現代社会

芦田均内閣が倒れた原因となった「昭和電工事件」とは?事件の概要や戦後の政権交代などを歴史好きライターが分かりやすく解説

よぉ、桜木建二だ。今回は、昭和電工事件について学んでいこう。

昭和電工事件の発覚により、芦田均内閣が総辞職することになった。当時の政権が倒れるほどの事件を、詳しく知りたい人は多いだろう。

昭和電工事件の概要や、戦後まもなくの日本に頻発した政権交代などについて、日本史に詳しいライターのタケルと一緒に解説していくぞ。

解説/桜木建二

「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

ライター/タケル

資格取得マニアで、士業だけでなく介護職員初任者研修なども受講した経験あり。現在は幅広い知識を駆使してwebライターとして活動中。

頻繁に行われた終戦直後の政権交代

image by iStockphoto

まずは、終戦直後の日本に頻発した、政権の移動について簡単に見ていくことにしましょう。

東久邇宮内閣から幣原内閣へ

終戦から2日後の1945(昭和20)年8月17日、総辞職した鈴木貫太郎内閣に代わり、東久邇宮稔彦王が組閣。戦後初にして、皇族から唯一の総理大臣となります。GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の司令に応じて職務を執行していましたが、すぐに頓挫。わずか54日で内閣総辞職となりました。

代わって総理となったのが幣原喜重郎です。幣原内閣では、新しい憲法の草案作成や社会立法などに取り組みました。しかし、戦後初にして大日本帝国憲法下では最後となった総選挙の結果、幣原内閣は存続が危うくなります。結局、組閣から7ヶ月後の1946(昭和21)年5月に、幣原内閣は総辞職しました。

第1次吉田内閣の成立

戦後初の総選挙で日本自由党が第1党となり、本来なら総裁の鳩山一郎が総理となるはずでした。しかし、鳩山はGHQから公職追放の処分が下され、組閣できなくなります。鳩山の代わりとして白羽の矢が立ったのが吉田茂でした。総選挙から1ヶ月以上が経過して、ようやく吉田が総理大臣となります。

第1次吉田内閣では、日本国憲法公布などの重要な職務を遂行しました。しかし、新憲法の下で初めて行われた総選挙で、第1党の座を日本社会党に明け渡します。その結果を受けて、吉田は内閣の存続を断念。第1次吉田内閣は、わずか1年で総辞職しました

初めての社会党政権

日本国憲法の下で国会の指名を受けて成立した初めての内閣が、片山哲内閣です。先の総選挙で日本社会党が第1党に躍進して、日本社会党委員長の片山哲が首班指名を受けました。しかし、日本社会党だけでは過半数にならず、日本民主党や国民協同党などとの連立政権になります。

片山内閣では、民法や刑法の改正など、数々の重要法案が成立しました。しかし、日本民主党の幣原派が離反するなど、連立政権内の対立が顕著になります。政権運営に限界を感じた片山は、内閣総辞職を決断。日本で初めて社会党が中心となった政権は、1年も持たずして倒れたのです。

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日本社会党所属で総理大臣になったのは2人いて、前述の片山哲と、1994年に総理となった村山富市だ。自由民主党・新党さきがけ・日本社会党の3党連立で、村山が担ぎ出される形となったな。その後、日本社会党は社会民主党(社民党)に名前を変え、さきがけは事実上消滅した。総理大臣を輩出した政党が、今では選挙で1つの議席を獲得できるかどうかを争っているのは、なんとも複雑だ。

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