現代社会

第1回芥川賞の候補となった作家「高見順」とは?その生い立ちや代表作などを歴史好きライターが簡単にわかりやすく解説

作家としての地位を確立していく高見順

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若い頃から文学に親しんだ高見順ですが、どのようにして作家としての地位を確立したのでしょうか。

妻との離婚

高見順は治安維持法違反容疑で獄中にいた頃、妻と離婚することになります。妻が高見とは別の男性と失踪したためです。その後の高見は、3つのコンプレックスを抱えて創作活動を続けたとされます。コンプレックスとは「父親に1度も会ったことがない」「左翼思想を転向させられた」「妻が自分の下から去った」の3つです。

妻と別れて喪失感に苛まれた高見でしたが、創作活動を間もなく再開させます。1933(昭和8)年に、作家仲間の渋川驍や新田潤らと雑誌『日暦』を創刊。高見は短編小説『感傷』などを書き、心の中にある苦しさや辛さを吐き出すかのような作品を世に送り出しました。

第1回芥川賞候補『故旧忘れ得べき』

1935(昭和10)年、高見順は雑誌『日暦』に『故旧忘れ得べき』(こきゅうわすれうべき)という小説を連載しました。題名が唱歌『蛍の光』に由来するこの作品。左翼活動に身を投じていた若者が、転向して10年後に平凡な暮らしをする自分に対して落ち込む姿を描いたものです。

まさに高見が経験したであろう事象が描かれている『故旧忘れ得べき』は、書き手が直接作中に現れて作品を紹介していくという饒舌体で書かれています。饒舌体は太宰治の作品などにも見られるスタイルです。独特な文体で進行する『故旧忘れ得べき』は第1回芥川賞の候補となり、高見は作家としての地位を確立しました。

浅草で生まれた『如何なる星の下に』

高見順は『故旧忘れ得べき』を発表した頃に再婚。会社勤めをやめて作家生活に専念すると、浅草に部屋を借りて移り住みます。当時の浅草は映画館や劇場が立ち並び、東京で一二を争う賑やかな街でした。そのような浅草を舞台として、1939(昭和14)年から高見が連載した小説が『如何なる星の下に』(いかなるほしのもとに)です。

『如何なる星の下に』では、主人公である小説家の「私」が浅草の踊り子に思いを寄せる姿を描いています主人公の心の動きを当時の浅草の情景と重ねて見事に表現できたのは、高見が当時浅草に住んでいたからと言わざるをえません。『如何なる星の下に』は高い評価を得て、のちに映画化もされました。

戦争と高見順

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昭和初期から作家として名を上げた高見順でしたが、彼も戦争と無縁ではありませんでした。ここでは、高見順が戦争とどのように関わったのかを見ていきましょう。

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