
研究の道へ、長女イレーヌ
Nobel Foundation – http://nobelprize.org/nobel_prizes/chemistry/laureates/1935/joliot-curie-bio.html, パブリック・ドメイン, リンクによる
1897年9月12日生まれのキュリー夫妻の長女、イレーヌ。イレーヌが幼い頃に両親がノーベル物理学賞を受賞しました。しかしそれから間もなく、父ピエールを亡くします。イレーヌは両親と同じ研究の道に進みました。1918年、マリの下で助手として働きます。そしてマリの助手をしていたフレデリック・ジョリオと1926年に結婚しました。
結婚後、ふたりは二重姓でジョリオ=キュリーを名乗ります。その翌年には娘のエレーヌを授かりました。そして1935年、「人工放射性元素の研究」で、夫ノーベル化学賞を受賞したのです。イレーヌもママさんノーベル賞受賞者なのですね。
ノーベル賞に囲まれた次女エーヴ
1904年生まれの次女、エーヴ・キュリー。次女のエーヴは研究の道には進まなかったものの、1965年に夫が事務局長を務めるユニセフがノーベル平和賞を受賞します。エーヴは「私は家族でただ一人ノーベル賞を受賞していない」と言っていたそうです。1937年、母マリ・キュリーの伝記を書いています。

ピエールとマリで物理学賞、マリとイレーヌ、フレデリックで化学賞と全部で5つのノーベル賞を受賞し、さらにエーヴの夫も個人ではないがノーベル平和賞を受賞したんだな。
リケジョの未来を切り開いた女性
「女性初」「史上初」という言葉で初会されることの多いマリ・キュリー。マリは女性が学ぶことが制限されている時代に、科学者として研究者としての道を切り開いたのです。
科学者としてだけでなく、母親でもあったマリ。ママとしてノーベル賞を受賞しています。彼女のふたりの娘のうち長女は科学者として成功して夫婦でノーベル賞を受賞し、次女は母を支えながら芸術家・作家として活躍しました。仕事も家庭も頑張るリケジョ憧れの人物ですね。