ソビエト連邦ロシアロシア革命世界史

ソ連のゴルバチョフ大統領が進めた改革「ペレストロイカ」とは?内容やその後の影響を元大学教員が5分で解決

よぉ、桜木建二だ。ゴルバチョフのもとソ連で進められた一連の改革がペレストロイカ。閉鎖的なソ連でさまざまなことが公開されるようになった。東西冷戦の時期だったこともあり、ソ連が変わることに期待した人たちも多かっただろう。

しかし、最終的にソ連は崩壊。ペレストロイカは完了することなく終わった。そもそもペレストロイカとは何だったのか。その内容やその後の影響を世界史に詳しいライターひこすけと一緒に解説していくぞ。

解説/桜木建二

「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

ライター/ひこすけ

アメリカの歴史や文化を専門とする元大学教員。アメリカに並ぶ大国であるロシアにも興味があり、気になることがあったら調べている。今回はソ連末期に進められた改革ペレストロイカについて調べてみた。

ペレストロイカとはソ連の政治体制の改革

image by PIXTA / 88077006

ペレストロイカとは、ソ連末期に行われた政治体制の改革のこと。ゴルバチョフのもとで進められました。秘密主義的なソ連の実体が明らかになったこともあり、世界からも注目されました。

ペレストロイカが進められた時期

ゴルバチョフがペレストロイカを開始したのは1980年代後半。クーデターによりゴルバチョフ一家が幽閉されるまで続きました。その後、ソ連共産党の活動は停止され、ロシアはソ連から離脱します。結果、中軸国が離脱したことでソ連は解体。ペレストロイカは志半ばで中断されました。

ペレストロイカを推進したのはゴルバチョフ。ソ連の最後の指導者であり、ソ連唯一の大統領でもある人物です。ソ連の歴代の指導者のなかでは、珍しく進歩的な考えを持っており、ペレストロイカを通じてさまざまな改革を行いました。

ペレストロイカの意味

ペレストロイカとは「立て直し」という意味のロシア語です。ロシア革命のあと、ソ連は強力な一党独裁体制が続いてきました。それにより一部に利権が集中する、汚職が横行するなど、政治体制に限界をきたしていました。ソ連の経済力も停滞していたこともあり、ゴルバチョフは政治体制の再構築を決意します。

ペレストロイカはソ連そのものを否定するものではありません。ソ連の体制の範囲内で政治や経済を立て直そうとするものです。結果的にソ連は崩壊する流れになりましたが、ゴルバチョフがそれを望んでいたのかというと、決してそうではありません。

no-img2″>
 <figcaption class=桜木建二

ロシア語にすると、「ペレ」は「再び」を意味する単語。「ストロイカ」は「構築」を意味する単語だ。英語にすると「reconstruction」。これで何となくニュアンスは伝わるだろう。

大々的に宣言されたペレストロイカ

image by PIXTA / 77435725

ペレストロイカはソ連のみならず世界中に広く知られることになりました。その理由は大々的に宣言されたから。1987年、ロシア革命の70周年を祝う軍事パレードが行われましたが、そのとき立て看板やテレビ特集などでアピールされました。

3つの標語のひとつであるペレストロイカ

ペレストロイカはゴルバチョフの肝となる改革ですが、実は3つの軸があります。ひとつが、再構築を意味するペレストロイカ。もうひとつが公開性を意味するグラスノスチ、そして加速化を意味するウスコレーニエです。ペレストロイカはこれらの改革の中核を担うものでした。

崩壊する前のロシアは閉塞感や停滞感が強く感じられていました。ゴルバチョフが最初に訴えたのが「経済の加速化」。スピード感を持って経済を立て直すことです。さらには、社会主義政策のもと上昇意欲を失った国民の心の活発化も含まれました。

\次のページで「ペレストロイカと並んで重視されたのはグラスノスチ」を解説!/

次のページを読む
1 2 3
Share: