この記事では大阪と大坂の違いについてみていきます。大阪は関西の大都市として有名ですね。ところが「大坂」という表記を見たことがある人も多いのではないでしょうか。2つの表記は扱われる時代による差で、表記が移り変わるのにも意味があるようです。今回は大阪の地名の移り変わりを、大阪市内在住のライターれおな=007と一緒に解説していきます。
れおな=007

ライター/れおな=007

大阪に生まれ育った会社員ライター。東京住まいを経験するも大阪弁が抜けない地元愛の持ち主で、休日は市内を自転車で散策するアクティブガール。独特でわかりやすい切り口や表現を、日々研究中。

「大阪」と「大坂」の大まかな違いは?

「大阪」と「大坂」の違いをご存知でしょうか。本項ではそれぞれの表記についてざっくりとした違いをみていきましょう。

大阪:今の正式な表記

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「大阪」という表記は、現代の地名として正式なものとして扱われています。府の名前や駅名を示す場合はもちろん、建造物を示す場合も大阪という表記で一貫しているでしょう。

大坂:江戸時代以前の表記

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大坂という表記は、主に江戸時代以前に用いられていました。豊臣秀吉が築城した大坂城はもちろん、大坂夏の陣、冬の陣といった歴史的な出来事も「大坂」という表記です。そのため日本史の教科書で見たことがある方も、多いのではないでしょうか。

大坂はいつから大阪になった?大阪の地名の変遷

では、大阪という地名はどのように変遷してきたのでしょうか。本項では大阪の地名の変遷について、詳しくみていきましょう。

1.室町時代には大坂の表記がある

大阪の由来は諸説ありますが、市のホームページによると室町時代には「大坂」という表記があったといわれています。その後豊臣秀吉が築城した大坂城、江戸時代の自治組織としての大坂三郷とさまざまな場面で扱われるようになりました。

場所は大阪市中央区にある上町大地の北部、つまり大阪城があるあたりと考えるとわかりやすいでしょう。その地形通り坂がちな地形であることが諸説ある由来の1つとして考えられていますが、古くは「小坂」と表記されている場合もあります。

大坂・大阪・おおさか―。この地名のいわれは、いろいろな説がありはっきりとしていませんが、 室町時代、石山本願寺を建てた蓮如上人の御文章に書かれた「攝州東成郡生玉之庄内大坂」が、 文献に残る最古のものとされています。当時の文献には大坂とも小坂とも記され、 いずれもオサカと発音されていたと思われます。

(参照:大阪市:市名 市章 市歌 市の花 市政)

2.明治時代には「大阪」が正式になる

「大阪」という表記が正式なものになったのは、明治時代であると言われています。今も大阪府公文書館に残る大阪府令という法令では、明治2年には「大阪」という表記が正式であったことを物語っているでしょう。明治の初期にはまだ「大坂」という表記が残っていましたが、徐々に統一されていったと考えられます。

\次のページで「3.「坂」の縁起が最有力な説」を解説!/

3.「坂」の縁起が最有力な説

「大坂」という表記が「大阪」になったのは、「坂」という字の縁起が悪いという説が最も有力です。坂という字を分解すると「土に反(か)える」と読めるため、表記を「阪」に変更したのではないかと言われています。

「なにわ」と「大阪」の関係は?

ここまで大阪と大坂の違いについてみてきましたが、大阪の古い地名には「なにわ」というものもあります。ここでは大阪となにわの関係について詳しく解説していきましょう。

1.なにわとは大坂以前の地名

なにわという地名は、大坂という地名が発生する前から使われていた大阪の地名です。かつての大坂つまり上町大地周辺が古くは難波潟といわれる湿地だったことに由来しており、大阪城公園の南側も今も難波宮跡公園という形でその遺跡が残っています。

2.時代と表記によって表す場所が違う

なにわを漢字で表記すると「難波」や「浪速」、「浪花」などがあります。これは全てかつての大阪を意味する言葉ですが、現代では意味する場所が変わる表記です。例えば難波は繁華街の「なんば」を指し、浪速は大国町や、日本橋などを含む浪速区を示しています。

3.大阪をしめす言葉として今も親しまれている

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今でも「なにわ」という言葉は、伝統や親しみやすさをこめたさまざまな形で残っています。例えば近畿運輸局の中でも、大阪市内に登録がある車のナンバープレートは「なにわ」です。

反対に「大阪」という表記は、大阪市から見て北部や東部の市町村で使われています。前述の通り漢字表記にはさまざまなバリエーションがあり、示す場所が若干変わるためひらがなの「なにわ」に統一されたとのことです。

\次のページで「江戸時代までは「大坂」明治以降は「大阪」」を解説!/

江戸時代までは「大坂」明治以降は「大阪」

ここまで見てきた通り現代の「大阪」は明治時代から正式なものとされており、地名や建造物などはほとんどこちらに統一されています。反対に「大坂」は江戸時代以前に使われており、「坂」という漢字の縁起のために表記が変わったのでしょう。

また示す場所は漢字の表記で異なりますが、「なにわ」も大阪の地名として今も親しまれている言葉です。歴史の教科書や文献に触れる際は、ぜひ注意して見てみてはいかがでしょうか。

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雑学

簡単でわかりやすい!「大阪」と「大坂」の違いは?いつから大阪になった?地名の変遷や理由もなにわのライターが詳しく解説

この記事では大阪と大坂の違いについてみていきます。大阪は関西の大都市として有名ですね。ところが「大坂」という表記を見たことがある人も多いのではないでしょうか。2つの表記は扱われる時代による差で、表記が移り変わるのにも意味があるようです。今回は大阪の地名の移り変わりを、大阪市内在住のライターれおな=007と一緒に解説していきます。
れおな=007

ライター/れおな=007

大阪に生まれ育った会社員ライター。東京住まいを経験するも大阪弁が抜けない地元愛の持ち主で、休日は市内を自転車で散策するアクティブガール。独特でわかりやすい切り口や表現を、日々研究中。

「大阪」と「大坂」の大まかな違いは?

「大阪」と「大坂」の違いをご存知でしょうか。本項ではそれぞれの表記についてざっくりとした違いをみていきましょう。

大阪:今の正式な表記

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「大阪」という表記は、現代の地名として正式なものとして扱われています。府の名前や駅名を示す場合はもちろん、建造物を示す場合も大阪という表記で一貫しているでしょう。

大坂:江戸時代以前の表記

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大坂という表記は、主に江戸時代以前に用いられていました。豊臣秀吉が築城した大坂城はもちろん、大坂夏の陣、冬の陣といった歴史的な出来事も「大坂」という表記です。そのため日本史の教科書で見たことがある方も、多いのではないでしょうか。

大坂はいつから大阪になった?大阪の地名の変遷

では、大阪という地名はどのように変遷してきたのでしょうか。本項では大阪の地名の変遷について、詳しくみていきましょう。

1.室町時代には大坂の表記がある

大阪の由来は諸説ありますが、市のホームページによると室町時代には「大坂」という表記があったといわれています。その後豊臣秀吉が築城した大坂城、江戸時代の自治組織としての大坂三郷とさまざまな場面で扱われるようになりました。

場所は大阪市中央区にある上町大地の北部、つまり大阪城があるあたりと考えるとわかりやすいでしょう。その地形通り坂がちな地形であることが諸説ある由来の1つとして考えられていますが、古くは「小坂」と表記されている場合もあります。

大坂・大阪・おおさか―。この地名のいわれは、いろいろな説がありはっきりとしていませんが、 室町時代、石山本願寺を建てた蓮如上人の御文章に書かれた「攝州東成郡生玉之庄内大坂」が、 文献に残る最古のものとされています。当時の文献には大坂とも小坂とも記され、 いずれもオサカと発音されていたと思われます。

(参照:大阪市:市名 市章 市歌 市の花 市政)

2.明治時代には「大阪」が正式になる

「大阪」という表記が正式なものになったのは、明治時代であると言われています。今も大阪府公文書館に残る大阪府令という法令では、明治2年には「大阪」という表記が正式であったことを物語っているでしょう。明治の初期にはまだ「大坂」という表記が残っていましたが、徐々に統一されていったと考えられます。

\次のページで「3.「坂」の縁起が最有力な説」を解説!/

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