ゴルバチョフはクーデターをきっかけに失脚
冷戦を集結に導き世界の民主化を進めたとして評価をあげたゴルバチョフですが、国内では力を失っていきます。8月、家族と共にクリミア半島の別荘に滞在していたとき、保守派によるクーデターが起こって家族と共に軟禁されました。
クーデターは失敗に終わる
8月のクーデターを起こしたのはKGB議長のウラジーミル・クリュチコフなど。KGBの正式名称はソ連国家保安委員会と言い、反体制派の取り締まりや、西側諸国のスパイ活動などをする機関です。そのほか、ヤナーエフ副大統領、パヴロフ首相などのソ連運営の中心人物が関与しました。
ところがクーデターそのものについては国民や軍部の支持を得ることはできず。海外からの批判も高まりました。クーデターの首謀者たちは逮捕されます。しかし、首謀者が側近だったこともあり、ゴルバチョフ政権の信頼は失墜しました。
ゴルバチョフの大統領辞任とソ連の崩壊
ゴルバチョフはソ連共産党の活動停止の大統領令を発令。ソ連共産党書記長を辞任するとともに、共産党の資産を凍結します。同時にエストニアとラトビアの独立も認めました。クーデターから10日後、ソ連共産党の活動は停止されました。
ゴルバチョフの政治的なライバルだったのがエリツィン。彼はソ連からロシアの脱退を表明しました。中核であるロシアのいないソ連は崩壊したのと同じ。ゴルバチョフの理想は民主化を進めながらソ連を維持すること。不本意な形で辞任することになりました。
ソ連の大統領を辞任したあと、ゴルバチョフはロシアの表舞台からは身を引きます。しかしながら世界的に評価が高く、人気もあったこともあり、講演の依頼はあとを絶ちませんでした。1991年にゴルバチョフは財団を設立。会長として環境問題に取り組むようになります。1996年のロシア大統領選挙に立候補。落選しました。ロシア社会民主党の党首として活動するものの2004年に辞任。政界を引退しました。
評価が分かれるゴルバチョフの実績
ゴルバチョフが亡くなったのは2022年8月、91歳でした。ゴルバチョフが亡くなったのは奇しくもロシアがウクライナを進攻している最中。世界ではゴルバチョフは改めて評価されました。ロシア国内では、ソ連を崩壊させた張本人とみなす人が多いとのこと。評価が分かれるとはいえ、ソ連をマルクス・レーニン主義から解放させ、国民に自国の未来は自分で考えることを促したことは間違いないでしょう。