貴族たちだって、なんの手も打たずに、風流な遊びを楽しんでいるだけでは、権力を維持することできません。豪族と落ちぶれた貴族は、自分の権威を拡大させるため利用しあっていたのでしょう。武士化した貴族のなかで最も成功したのが、あの有名な源氏と平氏でした。
東北征服の野望で激化した前九年の役
Saigen Jiro – 投稿者自身による著作物, CC0, リンクによる
東国の戦乱は次第に北上。同時に源氏の野望は、東北そして陸奥国に広がっていきました。前九年の役も、後に勃発する後三年の役も、東北を征服するという野望がもたらしたもの。源氏はどんな手を使ってでも東北で戦乱を起こしたかったのでしょう。
前九年の役の背後にある陰謀
野心を秘めて東北に赴いた源頼義ですが、安倍氏の力は強大でした。そのため前九年の役は、中断しながらも長期化します。頼義は今の秋田県辺りの出羽国の俘囚である清原氏の力を借りることに。ついに安倍氏を滅ぼしました。
さらに清原氏では内紛が起こったため、源氏の独り勝ち状態になります。そして源氏は東国から東北にかけて、確固たる地位を築くに至りました。現実は源頼義が自分の野望を達成しようと引き起こした一方的な戦乱。ところが、いつのまにか「俘囚の安倍氏が反乱を起こした」と言い換えられました。
安倍氏は滅びましたが、完全に消滅したわけではありません。安倍氏の血を引いているのが同じく俘囚の藤原氏。奥州藤原氏のルーツにあたる集団です。安倍一族の無念を晴らすために、今度は藤原氏と源氏の闘いが勃発しました。
奥州藤原氏の登場
奥州藤原氏の始祖が藤原経清。その息子が清衡です。父子は、中尊寺を建立したとき、中尊寺に鐘楼を備えました。無実の汚名を着せられた安倍一族の霊を慰めるために建てられたのが中尊寺でした。
源頼義については、勝利したものの私的な戦いに過ぎないと朝廷にスルーされます。頼義のしつこい働きかけによりようやく恩賞を与えられました。部下に恩賞は一切なし。そこで頼義は、自腹を切って部下に恩賞を与えました。頼義と部下たちとの間に強い絆が生まれ、独特の主従関係が築かれました。
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