ソビエト連邦ロシアロマノフ朝世界史

ソビエト連邦の初代指導者「ウラジーミル・レーニン」はどんな人物?思想や後世への影響も元大学教員が5分でわかりやすく解説

ウラジーミル・レーニンの社会主義国家の運営

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ウラジーミル・レーニンはソ連発足後、さまざまな改革を行います。それは自身で構想したマルクス主義に戻づく国家を構築することでもありました。世界史上初めて発足した社会主義国家。独裁性も強まっていきます。

土地、労働、生活の平等を目指す

ウラジーミル・レーニンの改革の大きな柱のひとつが土地の国有化です。広域な土地を所有し、農奴を縛り付けていた貴族の土地を国が買収。ロシア正教会の土地もはく奪しました。それらを農民に再分配しました。

労働者を苦しめていた労働時間も制限。8時間までと定めます。また、子どもが教育を受ける機会も均等に与えられると約束しました。社会主義の理想は「平等」。そこで男女平等の政策も進められ、離婚に関する制約も撤廃。女性の意思があれば妊娠中絶することも合法化されました。

宗教と反革命に対しては厳しい姿勢を貫く

ウラジーミル・レーニンは、敬虔な正教徒であった父親の影響もあって、宗教に嫌悪感を抱いていました。そこで徹底した無神論を貫きます。個人の信仰心は許容するものの宗教の組織化はNG。教会と国家の分離が宣言されました。学校で宗教教育を行うことも禁止されました。

同時に反革命組織の解体も徹底します。「チェーカー」という反革命取り締まり組織を創設し、反ボリシェヴィキ勢力を抑え込みました。飢饉の際は農民の反乱を防ぐために富裕層を絞首刑にするなど独裁的な一面もありました。

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レーニンは社会主義国家を実現するために改革を行うが、理想とは程遠かったようだな。社会主義のキーワードは「平等」。しかし、さまざまな抑え込みを徹底した結果、不満が膨れ上がってしまった。2度の暗殺未遂にあったあと重傷を負うことになる。

独裁色を強めるウラジーミル・レーニン

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1918年9月に人民委員会議は反政府勢力を組織的に弾圧することを決定。数多くの人が犠牲になります。主に富裕層やロシア帝国の元関係者が粛清の対象となりました。政府の敵と見なされた人が次々と処刑。その被害者は14万人に及ぶという研究結果もあります。

秘密裡で行われた大規模な粛清

レーニンは粛清する際、文書のなかの記号などで指示を出すのみ。処刑される際に立ち会うこともなく、一定の距離を保っていました。レーニン個人ではなく人民委員会議の方針という形をとり続けました。

大規模な処刑はすべてのボリシェヴィキに支持されてわけではありません。チェーカーの権限を制限する動きも見られましたが、実際はそのまま活動を続けました。1920年ごろになるとチェーカーの影響力が大きくなり、国の最高権力に等しい力を持つ存在となります。

ヨーロッパ諸国の革命を支援するための準備も進める

レーニンはヨーロッパ諸国でも革命が巻き起こると予想。まずはハンガリーの共産主義政権の樹立を援護します。ドイツの社会主義者による蜂起をみて、国際共産主義組織である「コミンテルン」を創設する大会をモスクワで行いました。そこでレーニンは、ヨーロッパのブルジョワ政権の転覆を呼びかけます。

マルクス主義では資本主義の次のステージが社会主義。しかしレーニンは、資本主義を飛ばして直接社会主義に移行するべきであると訴えました。レーニンが狙ったのは世界的な革命。しかし、ハンガリーの共産主義政権は転覆され、ドイツの蜂起も消滅。実現には至りませんでした。

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