零戦こと零式艦上戦闘機は有名ですね。その零戦に21型とか52型とか種類があるらしいのです。この型番も飛び飛びな上に順番も数字通りじゃないらしいのです。実際この2種類がどう違い、なぜ生まれたのかや、他にも零戦があるのかをゲーム好きでプログラマでもあるライターのwoinaryと一緒に解説していきます。

ライター/woinary

某社で社内向け業務システムの開発、運用を30年近くやっていたシステム屋さん。現在はフリーランス。ガジェットやゲーム、ラノベが大好きなおっさんです。

21型は初期型、52型は後期型、他にも12種類あった零戦

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不明, the original photograph was captured on Attu in 1943. - Official U.S. Navy Photograph 80-G-71198, now in the collections of the National Archives., パブリック・ドメイン, リンクによる

零戦の正式名称は「零式艦上戦闘機」です。艦上とは航空母艦に搭載すること。戦闘機とは敵機を撃ち落とすため航空機のことです。第二次世界大戦中を通して零戦は活躍しましたが、その理由の一つが後継機の登場が遅れたため。そのため、海軍は零戦を改良しながら使い続けた結果、様々な改良型が生まれます。

その中でも有名なのが大戦初期に大活躍した21型と、後期に活躍した52型です。主にこの2つを中心に、零戦の型の違いと、なぜ改良を続けなければならなかったのかを見ていきます。

大戦初期に活躍した21型

零戦が生まれたのは昭和14年。なぜ「零式」かといえば、この頃の日本の軍用機の名称は西暦や昭和何年ではなくて、神武天皇が即位した年を基準にした「皇紀」を使っていたため。実際に使い始めた昭和15年は皇紀2600年でしたので、その下二桁の「00」から零式となりました。

この零戦のうち、最初に航空母艦に搭載された量産機が21型です。昭和19年春までに3,541機が生産されました。これは零戦全体の生産数の3分の1になります。

一番製造数の多い零戦を代表する52型

第二次大戦を通して活躍した零戦ですが、敵機は世代交代して強力になる中で時代に取り残されてしまいます。本来ならば零戦の後継機が登場しているはずでしたが諸事情で遅れていた結果、零戦の改良型として登場したのが52型です。

52型までにもいくつかの改良型が存在しましたが、結果的に52型は昭和18年から6,000機が生産されます。これは零戦全体の6割です。52型にはさらなる改良型の52型甲、乙、丙もあるため、それらを含めると7割以上。まさに零戦を代表するのが52型なのです。

21型と52型、その特徴と見分け方

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unlisted - 1. Historic Wings [1], パブリック・ドメイン, リンクによる

初期の代表が21型、後期の代表が52型と説明しましたが、実際どう違うのでしょう。そもそも、型とはどういう基準でつくのでしょう。1から順番ではなさそうです。実は十の位は機体の改良をおこなった回数、一の位はエンジンの改良をおこなった回数になります。

21型なら機体を1回改良、エンジンは変わっていないわけです。52型なら機体を4回、エンジンを1回改良したことになります。ただし、40番台は計画だけで実在しないので、実際には3回目の改良です。そのため、32型の後に22型が登場といった逆転現象もありました。それを踏まえて、実際の違いを見ていきます。

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21型:翼がたため、排気口が2個

最初に航空母艦に搭載されて日本海軍の主力戦闘機として活躍したのが21型です。21型の翼の端から端までの幅は12mあります。これは航空母艦で航空機を乗せるエレベータのサイズから設計されたものです。しかし、実際に空母に乗せてみたところ不都合が多かったため、急遽翼の端を50cmずつたたむ機能を追加しました。これは21型と22型のみの特徴です。

また、零戦21型のエンジンの排気口は機種部分下部の吸気口の上に左右に2つ付いています。これは21型をはじめとした前期型の特徴です。

52型:翼が短く、排気口が11個

当初、無敵を誇った零戦21型ですが、戦争が長引くにつれて敵も対策を立て新型機を投入してきます。空中戦が得意な零戦に対して敵はスピードで上回っていました。そのため、さっと近づいてすぐに逃げ出す作戦を取ります。スピードで劣る零戦は敵機に追いつけなかったのです。

