現代社会

中曽根内閣が実現させた三公社民営化とは?民営化した理由や中曽根内閣の功績も行政書士試験合格ライターが分かりやすくわかりやすく解説

「戦後政治の総決算」をスローガンに

中曽根は、1982(昭和57)年に自民党総裁選挙で2度目の立候補をします。その時は、田中角栄の後押しを受けたこともあり、総裁選挙に勝ちました。その後に成立した第1次中曽根内閣では、田中派の議員が重要ポストを占めたため、「田中曽根内閣」「角影(かくえい)内閣」などど揶揄されるようになります。

中曽根は、施政方針演説で「戦後政治の総決算」をスローガンに掲げ、従来の制度や仕組みを見直すことを宣言しました。そのことが、三公社の民営化などにつながったのです。しかし、田中がロッキード事件で有罪判決を受けたのが原因で、参議院選挙で自民党は敗北。田中色を排除する形で、中曽根は内閣改造に踏み切りました

大統領型首相

中曽根は日本の内閣総理大臣という立場にありながら、トップダウン型のいわゆる「大統領型首相」という方式を志向しました。臨調(臨時行政調査会)や臨教審(臨時教育審議会)などといった諮問機関を設置。そこに中曽根のブレーンを送り込み、積極的に指針などを提言しました。

しかし、中曽根は強力なリーダーシップをアピールしようとしたため、強い口調の発言が問題視されることもありました。日本の防衛問題について中曽根が、日本を「不沈空母」に見立てて発言し、憲法9条の専守防衛から逸脱していると非難を受けました。他にも問題となった発言はありましたが、当時は現代のようにSNSは普及していませんでした。

ロンとヤス

中曽根内閣では、従来GNPの1%以内とされてきた日本の防衛費枠を撤廃。防衛や外交で強気に出る姿勢を示しました。また、1983(昭和58)年に中曽根が訪米して、日米関係の修復に努めます。当時のアメリカ大統領であるレーガンを中曽根が「ロン」と呼び、自らを「ヤス」と呼ばせることで、お互いが親密であることを示したのです。

その一方で、中曽根内閣は靖国神社参拝をめぐり、中国から抗議を受けます。中曽根以前にも、日本の現役総理が靖国神社を参拝したことがありました。しかし、中曽根が総理として公式に靖国神社を参拝したため、抗議を受けることになったのです。現在でも、靖国神社参拝で外交問題になることがあります。

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かつて日本の防衛費は「GNPの1%以内」を基準としていたな。このGNPとは「国民総生産」のことで、一定期間内に国内で生産されたモノやサービスの付加価値を合計したものだ。しかし、GNPは日本の企業が海外で生産したモノやサービスを含まない。そのため、現在ではGDP(国内総生産)やGNI(国民総所得)が指標として使われているぞ。

中曽根内閣の代表的政策「三公社民営化」とは?

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では、中曽根内閣の主要政策といえる「三公社民営化」とは、いったいどのようなものだったのでしょうか。

「小さな政府」を目指す

「戦後政治の総決算」の一環として、中曽根内閣は行財政改革に踏み切ります。行革審(行政改革推進審議会)の答申を受けて、さまざまな規制緩和に着手しました。その中の1つの目標が、「小さな政府」を目指すことです。公的なサービスは政府の関与を無くして、民間に委ねる方針に転換させました

日本航空(JAL)は、創業以来長らく半官半民で経営された企業でした。中曽根内閣の時代になり、他の特殊法人などと同様に、日本航空も民営化されます。1987(昭和62)年に完全民営化を果たし、日本航空株式会社となりました。その後、JALは一時経営破綻しましたが、現在は再生しています。

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