていればいずれは滅ぼされるよな。天智天皇の活躍は中臣鎌足とともに蘇我氏を倒したことに始まる。ちなみにだが、蘇我氏全員がいなくなったわけでなく、あくまでも蘇我氏で一番大きな顔をしていた蘇我入鹿と蘇我蝦夷親子らが滅亡したから、親戚の蘇我姓を持つ豪族はまだいるぞ。クーデターにも蘇我氏のなかから参加したものもいるんだ。

2.即位はまだ先?皇太子として「大化の改新」を

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クーデターを起こし、朝廷を牛耳っていた蘇我氏を滅亡させた中大兄皇子。母親の皇極天皇を退位させてすぐに自分が天皇になるのかと思いきや、そうはせずにまずは皇位を叔父にあたる孝徳天皇に譲って、中大兄皇子は「皇太子(皇位第一後継者)」となりました。ちなみに、腹心の中臣鎌足を大臣に匹敵する「内臣」に就任させています。

しかし、まだ皇太子とはいえ、政治の実権は乙巳の変を成功させた中大兄皇子にありました。孝徳天皇が都を飛鳥から大阪の難波宮へ移したあと、中大兄皇子はさらなる改革へと踏み出したのです。

「改新の詔」で豪族・貴族中心の政治から天皇中心の政治へ

政権を手に入れた中大兄皇子はまず年号の制定を行います。日本初となる年号は「大化」。これから行われる改革と合わせて覚えられますね。そして、孝徳天皇が難波宮へ遷都し、そこで「改新の詔」を発布しました。

改心の詔に記された政策は四つ。「公地公民」「班田収授の法」「租庸調制」「国郡里制」です。それぞれで国の仕組みを改めて、それまでの豪族を中心とした連合政権から天皇中心の中央集権の律令国家を目指したのでした。

覚えることは四つ!「改新の詔」

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「公地公民」「班田収授の法」「租庸調制」「国郡里制」がどのような政策であったのか、簡単にご紹介しましょう。

「公地公民」
すべての土地と民は天皇のもの、と定めたもの。

「班田収授の法」
戸籍を作り、それをもとに民のひとりひとりに田んぼ(口分田)を貸し与えました。六歳になった良民の男子には二段、女子はその三分の二を与えます。この口分田の収穫から税金を徴収する仕組みで、口分田を与えられた本人が死亡すると田は国に返還されました。

「租庸調制」
税金制度。「租」は口分田の収穫の3%~10%を税金として納めることを指します。「傭」は都で無賃で労働を行って納めました。「調」は各地の特産物を税として納めます。

「国郡里制」
全国を約60の国に分けました。国のなかをさらに郡、その下を里として細かく分けます。国、郡、里にそれぞれのトップとして国司、郡司、里長を置いて土地をまとめさせました。現在で言うところの都道府県のような行政区画の制度ですね。

\次のページで「3.皇太子の地位は安泰じゃない?天智天皇が即位するまで」を解説!/

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