現代社会

3分で簡単「大正デモクラシー」いつの出来事?4つの時期に分けて歴史好きライターがわかりやすく解説

よぉ、桜木建二だ。今回は、大正デモクラシーについて学んでいこう。

実は大正デモクラシーには明確な定義がない。いつからいつまでが大正デモクラシーなのか、どの出来事が大正デモクラシーに含まれるのか、はっきりしていないのだ。

そこで今回は、大正デモクラシーを4つの時期に分けて、日本史に詳しいライターのタケルと一緒に解説していくぞ。

解説/桜木建二

「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

ライター/タケル

資格取得マニアで、士業だけでなく介護職員初任者研修なども受講した経験あり。現在は幅広い知識を駆使してwebライターとして活動中。

いつからいつまでが大正デモクラシー?

image by iStockphoto

まずは「大正デモクラシー」の定義について見ていくことにしましょう。

大正デモクラシーの時期は諸説ある

大正デモクラシーは、何が始まりで何が終わりかはっきりしていません。諸説あります。「第2次桂内閣の倒閣運動から治安維持法制定まで」とする説や、「第一次世界大戦終結から満州事変まで」とする説など、大正デモクラシーとみられている年代は幅広いのです。

少なくとも、1913(大正2)年に起きた第一次護憲運動と、1924(大正13)年からの第二次護憲運動は含まれるでしょう。その前後をどこまで大正デモクラシーとして含むべきかという点で意見が分かれているのです。そこで、この記事では2度の護憲運動とその前後という4つの時期に分けて説明するものとします。

大正デモクラシーの定義もはっきりしない

大正デモクラシーで定まっていないものは時期だけではありません。どの出来事までが大正デモクラシーなのかも定まっていないのです。辞書などで「大正デモクラシー」を調べた場合、「大正年間に顕著となった民主主義的・自由主義的な傾向や風潮」といった説明が書かれています

つまり、大正デモクラシーとは大正当時における世の中の流れや広まりつつあった考え方のことであり、特定の事件や現象などを指すものではありません。含めようと思えば大正ロマンの流行まで含めてもいいでしょう。ですが、今回は政治や思想の変化を中心に大正デモクラシーを紹介していきます。

no-img2″>
 <figcaption class=桜木建二

大正ロマンも実はそれほど定義がはっきりしていないようだな。辞書などでも「大正時代の雰囲気を伝える独特の文化や芸術などを指す言葉」といった説明となっている。絵画や文学だけでなく、建築や家具にモダンボーイ(モボ)やモダンガール(モガ)まで含むとすることもあるぞ。大正ロマンの特徴として挙げられるのは、和洋折衷やロマン主義といったところだろう。

桂園時代から第一次護憲運動前まで

image by iStockphoto

ここからは、大正デモクラシーを4つの時期に分けて説明していくことにしましょう。まずは桂園時代から第二次護憲運動が起こる前までです。

2人が交互に政権を担当した桂園時代

1901(明治34)年に、長州藩閥の桂太郎が首相となります。首相在任中に立憲政友会の総裁である西園寺公望と提携してから、2人は交互に政権を担当しました。桂と西園寺が交互に政権の座についた10年以上の期間を「桂園時代」(けいえんじだい)と呼びます。名前は2人の頭文字を取ったものです。

1906(明治39)年に第1次桂内閣が総辞職すると、その後を第1次西園寺内閣が引き継ぎます。2年半後に西園寺が辞意を表明すると、後継に選ばれたのは桂でした。さらに、第2次桂内閣が3年続いた後に、成立したのは第2次西園寺内閣。政権のたらい回しというべき状況が続いたのです。

\次のページで「美濃部達吉の天皇機関説とは」を解説!/

次のページを読む
1 2 3
Share: