この記事では「勧学院の雀は蒙求を囀る」について解説する。

端的に言えば勧学院の雀は蒙求を囀るの意味は「身近で見たり聞いたりしていることは自然に身につく」ですが、もっと幅広い意味やニュアンスを理解すると、使いこなせるシーンが増えるぞ。

語学好きで歴史好き、名古屋出身で7年間のライター経験を持つeastflowerを呼んです。一緒に「勧学院の雀は蒙求を囀る」の意味や例文、類語などを見ていきます。

ライター/eastflower

今回の記事を担当するのは語学好きで英語、中国語が得意な7年目のライター、eastflower。「勧学院の雀は蒙求を囀る」の言葉の起源やどんな場面で使えるのかをわかりやすく解説していく。

「勧学院の雀は蒙求を囀る」の意味や語源・使い方まとめ

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それでは早速「勧学院の雀は蒙求を囀る」(かんがくいんのすずめはもうぎゅうをさえずる)の意味や語源・使い方を見ていきましょう。

「勧学院の雀は蒙求を囀る」の意味は?

まず、「勧学院の雀は蒙求を囀る」の辞書の意味を見ていきましょう。

1. 勧学院にいる雀は、学生が「蒙求」を読むのを聞いておぼえ、それをさえずる。身近に見たり聞いたりしていることは、自然に習いおぼえることのたとえ。

出典:ことわざを知る辞典(小学館)「勧学院の雀は蒙求を囀る」

「勧学院の雀は蒙求を囀る」は慣用句ではありますが知らない人の方が多い言葉かもしれませんね。その理由はこの言葉ができた時代が平安時代という昔の言葉であること。もうひとつは、固有名詞が二つ出てきて何のことを言っているのか見当がつかないからでしょう。

それでは、ひとつずつ説明していきましょう。勧学院」(しゅうがくいん)とは藤原氏(ふじわらし)の子息が通っていた私立学校、私立塾のことで、蒙求」(もうぎゅう)とは、この私立塾で使っていた教科書の名前です。当時、日本が目指していたのは、中国の唐(とう)のようになること。セレブの子弟である学生たちは、中国語で書かれた教科書を声を出して読み、私立塾の庭に集まる雀たちは毎日学生たちの声を聞いて、そのうちに雀たちも学生にならい、読み方をさえずるようになったということです。転じて、身近なことは自然におぼえるようになるという意味で使われるようになりました。

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「勧学院の雀は蒙求を囀る」の語源は?

次に語源を確認しておきましょう。

普段、聞いていれば、雀でさえ聞いた言葉をさえずるようになるという言葉である「勧学院の雀は蒙求を囀る」ができたのは平安時代。その後、鎌倉時代初期には、「宝物集」(ほうぶつしゅう)と呼ばれる仏教説話集が編纂され、この言葉が説話集に入れられると多くの人に知られるようになりました。当時の都は京都。都の生活に興味のある人が好んで使った言葉なのかもしれませんね。

「勧学院の雀は蒙求を囀る」の使い方・例文

それでは、「勧学院の雀は蒙求を囀る」の使い方を例文を使って見ていきましょう。この言葉は、たとえば以下のように用いられます。

1. 特に着物や着物の歴史を専門的に学んだことはないよ。ただ、家業が呉服屋だったから勧学院の雀は蒙求を囀るの例えにもあるように着物は身近な存在でね。着物の柄と帯などの合わせ方は自然に身についたのさ。

2. 勧学院の雀は蒙求を囀るという言葉があるけど、確かに子どものころはテレビのコマーシャルを聞いて自然に覚えて口ずさむことはあったよ。だけど、毎日通っていた小学校や中学校の先生の授業は右から左。なにも頭に残らなかったな。

「勧学院の雀は蒙求を囀る」で言われるとおり、身近で見聞きしたことは自然に身につくことも多いですね。しかし、それに当てはまらないこともあります。例文では身につく場合と身につかない例をあげてみました。

「勧学院の雀は蒙求を囀る」の類義語は?違いは?

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それでは、「勧学院の雀は蒙求を囀る」の類義語を見ていきましょう。

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「門前の小僧習わぬ経を読む」:人は環境に影響を受ける

「勧学院の雀は蒙求を囀る」は、画像的には、毎日生徒たちが教科書の音読の練習をする中、屋外では雀もいつの間にか音読を覚えてさえずる光景です。同じような光景、類似の意味をもつ慣用句に「門前の小僧習わぬ経を読む(もんぜんのこぞう ならわぬきょうをよむ)」があります。

「門前の小僧習わぬ経を読む」は、寺の門前に住んでいる子どもたちは寺から聞こえる読経を普段から聞いているため習ったこともないお経をそらんじることができるということで、そこから派生して、人は自分の置かれた環境から無意識に影響を受けるという意味で使われるようになったのです。

「門前の小僧習わぬ経を読む」は、「江戸いろはかるた」にものせられている言葉のため広く一般の人にも知られるようになりました。

「勧学院の雀は蒙求を囀る」の対義語は?

