この記事では性善説と性悪説の違いについてみていこうと思う。2つとも中国発祥の儒学の思想ですが、人間の生まれながらの性質について善であるか悪であるかというところから説いている。なかなか難しい問題であり、どちらが正しいと一概には言えない。しかし、性善説については、本来の意味と間違えて解釈されていることもあるようです。今回は2つの主張の違いを文学部卒のライター海辺のつばくろと一緒に解説していきます。

ライター/海辺のつばくろ

性善説と性悪説、言っていることは結局同じことではないのかと疑問に感じる文学部卒のライター。

性善説と性悪説の大まかな違い

image by iStockphoto

性善説と性悪説は中国の儒学の思想から出た論議。人間の本来持つ性質は、善であるか悪であるかについて説いた主張をいいます。一見すると、両方とも相反する考え方のように見えますが、果たしてそうでしょうか。

性善説:人は本来は善人である

性善説は「人は本来善の性質を持っている。生まれながらの良い性質を大きく成長させて外部に発揮するべきだ。」ということ。紀元前4世紀頃の中国の戦国時代の儒学者孟子(もうし)」が唱えた説。孟子は「孟母三遷の教え」(孟子の母が息子が勉強に向く環境を探すために、引っ越しを3回したという故事)を連想する方もいるかもしれません。

孟子の思想は人間に対して楽観的に考える傾向があり、性善説につながったとも言われています。

性悪説:人は本来は悪人である

性悪説は「人間は生まれつき悪い性質を持ち、一見善だと思えることは後天的に身についたことである」として、紀元前3世紀頃の中国の儒学者「筍子(じゅんし)」が主張した説です。性善説の考え方が公表されてから約50年後に説かれたもので、孟子とは相反するように見えますね。

性善説が儒学の本流

性善説が広く知られるようになると、同時代の儒学者「告子(こくし)」は、「人間の本質が善であるか悪であるかはどちらとも言いがたいのでは」と異議を述べました。現実の人間には善人だけでなく、悪い人間もいますよね。性善説のいう「もともと善い人間」であるならば、悪の心はどのような理由で芽生えるのか説明が難しいからです。

しかし、善い性質を持っていてさらに努力して道徳心が身につき、国家が平和にできるという考え方が受け入れられます。結果的に、筍子の考え方は受け入れられなかったようで性善説は多くの儒学者に支持され儒教の中心的な思想に。

日本に鎌倉時代に中国の「宋(そう)」から伝来した「朱子学(しゅしがく)」は、江戸時代でも学問として重んじられています。朱子学は、性善説の考え方を根底に大きく影響を受けているとのことです。

\次のページで「性善説の考え方:四端の心を大切にすることで仁義礼智が備わった人になる」を解説!/

性善説の考え方:四端の心を大切にすることで仁義礼智が備わった人になる

image by iStockphoto

性善説の考え方では、人間には生まれながらに四端の心という善の性質を持っているそう。「四端の心を養って(自分の中で作り上げて)発展させられれば、仁義礼智という道徳心が心の中で大きく育つ。その結果、誰でも善人や聖人(神のように知識や人柄が優れ模範となる人)になれる。天下国家が平和になり安定する。」ということ。

人が悪いことをするのは「生まれながらの善の心を忘れて、成長するに従い物欲の心が覆いかぶさる」からだということです。

四端の心とは

性善説で生まれながらに持つ「四端の心」とは、どのようなことでしょうか。具体的には以下の通り。この4つの心を努力して身につけ、心の中に満たせばよいとのことです。並々ならぬ努力が必要となりそうですね。

四端の心(したんのこころ)
1.惻隠(そくいん):人を憐れむ心
2.羞悪(しゅうお):他人や自分の人として守るべき道を外すことを憎む心
3.辞譲(じじょう):他人に対してへりくだり譲る気持ち
4.是非(ぜひ):正しいことと正しくないことを正しく判断する心

仁義礼智とは

性善説ではもともと備わった「四端の心」を大きく育てれば、「仁義礼智」という道徳を身につけられて、善人や聖人になれるということです。仁義礼智というと、南総里見八犬伝の珠に書かれた文字を連想する方もいるかもしれませんね。これらは儒教の「徳」で儒学思想で重んじられる、人として守るべき模範だということです。それぞれの意味は以下の通り。

仁(じん)他人を大切に思い親しむ
義(ぎ)私利私欲を捨てて正しい道筋に則って公正に行う
礼(れい)礼儀作法やルールを守り敬意を払う
智(ち)物事を正しく理解して賢く判断する

性善説で誤解されがちな点:無条件で善人に成長することはない

無人販売所や神社やお寺の賽銭箱でありがちな事件があります。人が見ていないのを良いことに代金を支払わず商品を持ち去る、人気のない夜中に賽銭箱を無理やり持っていってしまうなどの窃盗事件です。

その際にニュースなどで「性善説によって成り立つ商売」というフレーズを聞いたことはありませんか。無人販売とは「人がもともと持つ善い心があって初めて成り立つ商売方法だ」と言いたいのかもしれません。しかし性善説は「生まれ持った善い性質を伸ばすことが大切」と主張しているため、普段から自ら身につける努力悪いことをしてはいけないというしつけなどのよい環境が必要でしょう。

もともと善の心を持っていたとしても、その力を養うことがなければ悪い方向に傾きがちですね。盗んだ人がルールを無視する、自分さえ良ければ他人が迷惑を被っても構わないと考えているのであれば、意味がないのでは。無条件で善人になれるわけではありません。

