ソビエト連邦ロシアロシア革命世界史

プーチン大統領が信奉する「強いロシア」その内容と背景について元大学教員が5分で解説

よぉ、桜木建二だ。ウクライナ進攻をきっかけに世界から注目されるようになったロシアのプーチン大統領。強硬な政治姿勢のみならず、ときおり見せる筋肉アピールを、不思議に思う人も多いだろう。プーチンがこだわるのは「強いロシア」の発信。

彼の「強いロシア」信奉がどうやって生まれたのか、その内容と背景について世界史に詳しいライターひこすけと一緒に解説していくぞ。

解説/桜木建二

「ドラゴン桜」主人公の桜木建二。物語内では落ちこぼれ高校・龍山高校を進学校に立て直した手腕を持つ。学生から社会人まで幅広く、学びのナビゲート役を務める。

ライター/ひこすけ

アメリカの文化と歴史を専門とする元大学教員。ロシアはアメリカと並ぶ経済大国として君臨してきましたが、最近はその強硬な姿勢が疑問視されている。その代表格がプーチン。彼が唱える「強いロシア」についての内容や背景を調べてみた。

「強いロシア」の背景にあるものとは?

プーチン大統領が信奉しているとされる「強いロシア」という概念。どこの国も強くありたいと思うのは自然なことですが、プーチン大統領の場合は特別な背景があります。

貧しい幼少期を経てKGBへ

プーチン大統領が生まれたのはソビエト社会主義連邦時代。父親は工場労働者のため、決して豊かとはいえない幼少期を過ごしました。生活の場は共同アパート。そんなプーチン少年は、スパイ映画の魅力にはまり、自分もスパイとして活動したいと思うようになります。

ソ連でスパイになるには国家保安委員会(KGB)に入る必要がありました。法学部を出ていると就職しやすいことを知り、猛勉強をして法学部に入ります。そして念願のKGBの職員として機密情報の収集に関わるようになりました。

東ドイツでベルリンの壁の崩壊を経験

プーチンはスパイとして東ドイツに派遣されました。そこでは、妻と子どもと一緒に穏やかな生活をしていたと言われています。プーチンが携わったのは北大西洋条約機構(NASA)に関する情報収集。約5年後、プーチンはベルリンの壁の崩壊を目の当たりにすることになります。

ソ連の支配下にあると思っていた東ドイツが一夜にして変貌。ソ連と決別し、民主化の道を進むことを選びます。強いと信じていたソ連が一気に崩れ落ちる瞬間を目の当たりにしたプーチン。このときのトラウマが「強いロシア」信奉につながったと言われています。

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ベルリンの壁が叩き壊されているとき、プーチンは気が狂ったように大声で叫び、自分が収集した資料をビリビリに破いたと言われている。このとき、母国の平和をかき乱すものとしてNATOへの恨みがつのったのかもしれない。

タクシー運転手の経験から「強いロシア」を渇望

image by PIXTA / 14404821

プーチンの「強いロシア」信奉はソ連崩壊後のロシアの停滞とも大きく結びついています。ロシア社会は大混乱、道端には住み家を失った人々が呆然と立ちすくむようになりました。今でもロシア人にとって、ソ連崩壊度の貧困は「苦い記憶」となっています。

ソ連崩壊度の屈辱的な生活

ベルリンの壁が崩壊し、東西ドイツは統一。プーチンは、妻と子どもを連れて命からがらロシアに逃げ帰ります。そこにあったのは崩壊したソ連の姿。それからの1990年代、給料が支払われない、年金が出ないなどの状況になり、ロシア国民は貧困に苦しむことになります。

プーチンも同じく貧困生活を強いられました。当時のロシアはタクシーがほとんどなかったので、自家用車を持っている人はそれで臨時収入を得るように。プーチンも同じようにタクシー運転手として家計をしのぎました。このときにプーチンは「ソ連の崩壊は悲劇」と認識するようになりました。

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