ソビエト連邦ロシアロシア革命世界史

ソ連のゴルバチョフ大統領が進めた改革「ペレストロイカ」とは?内容やその後の影響を元大学教員が5分で解決

ペレストロイカと並んで重視されたのはグラスノスチ

ウスコレーニエは、改革の過程で存在感を失っていきました。一方、ペレストロイカと並んで重視されたのがグラスノスチです。そのきっかけは1986年のチェルノブイリ原子力発電所事故。大惨事であったにも関わらず、国政のトップのゴルバチョフに情報が全く入ってこず、対応が遅れてしまいました。

ソ連は集団や組織が分断されており、情報の共有がスムーズに進まないことが、弊害になっていました。そこでゴルバチョフは、軍部も含めて情報を公開。メディアの報道や言論の自由を保障しました。その結果、共産党幹部の贅沢な生活が暴露され、ソ連の崩壊が加速してしまいます。

社会主義の限界から生まれたペレストロイカ

image by PIXTA / 46024551

ゴルバチョフはソ連の社会主義体制を否定することを前提に、ペレストロイカを始めたわけではありません。社会主義の体制を維持しつつ、その範囲内で改革を志向しました。

そもそも社会主義とは?

社会主義は、資本主義に限界があることを認め、その発展形として生まれた経済の仕組み。資本主義の場合、個人が自由に資本を持てます。一方、社会主義では国や公的機関が所有しました。会社についても、資本主義では自由に競争可能。社会主義では国の計画に従って運営するのみです。

資本主義は、個人が自由に儲けることができますが、貧富の差も発生。社会主義は、国がすべてをコントロールしているので、貧富の差は生まれません。一見すると理想的ではありますが、競争がないぶん経済的に発展しません。ソ連はそんな問題に直面していました。

ソ連では富の集中が問題化

本来はすべての人が平等に生活できることが社会主義の大前提です。しかし、ソ連共産党の幹部は、あらゆるものを「公的」に所有することで、富を蓄えていました。そのため、幹部たちは国民が貧困に苦しむなか贅沢な暮らしを満喫していたのです。

社会主義の場合、個人が権威を持つことはありえません。しかし実際は、一部の個人に権威が集中。そんな状況が長期化すると、ソ連は崩壊すると考えました。そこでゴルバチョフは、ソ連では本来の社会主義が実現していないと考え、ペレストロイカを打ち出しました。

ゴルバチョフがペレストロイカを実施した背景

image by PIXTA / 31802118

ゴルバチョフは、スタヴロポリ地方の貧しい農民の家に生まれました。家族が従事していたのが集団農場のコルホーズ。そこでの暮らしを通じて、コルホーズをはじめとする集団化政策に限界を感じていました。

\次のページで「コルホーズでの貧しい生活」を解説!/

次のページを読む
1 2 3
Share: