
ソ連崩壊時の大統領ゴルバチョフの改革
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ミハイル・セルゲーエヴィチ・ゴルバチョフはソ連最後の指導者。停滞していたソ連の改革を進めたことでも知られています。とくに有名な改革がペレストロイカ。ロシア語で「立て直し」を意味するスローガンです。この改革は、ソ連を民主化させる一方、その結果として内部崩壊をもたらしたと言われています。
ペレストロイカの主軸は経済改革
ゴルバチョフがソ連のトップになった時期、ロシア経済は停滞していました。一部の特権階級の富が集中。大多数の人々は貧困に苦しんでいました。物資の不足を解消するためにゴルバチョフは社会主義経済を維持しながら、部分的に市場経済を導入します。しかしながら根本的な改革には至りませんでした。
中途半端になってしまった理由として、計画経済を完全に廃止しなかったことが挙げられます。ゴルバチョフは社会主義を捨てるつもりはありませんでした。そのため部分的に市場経済を導入したことで、余計に物資が不足。インフレは深刻化し、さらには物価も上昇します。ゴルバチョフの改革に期待していた国民の不満は大きくなりました。
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言論の自由化はソ連崩壊を加速させる
ゴルバチョフは、チェルノブイリ原発事故の際、情報が全く入ってこなかったことを問題視。ソ連の秘密主義の改革にも乗り出します。それがグラスノスチと呼ばれる情報公開の取り組み。言論や思想が自由になり、集会も行えるようになりました。さらには出版や報道の自由も保障されました。
その結果、ソ連共産党の幹部の贅沢な暮らしぶりが暴露されることに。ソ連の在り方を疑問視する声が日に日に高まります。上映禁止の映画が次々と公開。スターリン時代の大粛清による犠牲についても取り上げられるようになりました。ゴルバチョフは共和国の独立について言及することも許容。皮肉にもソ連解体の流れを自ら作り出しました。
ソ連解体を決定づけたベロヴェーシ合意
RIA Novosti archive, image #848095 / U. Ivanov / CC-BY-SA 3.0, CC 表示-継承 3.0, リンクによる
ゴルバチョフ大統領は内部クーデータにより権威が失墜。ボリス・エリツィンがロシアの新リーダーになります。彼を中心に、ソビエト連邦を消滅させ、新たに独立国家を設立するために動き出しました。それが1991年のベロヴェーシ合意です。
ベロヴェーシ合意に関わった3国のリーダーたち
ベロヴェーシ合意の舞台となったのは、ポーランドとベラルーシの国境地帯にあるエリア。原生林が生い茂る、ビャウォヴィエジャの森というところです。ビャウォヴィエジャの森の原生林は、ヨーロッパで唯一残っている原生林と言われ、ユネスコの世界遺産にも登録されました。
そこに集まったのは旧ソ連の共和国のリーダーたちです。ロシアからはボリス・エリツィン大統領が参加。ベラルーシからはスタニスラフ・シュシケービッチ最高会議議長、ウクライナからはレオニード・クラフチューク大統領が参加しました。
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