その対策として、速度向上と武装を強化したのが52型。スピードを上げるために排気口を機種の周りに左右で11個設けました。また、翼についていた機銃も銃身が長いタイプに変更されたのです。そのため、52型などの後期の零戦は左右の翼から機銃の銃身が突き出しています。また、翼の幅も50cmずつ短くなり折りたたみ機能はなくなりました。

武装の違いでさらに細かく分かれる52型甲乙丙

52型で武装を強化しましたが、まだ防御力の高かった敵機には及びません。そのため、その後も武装や防御を強化した改良型が生まれます。ただ、機体やエンジンは大きく変わらなかったため、52型のさらなる派生型として52型甲、52型乙、52型丙が生産されました。

ただし、52型が6,000機も生産されたのに対して、甲、乙、丙はそれぞれ400〜500機前後となっています。その後も零戦の改良は続きますが、そのベースは52型丙になりました。

21型と52型以外の零戦

image by iStockphoto

前期と後期の代表として21型と52型を見てきました。ただ零戦は全部で14種類もありました。その全てを取り上げることはできませんが、その中でも特徴的な型を取り上げていきます。

1.空母に搭載できなかった最初の量産機11型

零戦で航空母艦に搭載された量産機は21型が最初ですが、その前に11型が存在しました。この11型は「艦上戦闘機」であるのに航空母艦で使うための装備が搭載されておらず、航空母艦で使うことができませんでした。では活躍もできなかったのでしょうか。

実は正式採用前に中国大陸に送られて大戦果をあげます。爆撃機隊の援護についた13機の零戦11型が27機の敵機を撃墜し、全機生還したのです。これは日本側の記録で実際にはもう少し撃墜数は少ないようですが、大きな戦果を上げたのは確か。当時の敵軍は現地からの報告を信じなかったと言われています。

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2.零戦の異端児32型

零戦の最初の性能向上型として登場したのが32型エンジンが改良されたため型名の一の位が2です。また、翼の長さが50cmずつ短くなっています。

零戦の主翼の端は丸みを帯びているのが特徴ですが、32型だけは途中でバッサリ切ったような丸みのない形。これは32型だけの特徴です。欠点は飛ぶことのできる距離がおよそ3分の2になったこと。そのため、翼を元に戻した22型が生まれます。さらなる改良型の52型の登場で、22型と32型合わせて900機程度の生産で終了しました。

3.最後の零戦、54/64型

最後の零戦になったのが54型です。52型丙を元にしているので54形丙と呼ばれることもありますが、同じものになります。昭和20年7月に正式採用されますが、戦争末期のため2機しか生産されませんでした。その量産型が64型ですが、その生産前に終戦を迎えています。エンジンが変わったために型名の一の位が4です。エンジンの大型化により機首の機銃も撤去されます

このエンジンは実は52型で搭載を検討していました。しかし、結局は従来エンジンの改良型が搭載されます。本来の後期型は52型ではなく64型だったのかもしれませんね。

製造メーカーでも違う零戦

零戦を設計したのは三菱重工業ですが、中島飛行機という会社でも生産していました。零戦の6割が実は中島飛行機で生産しています。同じ設計図で作っているのですが、違うのが機体の色です。零戦の機体は暗い緑色で腹部が灰色が基本。しかし、主翼から尾翼にかけて斜めに灰色が伸びる中島製と、まっすぐな三菱製という違いがあります。また、同じ暗い緑色でも三菱製は青みがかっており、灰色も両者で違うそうです。

また、最前線だったラバウルで使うための特別に改造された機体や、ラバウルが孤立した後に使える部品を組み合わせて組み立てた二人乗りの改造機が存在していました。

大戦初期に活躍した21型、最も生産数が多く零戦の代表52型

零戦こと零式艦上戦闘機第二次世界大戦を通じて活躍した戦闘機です。その反面、長期にわたって使わざる得なかったために改良され続けます多くの改良型の中でも代表的なのが初期の21型と後期の52型。両者には機種のエンジンの周りの排気口の数や、翼に搭載された機銃の銃身が翼の中に収まっているか飛び出しているか主翼の長さといった違いがあります。これらの違いは敵の新しい作戦や新型機に対抗するための工夫の結果です。