次に「勧学院の雀は蒙求を囀る」の対義語を見ていきましょう。

「習わぬ経は読めぬ」:素養のないことはできない

「勧学院の雀は蒙求を囀る」は、雀でさえも、毎日学生たちの声を聞いてそのうちにさえずるようになる、見たり聞いたりしていると自然に身につくという意味でしたが、全く反対の意味の言葉もあります。

例えば、「習わぬ経は読めぬ(ならわぬきょうはよめぬ)」です。意味は、「素養」(そよう)のないことはやろうとしても簡単にできるものではないになります。

「素養」とは、普段から知識を高め品性を磨こうとする習慣のことです。「勧学院の雀は蒙求を囀る」と「習わぬ経は読めぬ」は全く反対の意味ですが、普段の生活の中でも環境から無意識に影響を受けてできるようになるものと、普段から努めて習慣化していないとできないことの両方があるのも事実。簡単にできそうに見えても実際にやってみると難しいことも多くありますね。

「勧学院の雀は蒙求を囀る」の英訳は?

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次に「勧学院の雀は蒙求を囀る」の英訳を見ていきましょう。

「experience is the best teacher」:経験は最高の教師である

「勧学院蒙求を囀る」は、言葉どおり英訳しようとすると、「勧学院」(かんがくいん)や「蒙求」(もうぎゅう)の説明をするのに時間がかかってしまうかもしれません。こんな場合は、この文章のポイントである「身近に見たり聞いたりしていることは自然におぼえる」の部分を伝えてはいかがでしょうか?

「身近に起こることは自然におぼえる」を言い換えてみると、「経験していることは身につきやすい」と言えるかもしれませんね。これに似通った英語の表現に「Experience is the best teacher」があります。「Experience」(ekspí(ə)riəns)とは、「経験」、「体験」の意味、「teacher」(tíːtʃɚ)は皆さん、ご存じのとおり「先生」、「教師」の意味ですね。「experience is the best teacher」全体で、「経験こそが最高の先生だ」という意味になります。

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「勧学院の雀は蒙求を囀る」を使いこなそう

この記事では、「勧学院の雀は蒙求を囀る」の意味や使い方について見てきました。「勧学院の雀は蒙求を囀る」は、身近で見聞きしたことは、自然に覚えたり身につくものだという意味でしたね。

確かに海のそばで育った人は、海について教えられなくても理解するでしょうし、積雪地域で育った人にとってスキーやスケートはより身近なものなのでしょう。人でも動物でも植物でも周りの環境には影響を受け適応していくものなのかもしれませんね。

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国語言葉の意味

【慣用句】「勧学院の雀は蒙求を囀る」の意味や使い方は?例文や類語もWebライターがわかりやすく解説!

この記事では「勧学院の雀は蒙求を囀る」について解説する。

端的に言えば勧学院の雀は蒙求を囀るの意味は「身近で見たり聞いたりしていることは自然に身につく」ですが、もっと幅広い意味やニュアンスを理解すると、使いこなせるシーンが増えるぞ。

語学好きで歴史好き、名古屋出身で7年間のライター経験を持つeastflowerを呼んです。一緒に「勧学院の雀は蒙求を囀る」の意味や例文、類語などを見ていきます。

ライター/eastflower

今回の記事を担当するのは語学好きで英語、中国語が得意な7年目のライター、eastflower。「勧学院の雀は蒙求を囀る」の言葉の起源やどんな場面で使えるのかをわかりやすく解説していく。

「勧学院の雀は蒙求を囀る」の意味や語源・使い方まとめ

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それでは早速「勧学院の雀は蒙求を囀る」(かんがくいんのすずめはもうぎゅうをさえずる)の意味や語源・使い方を見ていきましょう。

「勧学院の雀は蒙求を囀る」の意味は?

まず、「勧学院の雀は蒙求を囀る」の辞書の意味を見ていきましょう。

1. 勧学院にいる雀は、学生が「蒙求」を読むのを聞いておぼえ、それをさえずる。身近に見たり聞いたりしていることは、自然に習いおぼえることのたとえ。

出典:ことわざを知る辞典(小学館)「勧学院の雀は蒙求を囀る」

「勧学院の雀は蒙求を囀る」は慣用句ではありますが知らない人の方が多い言葉かもしれませんね。その理由はこの言葉ができた時代が平安時代という昔の言葉であること。もうひとつは、固有名詞が二つ出てきて何のことを言っているのか見当がつかないからでしょう。

それでは、ひとつずつ説明していきましょう。勧学院」(しゅうがくいん)とは藤原氏(ふじわらし)の子息が通っていた私立学校、私立塾のことで、蒙求」(もうぎゅう)とは、この私立塾で使っていた教科書の名前です。当時、日本が目指していたのは、中国の唐(とう)のようになること。セレブの子弟である学生たちは、中国語で書かれた教科書を声を出して読み、私立塾の庭に集まる雀たちは毎日学生たちの声を聞いて、そのうちに雀たちも学生にならい、読み方をさえずるようになったということです。転じて、身近なことは自然におぼえるようになるという意味で使われるようになりました。

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