平安時代日本史鎌倉時代

平清盛を生んだ「伊勢平氏」とは?その発祥と行く末を元大学教員が5分でわかりやすく解説

伊勢平氏の生みの親、平忠盛

image by PIXTA / 5421437

伊勢平氏のなかでも、特別に有名な人は平清盛です。そこでまずは、清盛の父平忠盛の足跡をたどってみましょう。

宮中への昇殿を許された平忠盛

平忠盛は、伊勢平氏の中で初めて宮中への昇殿を許された人物です。白川院・鳥羽院を武力的に支え、大きな信頼を得ました。白川院は、最初は源氏に頼っていたのですが、源氏の内部で紛争が続出。白川院の信頼感を失った所に現われたのが伊勢平氏でした。

元々、伊勢平氏は伊勢が根拠地。忠盛のころは中央に力を伸ばし、白川院の側近の武士として官位を得ました。また彼は、国司を歴任する中で莫大な財を蓄えていました。中央政権に取り入る手段は賄賂と土地。方法はなんであれ、伊勢平治の中で抜きんでた存在となりました。

歌人としての才能もあった平忠盛

忠盛は歌人としても才能があり、歌集『忠盛集』を世に出しています。伊勢平氏の田舎者が、出世するのみならず歌集を出すとなると貴族の嫉妬の対象。『平家物語』では、貴族たちが「伊勢平氏はすがめ(=斜視)なり」と嘲笑ったと描かれていました。

さらに『平家物語』では、白河法皇の寵愛を受けて懐妊した「祇園の女御」と呼ばれる女性を忠盛が貰い受けて、女御の生んだ子を自分の子として育てたというエピソードも。それが清盛だとされています。そのため、清盛は天皇の御落胤として特別の計らいを受け、太政大臣にまで昇ったとささやかれました。事実は不明です。

no-img2″>
 <figcaption class=桜木建二

三重県津市には忠盛塚があり「平氏発祥伝説地」とされている。近くに行く機会があったら、ぜひ立ち寄ってみるといい。

歴史を変えた伊勢平氏の代表格、平清盛

image by PIXTA / 13977490

平清盛は平忠盛の嫡男で、平氏の棟梁。保元の乱で白川院の信頼を得て、平治の乱で最終的な勝利者となります。武士として初めて太政大臣となり、平氏の独裁体制を確立しました。「おごれる平家」の象徴のように称されていますが、社会、経済を大きく変えた功績も大きい人物です。

平清盛の輝かしい功績

日宋貿易の拡充をなしえたのが清盛。瀬戸内海航路を整え、今の神戸港の前身である大輪田泊を作りました。さらに、宋銭を大量輸入。それまではほとんど物々交換に近かった日本経済を一変させました。鎌倉の大仏はこのときの宋銭を溶かして造ったものです。

厳島神社の歴史的な改修を実施、寝殿造りとしたのも清盛でした。厳島神社への信仰が深く、絵画史上に残る絢爛豪華な名作「平家納経」を製作、奉納します。政治的地位も着々と確立。妻時子との間に生まれた徳子(後の建礼門院)を高倉天皇の中宮とし、徳子の生んだ安徳天皇の外祖父となりました。

平清盛のエピソード

厳島神社江清盛が参拝する海路を作るときのエピソードが「音戸の瀬戸伝説」。清盛が山の岩の上に立って金の王日をかざして「返せ、返せ」と言うと、沈みかけた太陽がまた帰ってきた、それて一日で厳島神社への航路の工事が完成しました。

「にらみ潮」は、厳島神社の神さまが大蛇に変身、清盛に襲い掛かったという話。清盛は逃げたものの潮が向かい潮になり、船が動かなくなります。追って来た大蛇を清盛が睨み付けると、潮が引いて海は穏やかになりました。もちろん伝説です。

\次のページで「平家滅亡後も生き延びる伊勢平氏」を解説!/

次のページを読む
1 2 3
Share: