しかし、最終的にソ連は崩壊。ペレストロイカは完了することなく終わった。そもそもペレストロイカとは何だったのか。その内容やその後の影響を世界史に詳しいライターひこすけと一緒に解説していきます。
- ペレストロイカとはソ連の政治体制の改革
- ペレストロイカが進められた時期
- ペレストロイカの意味
- 大々的に宣言されたペレストロイカ
- 3つの標語のひとつであるペレストロイカ
- ペレストロイカと並んで重視されたのはグラスノスチ
- 社会主義の限界から生まれたペレストロイカ
- そもそも社会主義とは?
- ソ連では富の集中が問題化
- ゴルバチョフがペレストロイカを実施した背景
- コルホーズでの貧しい生活
- コルホーズの限界を学んだ幼少期
- ペレストロイカの一環として信仰や思想の自由も広げる
- ロシア正教会と和解
- ペレストロイカの父、アンドレイ・サハロフ
- ペレストロイカの中断
- 8月のクーデターでゴルバチョフ軟禁
- ソ連崩壊後のゴルバチョフの言及
- ペレストロイカはロシアの民主化のロードマップ
この記事の目次
ライター/ひこすけ
アメリカの歴史や文化を専門とする元大学教員。アメリカに並ぶ大国であるロシアにも興味があり、気になることがあったら調べている。今回はソ連末期に進められた改革ペレストロイカについて調べてみた。
ペレストロイカとはソ連の政治体制の改革
ペレストロイカとは、ソ連末期に行われた政治体制の改革のこと。ゴルバチョフのもとで進められました。秘密主義的なソ連の実体が明らかになったこともあり、世界からも注目されました。
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ペレストロイカが進められた時期
ゴルバチョフがペレストロイカを開始したのは1980年代後半。クーデターによりゴルバチョフ一家が幽閉されるまで続きました。その後、ソ連共産党の活動は停止され、ロシアはソ連から離脱します。結果、中軸国が離脱したことでソ連は解体。ペレストロイカは志半ばで中断されました。
ペレストロイカを推進したのはゴルバチョフ。ソ連の最後の指導者であり、ソ連唯一の大統領でもある人物です。ソ連の歴代の指導者のなかでは、珍しく進歩的な考えを持っており、ペレストロイカを通じてさまざまな改革を行いました。
ペレストロイカの意味
ペレストロイカとは「立て直し」という意味のロシア語です。ロシア革命のあと、ソ連は強力な一党独裁体制が続いてきました。それにより一部に利権が集中する、汚職が横行するなど、政治体制に限界をきたしていました。ソ連の経済力も停滞していたこともあり、ゴルバチョフは政治体制の再構築を決意します。
ペレストロイカはソ連そのものを否定するものではありません。ソ連の体制の範囲内で政治や経済を立て直そうとするものです。結果的にソ連は崩壊する流れになりましたが、ゴルバチョフがそれを望んでいたのかというと、決してそうではありません。
大々的に宣言されたペレストロイカ
ペレストロイカはソ連のみならず世界中に広く知られることになりました。その理由は大々的に宣言されたから。1987年、ロシア革命の70周年を祝う軍事パレードが行われましたが、そのとき立て看板やテレビ特集などでアピールされました。
3つの標語のひとつであるペレストロイカ
ペレストロイカはゴルバチョフの肝となる改革ですが、実は3つの軸があります。ひとつが、再構築を意味するペレストロイカ。もうひとつが公開性を意味するグラスノスチ、そして加速化を意味するウスコレーニエです。ペレストロイカはこれらの改革の中核を担うものでした。
崩壊する前のロシアは閉塞感や停滞感が強く感じられていました。ゴルバチョフが最初に訴えたのが「経済の加速化」。スピード感を持って経済を立て直すことです。さらには、社会主義政策のもと上昇意欲を失った国民の心の活発化も含まれました。
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