ソ連の政策に問題提起することも
ゴルバチョフは、中央委員会でコルホーズによる中央集権的な農業システムの問題について指摘。さらに、ソ連によるアフガニスタン侵攻についても疑問を持ち始めます。ただし、すべてを疑問視するわけではありませんでした。
ポーランドでソ連批判が高まったとき、政府に取り締まりを要請したときは、ソ連政府の立場を支持しました。とはいえ改革はとして頭角をあらわしたゴルバチョフは次世代のリーダーとして注目されるように。将来の自由化改革の実行者とて期待されるようになります。
ゴルバチョフに対する海外の高い評価
ゴルバチョフは海外の要人と面会する機会も持つようになります。カナダでピエール・トルドー首相と会談したときは、のちにゴルバチョフと共に改革を牽引するアレクサンドル・ヤコブレフ駐カナダ大使と出会いました。また、イギリスでマーガレット・サッチャー首相と会談したときは意気投合。一緒に仕事ができるという言葉をもらいました。
ゴルバチョフは、閉鎖的なソ連に風穴を開ける存在と、海外で高く評価されるものの、国内の保守層から警戒されました。アンドロポフ書記長がゴルバチョフを後継者に指名。しかしながら保守層の反対により選出されませんでした。保守派のチェルネンコが選出されるものの、彼は病弱。結局、ゴルバチョフが代行することが増えました。
ソ連の指導者で、スターリンやレーニンを大統領と呼ぶことはありません。実はゴルバチョフは、ロシアに大統領選を導入した人物でもあります。ソ連はゴルバチョフの時代に崩壊しますので、ソ連時代唯一の大統領となりました。
ゴルバチョフは若手の新星として党書記長に就任
チェルネンコは亡くなりゴルバチョフが書記長に就任。54歳のことでした。チェルネンコが高齢で病弱だったこともあり、若く意欲的なゴルバチョフに国民の期待は高まりました。ゴルバチョフは就任後に人事を一新。ゴルバチョフと対立していた者や、高齢の者を解任しました。
ゴルバチョフによるペレストロイカ
ソ連の共産党による一党独裁はゴルバチョフ就任の時点で60年を超えていました。そのため権力の集中や汚職が横行。そこで、書記長に就任したあと政治体制の改革を行います。それがペレストロイカ。最初は経済の立て直しが中心でしたが、徐々に政治の民主化が図られました。
ペレストロイカの内容は主に5点。軍事支出を削減して産業に投資すること、中央集権的な生産システムを変えること、技術の開発と実用化を進めて経済活動を引き上げること、労働者の働く意欲を高めて消費を刺激すること、海外との貿易を効果的に利用することです。ゴルバチョフはソ連の社会主義体制の範囲内で改革を行いました。
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