ソビエト連邦ロシアロマノフ朝世界史

ソビエト連邦の初代指導者「ウラジーミル・レーニン」はどんな人物?思想や後世への影響も元大学教員が5分でわかりやすく解説

よぉ、桜木建二だ。ロシアのプーチン大統領のウクライナ進攻により注目されることが増えたのがウラジーミル・レーニン。プーチンの言動には「反レーニン」が潜んでいるとも言われているぞ。ロシア革命の立役者のひとりであったウラジーミル・レーニンとはどんな人物だったのだろうか。

ウラジーミル・レーニンの人物像、思想、後世に与えた影響について、世界史に詳しいライターひこすけと一緒に解説していくぞ。

解説/桜木建二

「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

ライター/ひこすけ

アメリカの歴史と文化を専門とする元大学教員。アメリカと並ぶ大国として世界に影響を与えてきたロシアが今、大きく揺らいでいる。ウクライナ進攻はどうして行われているのか、その背景を探るためにウラジーミル・レーニンについて調べてみることにした。

ソビエト連邦の初代指導者ウラジーミル・レーニンの幼少期

image by PIXTA / 62502021

ウラジーミル・レーニンはソビエト連邦の初代指導者。ロシア革命を導いた政治家であり哲学者でもあります。社会主義国家を樹立させたマルクス主義者。経済や政治思想に関わる著作もたくさん残しました。彼の思想は「マルクス・レーニン主義」と言われ、後世に少なからず影響を残しました。

元農奴の父親を持つウラジーミル・レーニン

レーニンの父親の名前はイリヤ・ニコラエヴィチ・ウリヤノフ。帝政ロシア元農奴の家系に生まれました。農奴とは、移動や結婚の自由を許されない、土地に縛られた農民のこと。貧しい家の生まれでしたが、頭脳明晰な父親は大学で物理学を学び、最下層を脱出しました。

レーニンの母となるマリアと結婚。マリアは裕福な家の生まれでした。父親はキリスト教に改宗。レーニンも生後6日で洗礼を受けました。父親はロシア正教徒、母親はルーテル教会の信徒。父親は敬虔な信者でしたが、母親は形だけの信者でした。ふたりともリベラルな考えを持っており、農奴制についても廃止を支持してしました。

父親の死後に信仰を捨てたウラジーミル・レーニン

1886年1月に父親が脳内出血によって亡くなると、レーニンの言動にも変化があらわれます。攻撃的になり信仰も捨てました。学業は順調で、中高等学校を断トツの成績で卒業しました。大学では法学を学ぶものの、学生運動に関わって警察に拘束。退学を余儀なくされます。

追放中にレーニンが読みふけったのが革命小説。故郷に戻ったあとも革命サークルに入るなど思想を固めていきます。このときに出会ったのがカール・マルクスの『資本論』。マルクスとエンゲルスにより発表された『共産党宣言』のロシア語訳を手掛けたのもレーニンです。

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レーニンは敬虔なロシア正教の信者だった父親に複雑な気持ちを抱いていたのだろう。ソ連は国家体制としては無宗教。ロシア革命後に、ロシア正教会を徹底的に粛清したのは、父親に対するネガティブな感情もあったのかもしれない。

ロシア革命で頭角をあらわすウラジーミル・レーニン

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By Nadezhda Konstantinovna Krupskaya (1869-1939) – http://www.marxists.org/archive/lenin/photo/1895-1917/1897-1.htm, Public Domain, Link

1905年、血の日曜日事件が起こり、ロシア帝国全土で革命の波が広がります。中心的な役割を果たした革命家のひとりがウラジーミル・レーニン。労働者と農民による民主的な独裁の実現を訴えました。

ウラジーミル・レーニンが支持する労農同盟

労働者と農民による民主的な独裁とは、労農同盟と呼ばれるマルクス主義の用語。労働者と農民がそれぞれの階級的な利益を擁護しあうという考え方です。レーニンは農奴の家系に連なる生まれであることから、農民の地位を向上させるこマルクス主義に惹きつけられてのでしょう。

第一次世界大戦中、レーニンは自身の社会主義思想を『帝国主義論』としてまとめ上げます。帝国主義に発展した資本主義は腐敗し、次のステージにある社会主義に取って代わられる運命にあると主張。ロシア革命の正当化を試みました。

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