ソビエト連邦ロシアロシア革命世界史

プーチン大統領が信奉する「強いロシア」その内容と背景について元大学教員が5分でわかりやすく解説

次々とソ連から離脱する国々を目撃

母国に戻ったプーチンは、ソ連の構成国が次々と反旗を翻す姿を目撃します。ベルリンの壁をきっかけに、東欧民主革命が勃発。さらにそれを見たソ連15共和国も独立を画策します。リトアニア共和国などが独立を宣言しました。

ゴルバチョフがソ連大統領を辞任。ロシア共和国の大統領にエリツィンが就任します。それによりロシアはよくなるだろうと期待されました。しかし実際はなにも変わらず。市場開放によって海外製品が流入。物不足は解消されるものの、貧しいままの状況が続きました。

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ロシア人は民主化に期待を寄せていたが、すぐに幻滅することになる。そしてあらわれたのが独裁者を求める機運。「強いロシア」や「強いリーダー」を求める流れはロシア国民全体にあった。そこで登場したのがプーチンだ。

「強いロシア」を現実化したプーチン

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プーチンは、故郷であるサンクトペテルブルク市で有力者に推挙され、副市長に抜擢されます。彼の仕事は国際経済協力担当。そこで頭角をあらわし、1996年にはモスクワに移住。エリツィン大統領の政権運営に参加するようになります。

1999年にロシア共和国の首相となったプーチン

プーチンはエリツィン大統領の右腕として手腕を発揮。前KGBである連邦保安局(FSB)の長官となったあと、1999年8月に首相に就任しました。エリツィン大統領は、汚職事件などの影響もあり大統領を辞任。右腕だったプーチンを後継者に指名します。

プーチン自身、首相時代に第二次チェチェン紛争の制圧で活躍。「強いリーダー」としてのイメージが定着しており、高い国民的人気を誇っていました。同時に独裁的な判断も積極的にしてきました。その代表例が、エリツィンを生涯にわたって刑事訴追から免責するという大統領令です。

経済の大躍進で「強いロシア」を実現

プーチン大統領は、大統領に就任した当初、ロシアの経済的回復を実現します。2000年からの10年、ロシアの都市部には高層ビルが建ちならび、高級ブランドや高級外車があふれかえるようになりました。こうした変化は、自信を失ったロシアがそれを回復させることにもつながりました。

プーチンが大統領に就任した当時、ロシアの一人当たりの国内総生産(GDP)はたったの1904ドル。それが1万ドルまで引きあがりました。ロシアの経済回復を支えたのは原油。経済的発展を背景に、2006年には故郷のサンクトペテルブルクでG8サミットも主催しました。

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経済的躍進と国際社会におけるリーダーシップを実現したプーチン。彼そのものが「強いロシア」を具現化する存在となっていった。筋トレを熱心にしているプーチンはその強さを示すために、上半身裸になることもいとわなかった。

ウクライナ進攻と「強いロシア」

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ロシアと言えばウクライナ進攻を思い描く人も多いでしょう。プーチン大統領はウクライナがNATOに加盟し、ロシアの影響下を離れようとすることを頑なに拒んでいます。どうして他国の動きを制限しようとするのでしょうか。それはプーチンの「強いロシア」観と密接に結びついています。

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