日本史飛鳥時代

3分で簡単「持統天皇」日本史上三人目の女性天皇で百人一首の歌人?夫の跡を引き継いだ女帝を歴史オタクがわかりやすく解説

古代日本で史上三人目の女性天皇となった「持統天皇」を知ってるか?彼女の詠んだ和歌は百人一首のなかにもあるから、古典の授業なんかでも聞いたことがあるかもしれませんね。女性天皇で和歌にも優れていた…そのうえ、夫の天武天皇と協力して多くの事業を行ったんです。
今回は「持統天皇」を歴史オタクのライターリリー・リリコと一緒にわかりやすく解説していきます。

ライター/リリー・リリコ

興味本意でとことん調べつくすおばちゃん。座右の銘は「何歳になっても知識欲は現役」。大学の卒業論文は義経をテーマに執筆。大河ドラマや時代ものが好き。以前に飛鳥時代について解説、今回は三人目の女性天皇「持統天皇」にスポットライトをあて、まとめた。

1.古代日本最大の大反乱!夫ともに天智天皇の跡継ぎ問題解決

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飛鳥時代に天智天皇の娘として生まれ、叔父の大海人皇子(のちの天武天皇)に嫁いだ「持統天皇」。この時期はまだ藤原家の権力が天皇を越えることはなく、皇族であれば男女関係なく天皇になることができたため、持統天皇は天武天皇亡きあとに女性天皇となりました。

女性天皇はそれまでに飛鳥時代初期の「推古天皇」、中期の「皇極天皇、斉明天皇(同一人物)」のふたりのみ。日本史上では三人目の女性天皇となったのです。

父・天智天皇は「大化の改新」で大改革を行った「中大兄皇子」

持統天皇の父に当たる「天智天皇」は、それまで朝廷で大きな権力を誇った蘇我氏にクーデター「乙巳の変」を起こし、成功させた「中大兄皇子」です。乙巳の変後に年号を制定し、一番最初の年号を「大化」としました。なので、それから天智天皇が行った一連の改革を「大化の改新」といいます。

中大兄皇子が行った政策は下記の四つ。

・すべての土地も人々も天皇のものである「公地公民」
・戸籍を作り田んぼを人々に貸し与え、税金を取る「班田収授法」
・三種類の税金徴収制度「租庸調制」
・全国を60の国に分け、国の中に郡を、郡の中に里を分けた「国郡里制」

偉大な父の残した継承問題!跡を継ぐのは弟か、息子か?

先述の通り、持統天皇は、父・天智天皇の弟だった大海人皇子と結婚します。現代では三等親以内での親族間の結婚は禁止されていますが、当時は叔父との結婚は普通に行われていました。さらに、当時の皇位継承権の優先順位は天皇の息子よりも天皇の弟や配偶者の方が先だったため、弟の大海人皇子が次期天皇とほとんど決まっていたのです。

歴史を一変させ、大きな改革を行った天智天皇でしたが、ここにきて皇位の継承順位を無視して自分の息子・大友皇子を皇太子にしようとしました。そこで大海人皇子は争いを避けるために出家して奈良県南部の吉野へ出て行くことに。出家してしまえば、それまでの地位に関係なく俗世を捨てて政治に関わることもありません。

晴れて大海人皇子は権力争いから遠ざかったのですが…、大海人皇子に多くの近臣たちがついて行ってしまったために、吉野に一大勢力が集まることになってしまうのです。

天智天皇の跡目争いで古代日本最大の内乱「壬申の乱」開戦

表面上では大海人皇子が譲る形で大友皇子との譲位問題を平和的に解決したかのように見せていました。しかし、両者の対立が解けることなく、いよいよ天智天皇が病により崩御してしまいます。そうして、672年に「壬申の乱」が起こりました。

大海人皇子が吉野へ隠居しているとき、持統天皇(もちろん当時は天皇ではなく「鸕野讃良(うのささら)」という名前です)は、大海人皇子との息子・草壁皇子とともに吉野にいたとされています。『日本書紀』には「大海人皇子は鸕野讃良(持統天皇)と共謀していた」という記述があるため、持統天皇は積極的に壬申の乱に関わっていたのかもしれません。

壬申の乱は大海人皇子の勝利に終わり、負けてしまった大友皇子は自害してしまいます。そうして都に戻った大海人皇子は即位して「天武天皇」となったのでした。

2.天武天皇即位で持統天皇は皇后に。飛鳥時代の更なる発展

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壬申の乱に勝利した大海人皇子が即位して「天武天皇」となり、天武天皇の妻たちになかでもっとも身分の高かった持統天皇が皇后となりました。

ところで、天武天皇は後継者争いでの戦争を経験しましたから、次の天皇継承についてはしっかり決めておきたいところですよね。天武天皇には持統天皇の他にも夫人がおり、息子が四人、さらに存命の男兄弟が二人いました。全員、皇位を継ぐ資格を持っているので、万が一、六人で争うことなんてことになったらたいへんですよね。

そこで、天武天皇は皇后の持統天皇と六人の皇子たちとの間で「吉野の盟約」を結びました。「吉野の盟約」で皇子たちに争わずに助け合うよう誓わせたのです。

都を大津から奈良へ!飛鳥浄御原宮造営

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天武天皇が即位する際、都を近江国(滋賀県)の近江大津宮から、現在の奈良県明日香村にあたる飛鳥浄御原宮を造営、遷都しました。天武天皇から持統天皇の治世を合わせて約20年の間は飛鳥浄御原宮が都となり、日本最初の法律はここで発布されたことから「飛鳥浄御原令」といいます。

\次のページで「『古事記』と『日本書紀』の製作はここから!天武天皇の大事業」を解説!/

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