なぜ日系人はブラジルとハワイに多い?これまでの日系人の歩みや各地での待遇などを歴史好きライターがわかりやすく解説
今や世界中に日系人が暮らしているが、中でもブラジルとハワイに多いぞ。なぜブラジルとハワイに日系人が集中しているのか、詳しく知りたい人は多いでしょう。
日系人がブラジルやハワイに多い理由や、日系人が歩んだこれまでの歴史などを、日本史に詳しいライターのタケルと一緒に解説していきます。
- 日系人とはどのような人を指すのか
- 日系人とは海外に移住した日本人とその子孫
- 日系人が多い国はブラジルとアメリカ
- なぜブラジルに日系人が多いのか
- 19世紀より中南米各地に日本人が移住
- 笠戸丸に乗ってブラジルへ
- 第二次大戦後にブラジルへの移民が再開される
- なぜハワイに日系人が多いのか
- 19世紀初頭には日本人が上陸していた
- ハワイ国王の移民要請
- ハワイの人口の1割以上が日系人
- 第二次大戦中に起きた日系人の強制収容
- 開戦直後から日系人が差別的扱いを受ける
- 12万人以上の日本人と日系人が収容される
- 日系人の日本への受け入れ
- 1990年代から日系人の来日が進む
- 日系人コミュニティが抱える諸問題
- 世界各地に数百万人の日系人が暮らしている
この記事の目次
ライター/タケル
資格取得マニアで、士業だけでなく介護職員初任者研修なども受講した経験あり。現在は幅広い知識を駆使してwebライターとして活動中。
日系人とは海外に移住した日本人とその子孫
「日系人」とは、「日本以外の国に移住してその国の国籍や市民権を取得した人」をいいます。近年では海外に住居を移す日本人が増えましたが、海外で生活するだけでは日系人とはいいません。それでは単なる移住者です。日系人と呼ばれるには、海外に定住して国籍などを取得することが要件になります。
しかし、多くの人が想像する「日系人」とは、「先祖が日本人である外国人」ではないでしょうか。実際に、「日本以外の国に移住してその国の国籍や市民権を取得した人の子孫」も「日系人」と定義されるのです。たとえば、父または母が日本人の場合は「日系二世」、祖父母のいずれかが日本人の場合は「日系三世」などと呼びます。
日系人が多い国はブラジルとアメリカ
現在日系人が多い国はブラジルとアメリカです。ブラジルはサンパウロ州やパラナ州、アメリカはハワイ州やカリフォルニア州などに多く住んでいます。この2カ国だけで全世界の3分の2ほどの日系人が多く住んでいるとされますが、あくまでもその割合は推定といわざるをえません。
なぜなら、日系人が世代を重ねるにつれて人口の把握が難しくなるからです。日本の外務省は海外に居住する日本人の数を把握していますが、日系二世・三世以降は日本国籍を有しない場合が多く、調査の対象から外れます。そもそも、多くの国では人口調査で出身国などをあまり気にしません。日系人は全世界に400万人いるとされますが、あくまでも推定値です。
19世紀より中南米各地に日本人が移住
中南米への日本人の移住は、19世紀後半からすでに始まっていました。北米でも移民は受け入れられてはいましたが、アメリカ合衆国で移民を制限する法律が制定されたなどの理由があったため、中南米への移民が進むようになります。19世紀末には、すでに日本人のグアテマラへの移民がありました。
戊辰戦争などで名を馳せた榎本武揚も、中南米への日本人移民に尽力した人でした。1897(明治30)年に殖民団が横浜から出発してメキシコに入り、農地の開拓などを試みます。しかし、伝染病の流行などで計画は頓挫。結局、思うような成果が得られぬまま早いうちに撤退しました。
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笠戸丸に乗ってブラジルへ
1908(明治41)年に神戸港を出港した笠戸丸は、781人の移民を乗せてサントス港へと向かいました。ブラジルのサンパウロ州政府が労働力を確保するために要請したことへ応えたためです。より多くの労働者を確保するために、家族単位での移民が条件とされました。
しかし、現地での労働は過酷で、その上賃金や住環境など待遇は良いとはいえませんでした。そのため、多数の移民が逃げ出したとされます。しかし、現地で雇われていた移民は自作農として独立するようになり、自力で生計を立てられるようになりました。ブラジルに移民した日本人は、やがて二世・三世と子孫を増やしていきます。
第二次大戦後にブラジルへの移民が再開される
1930年代から40年代は対日感情の悪化などもあり、移民が一時中断します。しかし、1950年代から再び移民は再開。移民者は延べ10万人を超えました。サンパウロ日本文化協会(現在のブラジル日本文化福祉協会)など日系人を代表する団体が、ブラジル各地に設立されるようになります。
1980年代以降は、日本からブラジルへの移民はほとんど見られなくなりました。ですが、今や日系ブラジル人はブラジルの社会に違和感なく溶け込んでいます。柔道や空手でブラジルから多くの選手を輩出し、寿司や醤油など日本ならではの食材も親しまれるようになりました。日系人がブラジルの国務大臣に就任したこともあります。
19世紀初頭には日本人が上陸していた
日本人がハワイに上陸した事例は、記録に残っているものだけでも19世紀初頭からすでにありました。安芸国(現在の広島県)の稲若丸という船が、捕鯨船に救助されてハワイに上陸したとされます。その他にも、日本人が漂流してハワイにたどり着いたことが19世紀のうちに何度もありました。
その中でも有名なのは、ジョン万次郎こと中浜万次郎でしょう。万次郎は、土佐国(現在の高知県)から漁船に乗って出港しましたが、船が難破。漂流していたところをアメリカの捕鯨船に救助され、鎖国していた日本ではなく、ハワイへ行きました。アメリカなどで過ごした後に帰国した万次郎は、通訳などで活躍するようになります。
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ハワイ国王の移民要請
ハワイでは1830年代から砂糖が生産されるようになり、サトウキビ栽培などの労働者を確保する必要に迫られました。そこで、19世紀中頃よりハワイへの移民が受け入れられるようになります。中国などからハワイへの移住が急増し、多くの人が製糖業に従事しました。
1860(万延元)年に日本の遣米使節団がハワイに寄港すると、ハワイ国王のハメハメハ4世が日本人の移民を要請。1868(明治元)年より日本からの移民が開始されました。1885(明治18)年から明治政府による官約移民が始まると、移民の数が急増。制度が廃止される1894(明治27)年にまでに、およそ2万9千人がハワイへと渡りました。
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