現代社会

中曽根内閣が実現させた三公社民営化とは?民営化した理由や中曽根内閣の功績も行政書士試験合格ライターが分かりやすくわかりやすく解説

リクルート事件

中曽根は竹下登に後継を託しましたが、竹下内閣はリクルート疑惑で窮地に陥ります。リクルートコスモス社の未公開株が政治家や官僚に譲渡され、便宜の供与を求めた賄賂として利用されました。政・官・財の各界から多くの逮捕者が出たリクルート事件は、戦後最大の贈収賄事件となったのです。

中曽根もリクルート事件への関与が取り沙汰されて、国会で証人喚問を受けます中曽根は立件されませんでしたが、政治責任を取る形で自民党を離党しました。1989(平成元)年6月、政治的混乱を招いた責任を取り、竹下内閣は総辞職中曽根派に属していた宇野宗佑が後継総理となりました

中曽根康弘の政界引退

中曽根はリクルート事件での道義的責任を取るため、1989(平成元)年に自民党を離党しましたが、2年後には復党しました。その後は総選挙の比例区名簿で1位を確約されたこともあり、着実に当選回数を積み重ねます。しかし、自民党は2000(平成12)年より比例区の定年制を導入していました。

中曽根は総理大臣経験者だったこともあり、定年制の対象とはなっていませんでした。しかし、2003(平成14)年の総選挙に出馬しようとした中曽根に、当時の小泉純一郎総理が引退を勧告。一度は中曽根が反発しましたが、結局は勧告を受け入れました。そのために連続当選は20回で止まり、中曽根は政界を引退することとなったのです。

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政界引退後も、中曽根は精力的に政治活動していたな。多くの執筆やテレビ出演などをこなし、その存在感は決して小さなものではなかった。令和元年の2019年に中曽根は亡くなったが、101歳まで生きて天寿を全うし、総理経験者としては東久邇宮稔彦王(102歳没)に次いで長寿となったぞ。中曽根は、大正・昭和・平成・令和の時代を駆け抜けた政治家だったのだ。

中曽根内閣の強いリーダーシップで三公社の民営化は実現した

「戦後政治の総決算」を掲げて総理大臣となった中曽根康弘は、数々の行財政改革に着手します。中でも顕著だったのが、電電公社・専売公社・国鉄からなる、三公社の民営化でした。三公社は、それぞれNTT・JT・JRへと組織を変え、今に至っています。中曽根の強いリーダーシップと実行力がなければ、三公社の民営化は早々に実現できなかったでしょう。

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