今でも国内外に復元されたものを含めて何機かの零戦が残っています。役目を終えて静かに眠る零戦。その子孫として多くの戦闘機がつくられました。しかし、2度と実際に使われることがないことを祈るばかりです。

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文化・歴史雑学

零戦21型と52型の違いとは?外観や内部・特徴も歴史好きのプログラマーがわかりやすく解説

零戦こと零式艦上戦闘機は有名ですね。その零戦に21型とか52型とか種類があるらしいのです。この型番も飛び飛びな上に順番も数字通りじゃないらしいのです。実際この2種類がどう違い、なぜ生まれたのかや、他にも零戦があるのかをゲーム好きでプログラマでもあるライターのwoinaryと一緒に解説していきます。

ライター/woinary

某社で社内向け業務システムの開発、運用を30年近くやっていたシステム屋さん。現在はフリーランス。ガジェットやゲーム、ラノベが大好きなおっさんです。

21型は初期型、52型は後期型、他にも12種類あった零戦

Carrier shokaku.jpg
不明, the original photograph was captured on Attu in 1943. – Official U.S. Navy Photograph 80-G-71198, now in the collections of the National Archives., パブリック・ドメイン, リンクによる

零戦の正式名称は「零式艦上戦闘機」です。艦上とは航空母艦に搭載すること。戦闘機とは敵機を撃ち落とすため航空機のことです。第二次世界大戦中を通して零戦は活躍しましたが、その理由の一つが後継機の登場が遅れたため。そのため、海軍は零戦を改良しながら使い続けた結果、様々な改良型が生まれます。

その中でも有名なのが大戦初期に大活躍した21型と、後期に活躍した52型です。主にこの2つを中心に、零戦の型の違いと、なぜ改良を続けなければならなかったのかを見ていきます。

大戦初期に活躍した21型

零戦が生まれたのは昭和14年。なぜ「零式」かといえば、この頃の日本の軍用機の名称は西暦や昭和何年ではなくて、神武天皇が即位した年を基準にした「皇紀」を使っていたため。実際に使い始めた昭和15年は皇紀2600年でしたので、その下二桁の「00」から零式となりました。

この零戦のうち、最初に航空母艦に搭載された量産機が21型です。昭和19年春までに3,541機が生産されました。これは零戦全体の生産数の3分の1になります。

一番製造数の多い零戦を代表する52型

第二次大戦を通して活躍した零戦ですが、敵機は世代交代して強力になる中で時代に取り残されてしまいます。本来ならば零戦の後継機が登場しているはずでしたが諸事情で遅れていた結果、零戦の改良型として登場したのが52型です。

52型までにもいくつかの改良型が存在しましたが、結果的に52型は昭和18年から6,000機が生産されます。これは零戦全体の6割です。52型にはさらなる改良型の52型甲、乙、丙もあるため、それらを含めると7割以上。まさに零戦を代表するのが52型なのです。

21型と52型、その特徴と見分け方

A6M5 52c Kyushu.jpg
unlisted – 1. Historic Wings [1], パブリック・ドメイン, リンクによる

初期の代表が21型、後期の代表が52型と説明しましたが、実際どう違うのでしょう。そもそも、型とはどういう基準でつくのでしょう。1から順番ではなさそうです。実は十の位は機体の改良をおこなった回数、一の位はエンジンの改良をおこなった回数になります。

21型なら機体を1回改良、エンジンは変わっていないわけです。52型なら機体を4回、エンジンを1回改良したことになります。ただし、40番台は計画だけで実在しないので、実際には3回目の改良です。そのため、32型の後に22型が登場といった逆転現象もありました。それを踏まえて、実際の違いを見ていきます。

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