\次のページで「性悪説の考え方:人間本来の性質は悪で善の性質は後から身についたもの」を解説!/

性悪説の考え方:人間本来の性質は悪で善の性質は後から身についたもの

image by iStockphoto

性悪説は、「人間はもともと悪い性質を持っていて、一見善だと見える性質は後から身につけたものである」という考え方。では、性悪説による主張が正しければ、この世に聖人君子のような素晴らしい人は現れないのではないかと疑問に感じる方もいるでしょう。

善の性質を身につけるには本人の努力や周囲の環境が大事

性悪説を説いた筍子は、本来の性質を悪としたのではなく、環境や私利私欲によって悪い方に傾きがちだと主張したかったのではないかといわれています。仁義礼智の中でもことさら「礼」(礼儀作法を守る)を身につけ、教育をすれば善の性質に矯正できるというような内容が続けられるからです。

聖人君子とは、精進して努力をし続けることにより悪い気質を克服したからだということ。努力の重要性を説いているかのようですね。

性悪説が生まれた背景

性悪説が生まれた背景には、筍子の生きた時代が戦国時代の末頃で、世の中がすさんでいたからではないかと考えられています。筍子自身は「斎(せい)」の国で長官に任命されましたが、後に陥れられて出国の憂き目にあったこともあるようです。社会が荒廃し人を敬う礼儀などが軽んじられる風潮に直面して、人の本質は私利私欲の塊だと考えたのも無理はないかもしれませんね。

善の本質を身につける努力をしないならば、世の中が安定しないのではと不安にかられたのではないでしょうか。

性悪説と性善説が一致する部分:自分で善い所を身につける努力が必要

性善説と性悪説は人間の本質について正反対のことを主張しているようです。しかし、性善説は備わった美質を伸ばす努力が必要、性悪説は悪い所を矯正するために継続した努力が必要だと述べています。結局のところ、どちらの説の主張も「善い人でいるには日々の努力や勉強が求められている」ということに尽きますね。

人間の本質を表す説で善か悪かの違いがあるが、努力が大切ということは一致している

性善説も性悪説も中国の儒学の思想。違いは「人間の生まれ持った性質を善とする」性善説、「悪とする(もしくは、悪い方に向きやすい)」性悪説という立場から論じていることです。しかし、善人や聖人となるには本人の努力が必要とされている点は一致しています。

" /> 3分で分かる性善説と性悪説の違い!人の本質は善か悪か?性善説で誤解されがちな点も文学部卒のライターがわかりやすく解説 – Study-Z
雑学

3分で分かる性善説と性悪説の違い!人の本質は善か悪か?性善説で誤解されがちな点も文学部卒のライターがわかりやすく解説

この記事では性善説と性悪説の違いについてみていこうと思う。2つとも中国発祥の儒学の思想ですが、人間の生まれながらの性質について善であるか悪であるかというところから説いている。なかなか難しい問題であり、どちらが正しいと一概には言えない。しかし、性善説については、本来の意味と間違えて解釈されていることもあるようです。今回は2つの主張の違いを文学部卒のライター海辺のつばくろと一緒に解説していきます。

ライター/海辺のつばくろ

性善説と性悪説、言っていることは結局同じことではないのかと疑問に感じる文学部卒のライター。

性善説と性悪説の大まかな違い

image by iStockphoto

性善説と性悪説は中国の儒学の思想から出た論議。人間の本来持つ性質は、善であるか悪であるかについて説いた主張をいいます。一見すると、両方とも相反する考え方のように見えますが、果たしてそうでしょうか。

性善説:人は本来は善人である

性善説は「人は本来善の性質を持っている。生まれながらの良い性質を大きく成長させて外部に発揮するべきだ。」ということ。紀元前4世紀頃の中国の戦国時代の儒学者孟子(もうし)」が唱えた説。孟子は「孟母三遷の教え」(孟子の母が息子が勉強に向く環境を探すために、引っ越しを3回したという故事)を連想する方もいるかもしれません。

孟子の思想は人間に対して楽観的に考える傾向があり、性善説につながったとも言われています。

性悪説:人は本来は悪人である

性悪説は「人間は生まれつき悪い性質を持ち、一見善だと思えることは後天的に身についたことである」として、紀元前3世紀頃の中国の儒学者「筍子(じゅんし)」が主張した説です。性善説の考え方が公表されてから約50年後に説かれたもので、孟子とは相反するように見えますね。

性善説が儒学の本流

性善説が広く知られるようになると、同時代の儒学者「告子(こくし)」は、「人間の本質が善であるか悪であるかはどちらとも言いがたいのでは」と異議を述べました。現実の人間には善人だけでなく、悪い人間もいますよね。性善説のいう「もともと善い人間」であるならば、悪の心はどのような理由で芽生えるのか説明が難しいからです。

しかし、善い性質を持っていてさらに努力して道徳心が身につき、国家が平和にできるという考え方が受け入れられます。結果的に、筍子の考え方は受け入れられなかったようで性善説は多くの儒学者に支持され儒教の中心的な思想に。

日本に鎌倉時代に中国の「宋(そう)」から伝来した「朱子学(しゅしがく)」は、江戸時代でも学問として重んじられています。朱子学は、性善説の考え方を根底に大きく影響を受けているとのことです。

\次のページで「性善説の考え方:四端の心を大切にすることで仁義礼智が備わった人になる」を解説!/

次のページを読む
1 2 3
Share: