ソビエト連邦とはどんな国家だったのか。軍事力と科学技術力に焦点を当てて、世界史に詳しいライターひこすけと一緒に解説していきます。
- 世界初の社会主義国家、ソビエト連邦
- ソビエト連邦の初代指導者はレーニン
- 党書記長スターリンの独裁
- 冷戦期に軍事力を増強させたソビエト連邦
- フルシチョフはスターリンの体制を批判
- 軍事の拡張も進められる
- ソビエト連邦がこだわったのが西側への対抗
- ワルシャワ条約機構による軍事同盟
- ソビエト連邦が熱心に行った核開発
- ソビエト連邦を襲った核ミサイル発射の誤報
- 核ミサイル発射警告衛星ネットワークのエラー
- スタニスラフ・ペトロフの機転で危機を回避
- 航空宇宙技術を発展させたソビエト連邦
- 世界初の人工衛星スプートニク1号
- 人類初の有人宇宙飛行にも成功
- ソビエト連邦の崩壊
- ベルリンの壁の崩壊により加速
- ゴルバチョフ共産党書記長の辞任
- ソビエト連邦は本当に消滅したの?
この記事の目次
ライター/ひこすけ
アメリカの歴史と文化を専門とする元大学教員。アメリカと肩を並べた大国であったソ連にも興味がある。そこで、そもそもソビエト連邦とは何だったのか調べてみることにした。
世界初の社会主義国家、ソビエト連邦
L.Y. Leonidov – http://belregnews.ru/wp-content/uploads/2012/08/im.2012.08.11-10.07.31.jpg, パブリック・ドメイン, リンクによる
正式名称はソビエト社会主義共和国連邦。ソビエト連邦あるいはソ連と呼ばれることもあります。ソビエト連邦は世界で初めての社会主義国家。ソビエト連邦共産党の一党独裁がしかれました。
ソビエト連邦の初代指導者はレーニン
ソビエト連邦の初代指導者が、ボリシェヴィキを率いたウラジーミル・レーニン。ロマノフ王朝が支配するロシア帝国を倒して樹立しました。とはいえ、反ボリシェヴィキ勢力も多く、しばらくのあいだは内戦が続きました。
反ボリシェヴィキの最大派閥となるのが白軍。そこでレーニンはボリシェヴィキ側を赤軍と位置づけ、赤色テロを展開しました。内戦で打ち勝ったボリシェヴィキは、ロシア、ウクライナ、ザカフカース、ベラルーシを統合。ソ連を樹立しました。
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党書記長スターリンの独裁
レーニンが脳卒中により亡くなったあと、党書記長として力を発揮したのがにヨシフ・スターリンです。レーニン時代も反革命勢力の粛清はありましたが、スターリンはそれをさらに激化させました。
ソビエト連邦の工業化を一気に進め、農業や農場の集団化も加速させました。すべての農民をコルホーズに組み込み、富裕者層の撲滅を図ります。無理な集団化の影響により飢餓を引き起こしたと批判されることもありました。
冷戦期に軍事力を増強させたソビエト連邦
ソビエト連邦は、高度な軍事力を持っているとされています。軍事力を一気に増強させたのは東西冷戦時代。スターリンが亡くなったあと権力を持ったニキータ・フルシチョフによる指導体制の時代です。
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フルシチョフはスターリンの体制を批判
フルシチョフは、スターリンが亡くなったあと、彼の体制を大々的に批判します。フルシチョフはスターリン時代の粛清を告発、そこからの決別を宣言しました。それをきっかけに反体制が勃発。しかしフルシチョフはそれを鎮圧します。
多くの犠牲者を出したのがハンガリー動乱。全国規模で行われた民衆によるデモ行進です。ソ連軍の指示によりハンガリー政府が民衆を鎮圧しました。ハンガリーでは、このときの鎮圧については、長らく語られてきませんでした。
フルシチョフが率いるソ連は、ハンガリーの運動を「反革命」と断定。徹底的に弾圧します。スターリン派であるカーダールをトップに据えて親ソ政権を樹立。ハンガリーがソ連から独立したら、東ヨーロッパに反革命の波が広がると危惧して政権に関与しました。カーダールの政権は1980年代まで続きました。ハンガリー動乱は現在「国民革命」の先駆けとして再評価されています。
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